新しいあなたへ~新シリーズ「ココロの処方箋」~ヘッセの言葉21~ |
12月も残すところあとちょっと、になりました。
あわただしいこの季節、いかがお過ごしでしょうか。
12月に入るとさすがに北からは雪の便りを聞くことも多くなりました。
お風邪など召されませんように、お過ごしくださいね。
さて、永らくお伝えしてきたヘッセの言葉。
今回の21回目で、最終回としたいと思います。
来月からはまた、素敵な作家さんの言葉をお伝えしていきたいと思いますので、ぜひそちらも楽しみにしていてくださいね。
最後にお伝えしたい言葉…。
ヘッセは力強く、そして東洋思想の影響もあるだけあって、私たち日本人にも腑に落ちる素晴らしい言葉が多いので、選ぶのは大変でした。
たくさん私たちの背中を強く押してくれる言葉が並びますが、
私たちが毎日を幸せに、人間らしく送るために大切なこと…。
を、お伝えできればと思います。
私事ですが、先日10年続いた雑誌の、休刊に伴う最後の取材と執筆が終わりました。
創刊の際のコンセプト作りから、取材執筆まで。
メンバーも少ない中で、当時はみんなが何役もこなして大きな夢を語り合いました。
私は、一文筆家として創刊から関わってきましたが、創刊からの執筆メンバーは編集長のほかに私しかいないそうです。
長い間私を起用してくださった編集長には感謝の言葉も見つかりません。
同時に、長い間、私の文章を愛してくださった読者のみなさまにも、多くの機会をいただき、育てて頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
最後の取材は、目を見張るような美しい花を描く日本画家でした。
私が初めて日本画家の取材をしたのは、たしか2012年ごろだったかと思います。
当時は16ページ(現在は14ページ)という、他誌ではありえないボリュームを割いて、作品はもとより、画家本人の方の生い立ちからを綴り、その魅力に迫ろうというもの。
日本画の世界は、単なる鑑賞者というだけの知識しかない私でしたが、
数ある取材執筆経験の中でも、芸術家の取材は心が躍るものでした。
芸術評論家でもない一個人の私が、どうしてそれだけの量の文章を書けるのか。
そしてありがたいことに、取材したご本人はもとより、読者さまからもたくさんの共感の言葉をいただきました。
それは、美術評論ではなく、その人の生きざまを知りたいという好奇心と、お話を聞くうちに湧き出てくる愛情のようなものがあったからだと感じています。
読む人も、きっと日本画や芸術の知識ではなく、どんな人間が作り出した芸術なのか。どんな生き様や情熱からこの作品が生まれたか、が知りたいのではないかと思っています。
芸術は、観る側が自由に解釈して良いものだと思うのです。
さて、前書きが長くなりましたが、そんな仕事ができたのも
そして文章を書くこと自体が好きなのも、
人と語らい、自然と交わり、海風に心が浄化され、山に癒されるのも
この冬の夜空の美しい星空にうっとりするのも、それを誰かにシェアしたくなるのも。
結局、それが人間だから、なのではないかと思います。
感動したいという心、それを読者の方と分かち合いたいという心が、無知な私に書く力と勇気を与えてくれたのだと思います。
私はもともと横浜の山の上の田舎に育ちました。
そして結婚を機に、現在は鎌倉の海の近くに住んでいます。
ここで子育てをし、家庭を築き、友と語らい、仕事をしています。
自然を心に感じながら生きるということの素晴らしさを私自身も感じていますが、
芸術家に限らず、素晴らしい人生を送っている人生の大先輩への10年にわたる取材で、大きな共通点があることに気が付きました。
それは、「いつも心に自然がある」ということ。
多くの方には幼少期、恵まれた自然環境がありました。
中には異国で育ち、日本の田舎になじめない方もいましたが、心にはいつも自然があり、自然を愛し、宇宙の中の地球、その中の自然、それに生かされている自分。
という思いを、ほとんどすべての方が感じていました。
取材するに足るだけの功績や努力を重ねた人たちは、
高みを目指そうとするスタートはそれぞれ別の興味や特技であっても、
最後には人間の儚さ、同時に自然の雄大さ、そして宇宙の真理というところを探ろうとする永遠の旅人であるということがわかります。
もちろん、ヘッセもその一人です。
なぜ、人間は人間であるのか。そのような問いを抱き続けるということと
自然に活かされている、宇宙の中のちっぽけな存在であると自覚することと、
そして、そのちっぽけな人間という存在を、愛しているということは
同じことなのかもしれません。
人はなぜ、旅をするのか。なぜ、異国の風景や建物を見たがるのか。
なぜ、エキゾチックな空気を吸いたがるのか。どうして、旅は快感をもたらすのか。
人はなぜ、海や川で泳いで爽快な気分を味わうのか。どうして汗の滴る激しさで球技に打ち込むのか。なぜ、スキーで峰々を滑降し、深い雪を掻き分けつつ行進するのか。
それらの理由は一つだ。
わたしたちが自分自身の人間的感覚を求めてやまないからだ。
見る、聴く、味わう、感じる、耐えられる、まだ上手に動かせる、美を見分けることができる、感動できる、呼応する心が豊かにある……。
自分がこれほど感性と躍動に満ちた人間であり、その感覚をありありと確認することに生の快感を覚え、自分自身の存在を喜ぶのだ。
「ある旅の日」
今、私たちの多くは、そして「東京ウーマン」読者のみなさまはとくに、
都会で暮らすあるいは働くという生活をされていることでしょう。
無表情で電車に乗り、人からされた善意に、笑顔で「ありがとう」というべきところを、つい「すみません」と恐縮してしまう。
それはまるで「そこにいてすみません」「生きていてご迷惑でないでしょうか」と自分の存在価値を自ら下げているようにも聞こえます。
それは、好きでやっていることではないから、やっぱり疲れてしまうのです。
本当はもっと感じることのできる存在だ。
それを認識したいから、私たちは旅に出たり、自然に癒されたりするのでしょう。
今年一年。たくさんのできごとが、あなたにも、私にも降りかかりましたね。
その中で、本当に人間らしく、心で感じたことはいくつありますか。
一つでもあったなら、どうぞ自分は感性豊かだと自信をもって、来年はもっとたくさんの感動を作っていきましょう。
もしも、そんな思いを今年一度も抱かなかったのなら、自分には豊かな感性が眠っているんだ、眠っているだけだと信じて、来年はその感性の花をぜひ咲かせてください。
私はこの一年も、この十年も、たくさんの感性豊かな方々と巡り合い、磨かれ、癒され、ときには自省する場面もありました。
豊かな感性に彩られた毎日であったと感謝するとともに、その機会をくださったすべての方に、心から感謝したいと思います。
10年続いた仕事から卒業する来年は、また新しいことがやってくるでしょう。
あなたのもとにも、今年とは違う来年が、それも素晴らしいsomething new!が訪れるはずです。
ヘッセの強く暖かい言葉の数々。
21回もご笑覧いただいた読者のみなさま、ありがとうございました!
冒頭で予告しましたとおり、来年一月からは、また新たな作家さんの、心に響く言葉をご紹介してまいりますね。
ヘッセがもっと好きになった。
ヘッセは読んだことなかったけれども、読んでみたくなった。
そんな読者の方が一人でも多くいらっしゃることを願っております。
今年もあと少し。
少しぐらい何かをやり残したっていいのです。だって人間なのですから!
このあわただしさも、クリスマスの華やぎも、年末年始の清々しさも。
心の持ちよう次第で、すべてみなさまの心に豊かさをもたらすはずです。
良いお年をお迎えくださいませ。
Frohe Weihnachten☆ und
Ein Glueckliches neues Jahr !!!