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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo 大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに… |
自分の人生の見つけ方~アルケミスト⑦~ |
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終息という「ゴール」が見えないコロナ禍。 東京や近隣県の感染者は減る見通しがつきません。
このコラムでも、コロナコロナコロナ…。 つい、この「コロナ禍」という未曽有の状況の中、希望を持ち続けて旅をする『アルケミスト』のサンチャゴ少年の冒険と、そこで出会う名言の数々から、勇気をもらいたくなってしまいます。
さて、一文無しになったサンチャゴは、砂漠に向かうキャラバンに合流し、 それぞれの人生でおきた困難の中でも、それに向き合ってきた旅の仲間から刺激を受け、 ふたたび夢へ向かって歩き出しました。
中でも、聡明な「らくだ使い」は、天災によりすべてを失いながらも、 一歩一歩前を見据えて歩むこと、そしてこれまで少年が出会ってきた占い師や、王様や、 もしかすると神の化身かもしれない老人から聞いた言葉そのままに、 「宇宙の声を聴く」ことをサンチャゴに話して聞かせます。
ともに旅をする、錬金術師を目指す読書家のイギリス人が、ラクダ使いに このキャラバンの、この先のリスクを訪ねたとき、 らくだ使いは「もうあと戻りはできません」と答えます。 しかし、同時にこう諭すのです。
「あと戻りができなければ、前に進むことだけを心配すればいいのです」
このコロナ禍が幸運にも、一日も早く終息し、日常が戻ってきたとしても、 もはや私たちが置かれている世界は、「コロナ前」には戻ることはないでしょう。
街に人が溢れ、ソーシャルディスタンスを気にすることなく コミュニケーションが取れる状況に戻ったとしても、人々はこのコロナ禍で 多くのことを学んだからです。
20年前、私がドイツから帰ってきたときに見た「日本の通勤地獄の異様さ」は、 当時、日本で働いている人々には理解されませんでした。 「仕方のないこと」「社会人なら当たり前」そんな言葉を発する人もたくさんいました。
2つほど前のコラムでも紹介しましたが、 27歳で南青山に本社がある会社に転職したとき、 「私の仕事(マーケティングと企画)にとって、毎日決まった時間ずっとデスクにいるのは、必要なこととは思えないし、むしろ非生産的だ」と持論を展開し、
「週3以下の勤務」 「最低週2日は、街を歩き、人々と話し、文化を体感し、仕事に生かす」
が条件でないなら、契約社員でも構わないし、そもそも転職する意味もない。
と経営者に話したとき、経営者は「あなたみたいな子は初めて」と言いながらも条件をのんでくれました。 というのも、この転職話はヘッドハンティングだったので、経営者が私を手元に置いておきたければ、そうするでしょうし、そうでないなら私は居心地がよかった当時勤務していた会社に残っていればよかったからです。
多くの「大人」が私に諭した「日本人の当たり前の働き方」に、 20年近く前に「ノーサンキュー」したのが私でした。
その会社で働いていた社員は、なんと変わった人なんだろうと思ったことでしょう。 それでも仲良くしてくれて、もちろん感謝の念しかありません(苦笑)
そして半年後、私はその会社で最年少、入社最短で、取締役になりました。 自由を愛する私が望んだことではありませんでしたが、この経験がどれだけ今に役立っているか……。 27歳の若造には貴重すぎる経験を積ませていただいて、あのときの経営者や周囲の人々には、言葉にならないほどの感謝の念を抱いています。
このエピソードは、私の人生をある意味、象徴する出来事なので 何度かご紹介しているのですが、読者のみなさまの中には、 きっと私は「生意気な偏屈ねえちゃん(当時(笑))」だからだろうと思う方もいるのではないでしょうか?
なぜ、私は生意気にも、あれだけ強気に入社条件を譲らなかったのか。 自信があったから……? いいえ、違います。(自信なんてまったくありませんでした)
単純なことです。
あのとき、私は「ドイツ前」には戻れなかったのです。 ドイツ勤務をし、ドイツで暮らし、時に、人より馬車馬のように働きましたが、それも「自分の意志でしたかったから」、そうしただけ。
「みんながやっているから」という理由では通勤地獄を受け入れなかったし、 「みんながやっているから」という残業はしたことがありません。 (もっとも、ドイツ人は無駄な残業や通勤地獄を嫌いますので、そんな人はまずいません。私も川沿いを20分弱歩いたところに勤務先がありました)
自分で望んだ「馬車馬のように働いた経験」は、そのあともずっと生かされています。
余談ですが、取締役になったことで、不本意ながら経営者に「取り締まられる」側になった私は、 「せっかく会社の時間が長いから」と会社の改革に取り組み始めました。 「経営企画室室長」を兼務し、労務改革や人事改革に乗り出します。 そして、ここでもうっかり(!?)馬車馬のように働いたのち、 「飛び立つ準備」を始めました。 マーケティングと、店舗プロデュースと、経営企画(のうちのヒューマンリソース)、そして既存店へのフォローができる人材を採用して卒業しようと思ったのです。 これらは、私一人がやってきたことなのですが、残念ながら、これらまったく異なる分野をまんべんなくできる人材は見つからず、 (いるのでしょうけれど、中小企業では採用できず)、 それぞれの分野の責任者を1人ずつ採用することで、「ポスト・私なき会社」の未来を託しました。 その方が、ひとつ一つの専門性は高まるというプラス面と、人件費が何倍にも膨れ上がるというマイナス面がありますが 私はやはり、自由を愛する人間らしく、4年間集中してこの企業のために働いたのが限界。 今度は、自分の能力を高めることと、それを直接的に社会へ生かしていくための時間にしたいと思ったのでした。
「若くして高収入なのになぜ退職?」という周囲の声は耳に入りませんでした。
ここでも、「独立して儲かる」という自信があったのではなく、 やはり「ドイツ前」には戻れることができなかったのです。
そして、その後、フリーランスで厳しい時期があっても、 どんなに待遇が良い条件で企業からお誘いがあっても、 私はもはや「フリーランス前」には戻ることができず、独立して14年が経過しました。
さて、話題をこの現在の私たちに戻しましょう。 コロナ禍中、リモートワークでもできることがある。 もしくはリモートワークで十分だったという体験をしてしまった私たちは、 もう、あのあきらめていた「通勤地獄」を、当たり前のものとして受け入れることは難しいでしょう。
こうして、自分も、社会も、変化し変容し、そして人が人らしく生きるために、 自分が自分らしく生きるために、進化を遂げているのです。 その間、大変なこともあるでしょう。 今、まさにその「大変な時期」を戦っている(とくに医療最前線の方の苦労と努力には頭が下がります…)わけです。
マーケティングの神様と言われたドラッカーも、こう述べています。
「イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。 昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいものに解放できる。」
あのらくだ使いとの一言二言の会話ののち、サンチャゴは、こうも決心します。
「過去の教訓と未来の夢とともに、今に生きたいと思った」
なぜなら、らくだ使いは、サンチャゴにこう話したからです。
「人生はパーティーだ。なぜなら、人生は今私たちが生きているこの瞬間だからです」
過去は大切にとっておくものではなく、まして、しがみつくものでもありません。 教訓として、今と未来に活かすために活用しましょう。 そしていつも前を向いて、未来に希望をもちましょう。
このコロナ禍が去ったあと、あなたがさらに素晴らしい人生を歩めるように、いまは今できることを懸命にやりとおすことが大切です。
さて、ちょっと偉そうに書いてしまった私と言えば、やりたいことだらけで、何から手を付けようか、迷える子羊状態です。 自分にとっての、本当の「必要と希望」は何か。 お恥ずかしながら、前回のコラムのらくだ使いの言葉から、まだ卒業できていません。
でも、それもまた今を楽しむ第一歩。 あと戻りはできません。前を向いて歩きましょう!
Schoenes Leben & schoene Reise noch! |
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