新しいあなたへ~新シリーズ「ココロの処方箋」~ヘッセの言葉⑱~ |
9月に入り、防災の日に災害について考えた数日後、
北海道で大地震が起きました。
大切なかつての部下が、家族で幸せに暮らしている場所でもあり、心配で連絡を取りました。
親交の深い友人と連絡がつき、ほっとした一方で、地震のリスクが少ないと思われた場所で、多くの犠牲者が出てしまいました。
自然という素晴らしい芸術は、こうして一転して牙を剥くことがあります。
つねづねそう思ってはいましたが、関西の大雨被害に続き
短期間でこれだけの自然災害が重なると、やはり人間は地球に大きな負担を掛けてその歴史を歩んできたのだと反省せざるを得ません。
この度の災害で被害に遭われた方すべてに対し、物心合わせた生活の回復を心よりお祈り申し上げます。
私事ですが、9月は私の生まれ月です。
台風が多いと言われている月でもあり、17年前の9.11という日を思い出す人もいるかもしれません。戦前の関東大震災も、9月に起きた自然災害でした。
長らくの間、私たちは平和に暮らしてきました。
しかし、その「平和」は、私たち日本人の身の回りの「ごく一部の平和」だと認識したのは、私がドイツへ留学した18歳の春でした。
ベルリンへ留学しましたが、当時のベルリンは東西ドイツが統一して2年ほどしか経っていない、混沌とした暗い雰囲気が漂っていました。
平和だと思っていたのは、自分だけだったのだ。
ドイツでは、2年前まで「先進国西ドイツ」と「共産国東ドイツ」に分かれ、国境沿いでは東ドイツ兵が自国民に向けて脱国しないようにと銃を突き付けている…。
今の、北朝鮮と韓国の関係性を考えればわかりやすいでしょうか。
自然災害にしろ、こうした人同士が招きよせた戦争状態にしろ、
世の中が理不尽であり、世知辛く、殺伐としていると感じたときに
ヘッセのこんな言葉を思い出します。
救いとは愛だ。
とはいっても、誰かから愛されることが救いになるという意味ではない。
救いというのは他から何かを与えられることではない。
自分が誰かを、あるいは何かを愛せるということが救いそのものなのだ。
(『クラインとヴァーグナー』)
先日、実家から大量に送られてきた私の昔の資料。
学生時代のモノもあり、社会人になってからのモノもあり。
結婚前のいろいろな書類が、自宅に舞い戻ってきました。
それを整理してみると、私はずっと周囲の人から愛を受けて生きてきたのだと感じることができました。
愛によって育てられた私は、その愛を周囲に返さないといけません。
私のまわりには愛する子供や夫、両親や兄弟、付き合いの長い仕事仲間、辛いときに一緒に泣いてくれた古い友達、頼りになる友人や、憧れの存在でい続けてくれる人。
仕事で出会う、素晴らしい人生の先輩たち。
実家で飼っていた歴代の猫たちや、愛すべき故郷の景色。
今住んでいる愛おしい住環境。成長させてくれたドイツやその中で出会った人々。
苦々しい思い出さえも、自己成長のために必要だったと思える愛しい経験です。
振り返れば、自分が生まれてから現在にいたるまで、
こんなにもたくさん愛すべき存在がいることに、改めて気づかされます。
愛をもらうことが幸せなのではなく、
愛すべき存在がいることが幸せそのものである。
社会や自然環境が不安定なこの時代にこそ、胸に留めておきたいヘッセからの暖かくも力強いメッセージです。
今日も明日も、みなさまのまわりに愛がありますように。
Schoenen Tag noch!
Text by Akiko Sekiguchi