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■ 東京ウーマンインタビュー


監督、母、社長。キャリアをも演じ分ける女優の気骨 Vol.2

子育てに見せる「親の顔」
片岡:プライベートな話をお伺いしたいのですが、自由奔放なキャラクター設定と同時に、二人のお子さんをきちんと育てる「親の顔」も持っていらっしゃいます。

生まれながらの女優さんなのでしょうか。仕事も家庭もうまく演じ分けているようにも感じます。

お子さんを育てていく中で、吹越満さんと2度結婚離婚をされていて複雑な面もあったかと思うのですがいかがですか。

広田:複雑ですかね、今だとそんなに複雑でもないんじゃないかと思います。要は私立の学校へ進学したいという娘の希望がありまして。それで再婚したんです。

片岡:私立の場合、今でも保護者の出番が多いですしね。ご家族の3ショットの写真も拝見しましたが、仲はとてもよさそうですね。

広田:離れている分、普通の家庭よりいいのではないかなと思います。彼女も年頃なので、父親との距離感はすごく微妙な年じゃないですか。でもたまに会ってご飯して、二人がね、帰り別れる時はほっぺにチューするんですよ、いまだに。気持ち悪くないですか?(笑)

片岡:自分が父親ならうれしいですけど、娘と。

広田:毎日一緒にいたら絶対しませんよ。「お父さんのかき混ぜたお箸で納豆かき混ぜないで」っていう、それが普通の家じゃないですか(笑)。娘はね、もう吹越さんにめちゃくちゃ甘やかされてるので。吹越さんも、かわいくてしょうがないみたいですね。
育児と仕事の両立は大変だった
片岡:育児と仕事の両立はやっぱりそれなりに大変だったですか?

広田:本当に大変でしたね。特に最初の子の時なんかは旦那がいなかったので、あとは、時代的に子供がいることを隠していなきゃいけなかった。

片岡:女優さんとしてですね。

広田:そうなんです。だから本当に涙、涙ですね。自分が悪いとはいえ、ものすごく苦労しましたね。きつかったです。保育園に預かってもらえるようになってからはだいぶ助かりましたけども。

片岡:仕事と育児って言うのは両立できても、「キャリアと育児が両立できない」と悩んでいる女の人の話をよく聞きます。例えば企業に勤めていると、自分は能力も人よりあるし、ライフ&ワークバランスみたいなのはこなせる。

ただ同じ年齢、同じ年次で競っている男性の方と比べると、キャリアアップの時にどうしても不利になる。なぜなら6時7時には遅くても帰らなくちゃいけない。土日は子供の世話があって働けない。海外勤務はできない。「仕事と育児」とは両立できるけど、「キャリアアップと育児」は両立できないという方が結構います。

広田:そうですね、女性の場合は子育てが一段落しないと好きなことはできないですよ。すごく難しいです。

極端なことを言うと、キャリアアップしたかったら男に子供産ませればいいんです。もうすぐできるかもしれないじゃないですか。男の人も産むべきだと思いますね。こんなこと言うとまた何か問題発言なのかもしれないけど。

片岡:僕は自信ないですね。自分の面倒すら大して見られないのに、仕事しながら夜中に急に病気になったりしたら対応できないです。
母、広田レオナの影響力
片岡:もし20代や30代の時、或いは40代に、もっと自由に色々できたら、やってみたかったことはありますか。

広田:それはないですね。子供を産まない選択肢はしたことがないです。子供は宝なので。子供と一緒に成長してきた部分ってすごくあります。私、バレリーナだったときは人間力が皆無でしたので(笑)。だから人間力をつけられたのは、息子や娘のおかげなんじゃないかなと思っています。

片岡:ステキですね。

広田:早く自立して欲しいなあって思うんですよね。娘は毎朝起こして、彼女が家を出るまでずっと怒りっぱなしですからね。「早く行きなさい」「10時にはリビングにスマホを置きなさい」って。普通の親でしょう?

片岡:普通の親ですね(笑)。もっと違うレベルで、こうなんか色々大変なのかと。むしろ広田さんの方が、怒られているキャラクターのイメージがありますけど…(笑)。

広田:こういう怖いおかんだと駄目なのかもしれないです。お父さんでもないといけなし、二役やらないといけないという気持ちがあるのかもしれません。

片岡:それはそれで大変ですね。自分が怒っちゃうと逃げ道がなくなっちゃいますもんね。親が二人いると、どちらかが怒ると、どちらかが新聞見て聞いてないふりして、子どもに逃げ道作りますからね。
「半世紀生きてきた」自信はすごい
片岡:今、映画監督や社長業等色々なことをされていますが、本当に自分のやりたいこと、肩の力を抜いて「自分らしさ」が出たのはいつ頃からですか。

広田:50歳になったとたんに楽になったんです。40代はやっぱりいろんな葛藤もあったりいろんな不満があったりしましたけど。やっと自分のやりたいことを見つけたので。50の手習いって言いますけども、遅くないと思います。芸能プロダクションにしても、映画監督にしても。

私が撮りたい作品は何十作とあるわけだから、それを生きている間に撮ることの方がものすごく大変な事ですよね。

片岡:私は今46歳ですが、50歳になると何か違うのでしょうか。

広田:50歳になると、「半世紀生きてきた」って言う自信を持てるのですよ。半世紀ってすごくないですか?

片岡:確かにすごいですね。読者の中にも、多分それぐらいの年齢の方が多いと思います。悶々としているんです。

広田:娘に、「ママなんて歴史の教科書に載っているよ」って言われるんです(笑)。前回の東京オリンピックが載っていますよね。やっぱり、その時代から生きてきた自信がもう、ものすごく大きなものなんです。自分の中でね。

これだけ頑張って、これだけやってきたんだって思うと、ものすごく幸せになりましたね。ああすごいなって。これからは本当に好きなことだけやって生きていたいと思いました。だから「50になったら幸せになる」っていう風に皆さん考えれば良いのではないかなと思います。
やりたいことがいっぱい過ぎて追いつかない
片岡:次の作品を作るご予定はありますか。

広田:アイデアは浮かんでいるので、とにかく書かなきゃいけないのですが、書く暇がないのです。50歳になってやりたいことがあるって凄く良い事だと思いますが、体力がついていかない。お付き合いも大事なので、飲んだりもするじゃないですか。もう次の日の具合悪さって言ったらないですもんね(笑)。

健康には気をつけないといけないと思うのですが、ウォーキングするなりそうやって健康に気をつけることをするための時間もないですよ。

やらなきゃいけないこととか考えていることが必ず20、30あるんで、そうするともう頭がついていかなくなってきますよね。仕事だけじゃないじゃないですか。娘もいる。「もう何とかして!」みたいな感じです。

片岡:Twitterで結構色々発言されていますよね。

広田:私ね、酔っ払ってフォロワーさんに甘えたりとかするんですよ。頭痛いだの何だの書くんです。滅多に書かないですけど、酔っ払うと。親にはそういうこと一度も言ったことがないのに。

片岡:一筋縄ではいかないですね。(笑)、それに色々なことが一人でできてしまうのですよね。映画も原作から脚本、撮影、編集と。

女優かつ監督という今のスタンスについては?

広田:やはり両立ってできないし、その表方と裏方って本当に180度違うので、私は表方の仕事は「趣味」と言っています。

片岡:でも逆にそこまでして、どうして映画を撮りたいと思うのですか?

広田:映画が好きだからですね。自分の好きな世界を作っていきたいからですよね。撮りたい映画がもう本当にいっぱいありますから。

片岡:今後の作品も楽しみにしています。ありがとうございました。
広田レオナさん
1963年生まれ。幼少期からクラシックバレエを習い、15歳でベルギー王立芸術学院「MUDRA」に合格。モーリス・ベジャールに師事。ダンスの他にアクターズスタジオのスタニスラフスキーのメソッドなどを徹底的に教え込まれる。

18歳の時、振付最中の事故により腰を壊しプリマを断念。日本に帰国し19歳で映画のオーディションに合格。『だいじょうぶマイフレンド』(1983)でピーター・フォンダの相手役として女優デビュー。その後、鈴木清順監督の『夢二』(1991)にてヨコハマ映画祭助演女優賞受賞など高い評価を得る。他にも多くの作品に出演し、個性派女優の地位を確立。

2000年に公開された初監督映画『DRUG GARDEN』では音楽・編集・スチールなども含めてほぼ全てを担当し、単館ながら9ヶ月のロングランを果たす。15年ぶりの監督作となった前作『お江戸のキャンディー』(2015)でも同様にほぼ全てを担当し、超低予算・R指定なしという常識外れの企画ながらもその独特の世界観と色彩美で多くの観客を魅了し、約1年に渡る超ロングランを記録した

お江戸のキャンディ2
ロワゾー・ドゥ・パラディ(天国の鳥)篇

2017年/日本/89分
出演:栗原類、荒牧慶彦、藤田富、赤澤燈、神谷リク、塩野瑛久、遊馬晃祐、佐野史郎(中庸出演)、吹越満(積極的出演)、竹中直人、染谷俊之、
ナレーション:小泉今日子
原案・脚本・監督:広田レオナ
製作:「お江戸のキャンディー2」製作委員会

下北沢トリウッドにて上映中!
仙台 桜井薬局セントラルホールにて9/16(土)より上映!
片岡 英彦
株式会社東京片岡英彦事務所代表
東北芸術工科大学企画構想学科/東京ウーマン編集長
京都大学卒業後、日本テレビで、報道記者、宣伝プロデューサーを務めた後、アップルのコミュニケーションマネージャー、MTV広報部長、日本マクドナルド・マーケティングPR部長、ミクシィのエグゼクティブ・プロデューサーを経て、片岡英彦事務所(現:株式会社東京片岡英彦事務所)設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。フランス・パリに本部を持つ国際NGO「世界の医療団」の広報責任者就任。2013年、一般社団法人日本アドボカシー協会を設立。戦略PR、アドボカシーマーケティング、新規事業企画が専門。東北芸術工科大学 広報部長/企画構想学科 准教授。
カメラマン:井澤一憲
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