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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) ライフスタイル 2014-09-17
教養ある大人の女性になるために ~ゲーテの幸せ講座~

まだまだ厳しい暑さが残る日本列島ですが、気がつけば九月も半ば。秋の始まりです。
秋と言えば、「食欲の秋」、そして「文化の秋」、「読書の秋」でもありますね。

頭も体も思うように働かない夏を通り越すと、何か自分を高めるものに触れたくなるのでしょうか。私たち大人のお仕事女子が憧れるのは、やはり教養を感じられる女性ですよね。

ゲーテは、才能も、地位も名誉も美貌も、もちろん教養も兼ね備えた稀代のスーパーマンと言えますが、向上心の高まる秋は、そんな彼から大人にふさわしい教養の身につけ方を学びたいと思います。

真剣さなくしては、この世で何事も成し遂げることができない。教養のある人と呼ばれる人たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情である。
(「格言的」より)

過去の栄光がないせいか、あまり過去にしがみつかないタイプの私ですが、実は、「もし昔に戻れたらやり直したい」と思うことが一つだけあります。それは、「もっと真剣に勉強と向き合うべきだった」ということ。

私は小学生のころ、「何でもできる少女」でした。しかし、中学からみるみる「普通の子」になり、「普通の高校」に通って、「普通の大学」に入りました。周囲の雰囲気に流され、「楽をしてそこそこでいい」という気持ちで日々をやり過ごしていた私が「周囲と同じ」であることを止めようと思ったのは、大学卒業後の進路を考えた時。普通に学生生活を過ごしてきた私に、特別な能力も功績もあるわけはなく、就職活動をどうしようかと初めて「真剣」に考えました。

そこで、私はみんなに流されるのではなく、これからは自分がやりたいことをやる人生にしようと誓いました。内定先は出版社と航空会社のグループ企業。「いつかはやりたい」と思っていた文章への道と、憧れていた海外への(繋がりそうな)道に絞りこみ、結局は後者を選びました。けれども今、前者の道を歩んでいるのですから、人生とは面白いものです。もしかすると、それは自分の人生に「真剣」に向き合い始めた私への、神様からのプレゼントなのかもしれない。近頃はそう思うようになりました。

最近、小学生のころの作文帳を見つけ、あまりの「不真面目さ」に自分で呆れました。好きなはずの作文なのに、照れがあったのか真面目に書いていない。自分で自分の能力の敷居を下げる行為に、情けなくなりました。あのころは、「真剣に語ること」が恥ずかしいことだと思っていたのでしょう。

大人になった今、「真剣になれない」ことがどれだけ自分の人生を貶めているか、どれだけ実現可能なことを不可能にしてしまっているか、よくわかります。自分の中に秘めた力を磨くこともせず、あまりに自分を大切にしていなかったと悔やまれるのです。

ゲーテは、「教養のある人は、物事に対して真剣である」ということは他者から見向きもされない要素だけれども、それなしに、教養とは身につかないものだという確固たる事実がある、と言います。私たちは、教養がある人たちのことを、「頭が良い」「家柄が良い」「才能がある」などともてはやしますが、彼らの並々ならぬ努力のことには考えが及びません。

凡人か、教養人かを決めるのは頭の良さではなく、どれだけ物事を真剣に向き合えるかである。その力強いメッセージを発した裏には、努力家だったゲーテ自らが、「天才」と言われることに抵抗があったのではないかとも考えられます。

高校生の頃、陸上競技部に所属していた私は、顧問に「才能がないから」と泣きごとを言ったことがありました。すると慰めるどころか「お前のようなレベルの選手に才能という言葉を使う資格はない」と一蹴されたのです。真剣なつもりだったのに、「才能」という言葉に逃げて、努力の足りなさを自覚しようとしなかった自分の甘さを、痛切に感じた瞬間でした。

ゲーテは別の書で「私のようになりたかったら、君も私のように生活を愛しなさい」ということを言っています。生活、すなわち自分の人生を愛するということは、それらに真剣に向き合い、有形無形問わず、何かを得ようと努力を重ねるということ。

あなたの人生に「真剣さ」は足りていますか。きちんと人生を愛してあげていますか。

仕事に、ライフワークに、毎日の生活に。真剣に向きあうあなたこそ、教養ある素敵な女性です。



しかし、誰が他人に対する自分の優越をときおり露骨な仕方で主張しないほど、教養を積んでいるのでしょう。
(『親和力』より)

教養というと、知識や経験が豊富、語学に長けていて、話術に秀でている。音楽や美術などの芸術にも造詣が深い・・・、そんなイメージを浮かべる人も多いと思います。

ゲーテの言う「教養」とは、それだけではありません。才能豊かで博学であることはもちろんですが、謙虚であり、自意識過剰でないこと。相手に対して不遜でもなく、卑下もしない。自分の立ち位置をつねに客観的に見つめ、相手を馬鹿にしないこと。そういう品性ある態度も備わっていないと「教養ある人」とは言えないと断言します。

年配者の昔自慢は、若い人にとって、勉強になることより、退屈に感じる方が多いというのは、私自身「かつての若者」だったので、よくわかります。しかし、歳を重ねていくと、後輩や部下たち、年下の友人たちに同じようなことをしていないか、この言葉を頭に入れながら、言葉を呑み込むこともあれば、時すでに遅し、だったことも。

この「優越感」というのは、人生において本当に厄介なものです。口に出さなくても、顔つきでわかってしまうのですから、よほど注意をしなければなりません。そこでオススメなのが、自分の活動や過去の話をするときに、失敗談とセットで話をするということ。しかし失敗ばかり話していては、あまりに自信のない人だと思われて信頼を得られません。失敗談を話したら、そこで得た自分なりの「教訓」を付け加えることが重要です。最初は計算しているようだと嫌悪を感じる人もいるかもしれません。しかし行動の連続は習慣となり、習慣はその人の思考パターンを生みだします。ですから、まずは意識して実践してみてほしいと思います。

一方、どう転んでも「自慢」「優越感のひけらかし」になってしまうのが、自分の行動と関係のないこと。すなわち「血統」「所属」「友人知人」に関することなど、自分の実際の行動以外の話は、できるだけ相手から聞かれてから(控えめに)言うようにしたいものです。

他者に対する優越感をどうしても抱いてしまう・・・。そんなときは、どうか広い世界を思い浮かべてください。自分はあの人よりも優れている。[かもしれない。けれども世界中にはもっと優れている人がいるのだ]。自分の存在が小さいものだとわかれば、目の前にいる相手がどんな人であれ、高慢になることはないはずです。そして、相手の優れたところを見出す努力も必要です。あなたの方が高い学歴を持っていたとすれば「あの人は学歴に頼らず生きている」という力強さを見出し、小さい企業に勤めている人には「たくさんの業務を担っている」という仕事場の情景をイメージする。

「自分にはできない何か」を、相手は必ず持っているもの。役割分担あってこそ社会が成り立っているという事実を、今一度、見直すいい機会になるでしょう。前出の格言にも関連しますが、本当に真剣に生きている人は、そう簡単に自意識過剰にはならないもの。生きること、人生を磨くことの難しさをよく知っているからです。

ゲーテはこうも言います。

「われわれは結局、何を目指すべきか。・・・世の中を知り、これを軽蔑しないことだ」

優劣や勝ち負けにこだわらない人との関わり合い方を、大人だったらわきまえたいものです。

「実りの秋」。この秋、あなたの人生が実り多きものになるために、もう一度、自分自身に真剣に向き合い、広い視野と温かい目線を養ってみませんか。




 


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