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賀陽 輝代 ライフスタイルコーディネーター ワールド・チルドレンズ・ファンド・ジャパン
人生は泣いても笑っても一度きり。 たった一度だからこそ、自由に、楽しく、かつエレガントに、自分の人生をクリエイトされてはどうでしょうか。
Try anything, but once. ライフスタイル 2014-08-16
マイノリティーを楽しもう!

マイノリティー(少数派)に淋しさは付き物!でもその淋しさを享受してこそ真の自立した人生を満喫する事が出来ると言うもの!

 

マジョリティーとマイノリティーは日常茶飯事、私たちが体験する二者択一の選択である。マジョリティーには大きな傘の下にある「安全地帯」があるが、それに比べてマイノリティーをカバーしてくれる「安全地帯」の範囲はかなり少ないと言える。しかし、この世の法則は意外な所で公平に働いているようで、全ての物事には50%の「正」と50%の「負」の要素が含まれていて、要は自分がどちらの50%を取捨選択するかと言う決断の問題!

言い換えれば100%完璧な選択などは有り得ず、人はいつも自然界の法則の中で、50%の可能性を手に入れる為に残りの50%の可能性を捨て去ると言う、リスクヘッジ選択を強いられているような気がする。

 

一人娘のCindyはナーサリー・幼稚園から高校卒業までの15年間、一貫して国際学校で教育を受け、中学・高校時代の学友達の国籍は何と51カ国!将に「ダイバーシティー」その物の環境の中で学生生活を送っている。その力量及び、人数配分を大まかに分けると、当時はアメリカ企業からの駐在員や大使館勤務の両親を持つ子女がマジョリティー、次の多数派は同様の環境でアメリカ以外のヨーロッパ大陸、オーストラリア大陸、アフリカ大陸等から来日している両親を持つ子女、そして一番の少数派は帰国子女や国際結婚を通して二つの文化を持って生まれて来た子供達と言う縮図!そうした環境の中で学生生活を過ごしていたCindyが小学校3年生の頃、“一体自分はどのグループに属すのが最良の選択なのか?”と言う面白い、しかし彼女自身は恐らく日々の学校生活の中で深刻に悩んでいたのであろうと思われる質問を投げかけて来た事がある。

 

多数派の傘下には“リスクの少ない、より安全な居場所”があるかも知れないけれど、その反面、リーダー各にでもならない限り、自分の考えや存在価値を示す機会がかなり限られるであろうと予想されるマジョリティー・グループの選択なのか、或いは自分と言う存在価値を十分に発揮できる可能性は大きいけれど、抑止力の小さい傘の下で雨風を受けるリスクも覚悟しなければならないマイノリティー・グループを選ぶのか?その50:50の法則を子供に分かるように説明し、後の選択はまだ10歳にも満たない小学校3年生とは言え、十分な思考能力を備えていると信じている娘の選択に任せる事にした。果たして私の期待に反してや否や、約一週間後にもたらしてきた彼女の結論は「マイノリティー・グループ」に属すると言う選択!

 

そして、その“マイノリティー魂” は、社会人となった今も尚、良くも悪くも、職場、私生活の様々な場面で迫られる彼女の選択の基本になっているようだ。

 

しかし、とかくグループ行動や全体主義の中で物事を進める傾向が強いとされる日本社会の中でマイノリティー魂(スピリット)を貫く事はそれ程たやすい事ではない。何故ならそこにはマイノリティーを異端視する冷たい視線をひしひしと感じながら、それでも他者に揺り動かされない、確固とした“自我(Self-identity)”と、“信念(Principle)”と言う二本の大きな心の柱を持ち続ける事が必要で有り、「言うは易し、行うは難し」の如く、マイノリティー派には、この選択を良しとする人たちが必ず通り抜けなければならない“孤立”と言う“暗いトンネル”が待ち受けているからである。

 

でも不思議な事に「もしかすると自分は普通では無く、どこかおかしいのではないか?」と言う自問自答を繰り返しながら、この暗いトンネルを潜り抜けると、何故かその孤立と立ち向かう葛藤の中から「淋しさを逆手に取るような、多少自虐的(?)な楽しみ」が生まれてくる。つまり、自分がマイノリティーで、人と異なっていると言う資質を“クオリティー(特性)として肯定的に受け止める反発能力を身につけ、逆にその孤立した淋しさを享受しようとする発想が、他者に動かされる事の無い“ゆるぎない自信=自立”と言う玉手箱をもたらしてくれる。

 

私は常に“この地球上に50億の人間がいるのなら50億通りのDNAの組み合わせがあってもおかしくは無いはず”と思っている人で、若い頃は事ある毎にまるで呪文を唱えるかのように「他人は他人、自分は自分」と我に言い聞かせながら生きて来たような気がする。言い換えれば、自分らしく生きようとすればする程、そのよう突き放した考え方を持たなければ生き辛い人生だったと言う事なのかも知れない!

 

しかし、この孤独の楽しみを味わえる自立心を手に入れる事が出来たら、人生の楽しみ方が何倍にも膨れ上がると言うもの!

 

例えば“一人旅”もその一例!勿論、家族や友人とのグループ旅行、更には恋人と共に楽しむ旅も素晴らしいが、時には思い立ったが吉日の如く「思いがけない新鮮な気づき」や「研ぎ澄まされた感性のアンテナ」をもたらしてくれる“一人旅“に出かける事をお勧めしたい!そこにはマイノリティーの楽しみを知っている人にしか分からない、一味も二味も異なった醍醐味が隠されているから!

 

こうした私の一人旅の提案に対して、多くの人達から「仕事に追われ、家族や子供の面倒を見なければならないと言う毎日の生活の中でそんな贅沢は許されないわ。」と言うコメントが戻って来るのは十分承知の事!でも、その旅は決して国内及び、海外旅行のような遠出の旅である必要は無く、バスや電車ででもぶらっと出かける事が出来るような、ごく身近な隣町へのささやかな一人旅でも良い!つまり“旅”とは、時として日常の雑事から自らを解放し、異次元の空間に自らを誘う(いざなう)、心のリフレッシュ作業に他ならない!そして、そのささやかな願いは、決して「他力本願」で誰かの手によって与えられるものでは無く、自分なりの時間と空間を欲しと願う自らの強い想いがあってこそ、手に入る事が出来る“魂の媚薬”ではないかと思う。

 

今年9月1日、89歳になる同居の母は、「妻や母親と言う役割を持って忙しい毎日を送っていた頃には出来なかった、一人の人間としての楽しみを見つけ、残された人生を楽しんで欲しい。」と言う、もしかすると忙しくて一緒に時間を過ごす事が出来ない私の身勝手さを含んだ助言が効いたのか、今俳句やお習字の教室に通いながら自分なりの時間を楽しむ努力を重ねている!

 

子供や孫と一緒に過ごす時間が何よりも楽しみと語る母ではあるが、共に時間を過ごしてくれる夫をはじめ、兄弟姉妹、友人に先立たれると言う孤独を乗り越え、限りある体力の中で自分なりの時間を楽しむ方法を模索している母の姿を一人の人間の生きざまとして客観的に眺めていると、「人間の“心”と“頭脳”は、チャレンジしてストレッチする事で、生きている限り成長し続けるものなのだ!」と、改めて感心したりしている。更に、“与えられた自らの環境に甘えるだけでは無く、高齢を乗り越えてそれなりに自立して生きようとする母の前向きな生き様に、“見事な人生のお手本!”と、自分の母親ながら心秘かに拍手喝さいする今日この頃である。

 

そうだ!あと数週間後に待ち受けている89歳の母の誕生日には、「高齢マイノリティー自立賞」と言う文字をチョコレートで書き飾ったバースデーケーキをプレゼントする事にしよう!


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