軽やかで幸せな人生のために |
私が歌を詠み始めたとき。
それは、大学時代のテスト期間中で、
次のテスト落としたら留年が確定するみたいなときでした。
(参考→「短歌とのなれそめ」 https://www.tokyo-woman.net/Column20012.html)
「勉強は親が怖いからやる」というタイプだった私からすると、
単位落として留年なんて、もうそりゃあ天変地異をあらかじめ知ってるくらいの(←おおげさ)
不安と焦りだったんですね。
多分言葉に出さずにはいられなかったんでしょう。
それから、ブランクをはさみつつも、
なにか心がもやもやすると歌にするようにして生きてきました。
そうすると自分の本音に近い身体の声が聞こえるようになって、
ものすごいどろどろした自分と対面することが増えてきました。
感謝なんかしてない自分
全部人のせいにしたい自分
仕事なんかしたくない自分
どこまでも承認されたい自分
挙げたらきりがない(笑)
そういう自分、ひとつひとつを歌にして表現してみることで、
笑い飛ばせたり、
感情にひたっとひたることができたり、
そのことをよしとできて、
本当に少しずつだけど、自分を愛するってこういうことかとわかってきました。
そうすると、周りの人が少しずつ優しくなってきたことを感じています。
というよりは、周りの人の優しさを受け入れられるようになってきた感覚。
なにかと協力してくれる人
仕事を紹介してくれる人
私にとっての幸せって何だろうって考えてくれる人
痛いところを突いてくる人
むかしだったら
何か裏があるんじゃないか
あとで、恩を売ってくるんじゃないかっていう猜疑心だったり、
単純に余計なお世話って思ってイライラしたりすることが多かった(笑)
それは何より自分なんて幸せになれないし、誰も協力なんかしてくれないって思っていたから。
むしろ人を疑ってかからないと、人生を人のせいにできないからもっと辛いと
深いところで思っていた気もします。(ふ、ふもう!!!)
もちろん、今でも、人の善意に対して不思議に思うことがあるし、
言われたことにイライラとすることもあるけど、そういう自分を良しとすると、
感情が長引かないんですね。
相手にもそう思ってるって言えてしまったりするし(笑)
それで、相手との理解が深まって、な~んだそれなら嬉しいやとか、
素直に受け入れられるようになる。
こんなふうに自分の本音を知って受け入れることは、
もし生きているのがつらいと思っているのなら、
とても必要です。
幸せに生きてる人は多分自然とやっていることなんだと思います。
自分との会話が上手な人は、他人との会話もやっぱり上手なんだと思います。
だから、短歌や俳句のリズムで自分の本音を歌にする『こころうた』っていいよ
って話ね(笑)
まあ、もし、歌にしなくっても、本音で生きるきっかけがあるのなら、
それはとっても素敵なことだと思うのです。
もやもやとしていることを「しょうがない」 そう言う君をきりん!とにらむ 十詩子
<解説>
麒麟じゃないです。きりんは擬音語です(笑)
これは「君はもやもやしているね。でももやもやしていたんだね。」って
とある人に言われたときに詠んだ歌です。
「は?なわけねーだろ!!」って思ったのですが(笑)、こんなに反応するってことは、
そうなんだろうと思って、しおらしく「じゃあどうしたらいいのかな」って聞いたのに、
「それはしょうがないんじゃないかな」って言われたときの歌。
きりん!ってなりましたね(笑)でも、きっとしょうがないって思える状態になれたら、
きっとしょうががあってもなくてもいいんだろうなって(何の話?w)
思えて楽になるんだろうなって思いました。
では、みなさん軽やかな人生を。
十詩子