古典落語de「見栄もほどほどに…」 |
「世間は張り物」ということわざがあります。いかに内実が苦しい状況であっても、何かと世間体を取り繕ってしまうのが人間の悲しい性である、という意味ですね。
今日ご紹介する落語には、まさにこのことわざを体現する(?)夫婦が登場します。
今日は大晦日。長屋では、ほうぼうから餅をつく威勢の良い音が響いています。
その音を聞きながら、ため息をつくおかみさん…。
「うちからだけお餅をつく音が聞こえないなんて、恥ずかしいよ。お前さん、何とかしておくれ!」
お金がなくてお餅がつけないことを嘆き、亭主におねだりするおかみさん。
「よ~し、わかった。おめえがそこまで言うんなら、うちでも餅をつこうじゃねえか!」
何かを思いついたらしく、急に威勢のいいことを言いだす亭主。
「本当かい! うれしいねえ! あたしゃなんでも協力するよ!」
喜ぶおかみさんをしり目に、亭主は急に外に出て行ってしまいました。
おかみさんがあっけにとられていると、今度は戸口を叩く音が…。
「こんばんは。餅屋でございやす! 遅くなっちゃってすいやせん!」
何やら、聞いたことのある声…。
それもそのはず、亭主が餅屋の声色を真似て(それも3人いる想定!)、戸口を叩いていたのです。
驚いて訳を訊くおかみさんに、亭主が仰天プランを打ち明けます。
なんと、外に聞こえるように餅屋の声や餅をつく物音を出して、隣近所をだまそうというのです!
バカバカしいと取り合わないおかみさんでしたが、そんなことはお構いなしにどんどん準備を進める亭主。
餅屋一行に気前よく、ご祝儀(に見立てたちり紙)やお酒(に見立てた徳利に入れた水)を振舞い(自作自演なんですけどね…)、かまどに火を入れ(るふりをし)もち米を蒸し(これもパントマイム…)、さあ、すっかり餅つきの準備が整いました。
いよいよ餅つきです。
「おい、おっかあ。臼を出せ!」
おかみさんに命令する亭主。
「臼? 臼なんか、うちにないじゃないか?」
「何言ってんだよ、あるだろ。……着物めくれ」
「え? 何?」
「早く…尻を出せっていうんだよ!」
なんと亭主は、おかみさんのお尻をペタペタ叩いて、その音で餅つきを表現しようというのです!
「いやだよ、恥ずかしいじゃないか~」
「何言ってんだよ、さっき何でも協力するって言ったじゃねえか!」
恥ずかしがるおかみさんに無理やりお尻を出させて、餅屋になりきって手水をかけながら、ぺったんぺったん餅つき(の真似)をする亭主。
「コラショ、ヨイショ…そらヨイヨイヨイ! アラヨ、コラヨ…」
「痛いよ、冷たいよ~」
「おいおい、臼が逃げちゃいけねえや!」
そのうち、おかみさんの尻はまっ赤に…。
「そろそろつき上がったようだ…それっ、こっちへあけるよっ、と…次は二臼目だ」
たまりかねたおかみさん、
「餅屋さん・・あと幾臼あるの?」
「へェ、あと二臼です」
「おまえさん、餅屋さんに頼んで、あとの二臼は…おこわにしてもらっとくれ」
亭主の見栄につきあったおかげで、大変な目に遭ってしまったおかみさん。本当に気の毒ですよね。
この亭主の行動は、現代的な見方をすればある意味、夫からのドメスティック・バイオレンス、または人権侵害とも取れてしまうものだと思うのです。もし私が友人から「夫からこんなことされた!」と聞かされたら、ものすごく憤慨して、きっとシェルターや弁護士さんなどに相談するように進言すると思います。
でも、落語家さんの腕にかかると、なんだか仲良し夫婦のじゃれあいのように見えてくるから不思議…。おかみさんが気の毒だなあ、この落語、ほんとに男尊女卑でひどいなあと思いながらも、落語家さんの巧妙な話術や動きを目の当たりにすると、不謹慎だとわかっていながら思わず笑ってしまいます。
立川談志師匠曰く、「落語は人間の業(ごう)の肯定」。不謹慎なことや人間の至らなさを笑いにする、これも落語の妙味なのかもしれません。
この亭主のふるまいも、おかみさんの災難も、すべては「見栄」「世間体」という煩悩のなせるわざ。
もうすぐ大晦日。除夜の鐘で、108つの煩悩がひとつでも消せるといいなあ…(と思いながらも、それができないのが人間の愛すべきところでしょうか)。
来るべき新年が、皆様にとって素晴らしいものになりますように。