古典落語de「優しい気持ちでおおらかにかかわる」 |
今回の主人公は、落語ワールドではおなじみの「与太郎」。二十歳の青年です。
二十歳といえば立派な大人のはず。しかしこの与太郎は、ぼーっとしているだけでなく年齢にそぐわない幼稚な言動をする男。そのため、周囲の人々に「馬鹿だ」「間抜けだ」といつもいじられています。
息子がドンくさいことは重々承知しているものの、人にそう言われるのはやっぱり悔しい。何より息子が不憫だ。与太郎だって、やればできるところを証明しようじゃないか! そう思った父親は、与太郎にある用事をやらせてみることにします。
その用事とは、親戚の佐兵衛おじさん宅の普請見舞い。普請見舞いとは、新築やリフォームをした家を訪ね、中を見せていただいて、お祝いの言葉を述べることです。
最初はやる気のなかった与太郎も、「うまくやればおじさんがお小遣いをくれる」という父親の言葉で、すっかり乗り気に。父親から「家のほめ方」を習うことになりました。
ところが稽古をしてみると、いっこうにうまくいきません。
「家は総体、ひのき造り」→「家は総体、屁の気造り」。
「畳は備後(びんご)の五分べりで」→「畳は貧乏でボロボロで」。
「左右の壁は砂ずりで」→「佐兵衛のかかぁはひきずりで」。
「庭は総体、ミカゲ造り」→「庭は総体、見かけ倒し」。
とまあ、こんな具合に間違いまくる始末。とうてい暗記は無理と踏んだ父親は、与太郎にアンチョコを作らせ、持たせることにしました。
しかし、それでもやっぱり心配です。何とか与太郎の普請見舞いを成功させてやりたい。そう考えた父親は、とっておきの「ほめポイント」を与太郎に伝授します。
「台所に行ってごらん。柱の上の方に節穴がある。おじさんが節穴を気にしたら、こう言うんだ。『心配はいりませんよ。秋葉様の火伏せのお札を貼ってごらんなさい、穴が隠れて火の用心になります』。おじさんは感心して、きっとお小遣いをくれるだろうよ」。
お小遣いと聞いてまたやる気になった与太郎、ほかにもほめるものはないかと父親に訊きます。息子の意欲的な姿に嬉しくなった父親は、「おじさんが飼っている牛をほめるとよい」と伝え、ほめ言葉も教えてやりました。
さあ、意気揚々とおじさん宅へ出かけた与太郎。でも案の定、順風満帆にはいきません。
「お辞儀は、両手で△を作ってそこに鼻を入れる」という父親の教えに従い、直立のまま手で作った△を鼻にあてがって挨拶をしてみたり、「こっち見たら、家に火をつけるぞ!」とおじさんを脅しながら、アンチョコをたどたどしく読み上げてみたり、まだ庭を見せてもらってもいないのに、「庭は総体、ミカゲ造り!」とほめてしまったり…。
いろいろとおかしな点はあるものの、与太郎は頑張りました! その姿を見て、おじさんもうれしそう。
さあ、次はいよいよ台所をほめるぞ(そして、お小遣いをもらうぞ)! おじさんにせがんで台所に連れて行ってもらうと、聞いていた通り、柱には大きな節穴が…。節穴を気にするおじさんに、たどたどしく与太郎が例のコメントを披露。
「心配はいりませんよ。秋葉様の火伏せのお札を貼ってごらんなさい、穴が隠れて火の用心になります」
「へえ~、お前がそんなことを言えるようになったとはねえ…」
おじさんは感嘆しきり。お小遣いをはずみます。
調子に乗った与太郎は、「今度は牛をほめるぞ!」。牛小屋に行くと、大きな牛がフンをしている真っ最中でした。
「あれ、この牛、馬糞したよ。汚いなあ。そうだ、おじさん、この牛の穴について心配はいらないよ」
「どうしてだい?」
「秋葉様の火伏せのお札を貼ってごらんなさい、穴が隠れて屁の用心になります」
今回ご紹介しているのは、与太郎噺の代表格のひとつ、「牛ほめ」という落語です。
与太郎というのはごらんのとおり、年齢にしては言動が幼稚で、勘違いをしたりドジを踏んだりしては、様々な騒動を巻き起こす人物。厄介なところはあるのですが、「なんだか憎めないなあ」と思ってしまう、そんな魅力のあるキャラクターです。
落語ワールドの中の人々も、与太郎にそんな気持ちを抱いていることが多いようです。町内の若者の集まりなどで、「困った野郎だなあ」「しょうがねえなあ」と文句を言いながら、周囲の人が何かと面倒をみてやるシーンがよく出てきます。
多数派の人々とは少し異なる様子や特徴を備えた人(ある意味、弱者)への対応が、非常に優しく、おおらか。この点が、私が落語ワールドに惹かれる理由のひとつです。
「牛ほめ」における父親やおじさんの与太郎対応も、またしかり。
ふだん失敗することが多く、無意識的に「俺はイケてない」と思っているであろう与太郎に、「何とか成功体験をさせてやりたい」と腐心する父親とおじさん。途中、与太郎が何か変なことをしでかしても、温かく教え諭しほめ励まして、与太郎に自信をつけさせていくプロセスは、本来あるべき教育の姿なのではないかなあ…と思わずにはいられません。
実は私が「牛ほめ」をこんなふうに捉えるようになったのは、ある師匠の高座を見てからです(同じ噺でも、落語家さんの解釈で少しずつニュアンスが違います)。
「師匠のなさるお父さんとおじさんは、本当に優しいですね~」と感想をお伝えしたところ、「『お父さんとおじさんは、与太郎をかわいくて仕方ない』という設定でやっています」とおっしゃっていました。
なるほど~と思いました。
現実の世界でも、皆がそういう気持ちで、人(特に子どもや弱い立場にある人)に接することができたら、世の中のギスギス感が少しは和らぐのではないかなあ…と思ったりします。