まるでお茶の間博士!「石坂浩二」さんの言葉~新シリーズ『言葉のチカラ』 |
最近はめっきり少なくなったクイズ番組ですが、ひところまでクイズ番組と言えば「石坂浩二」さんの名を思い出す人も多かったのではないでしょうか。
回答率は抜群。お茶の間の番組でも、次から次へと石坂さんの口からうんちくが溢れだす様子を見て、「良くそこまで知っているな」と感心したものでしょう。
石坂さんも50年以上のキャリアを持つ御尽。近年はその風情ある佇まいに、役柄も重鎮役が目白押しです。それだけに、日本人の歴史観や偉人の残した功績やその考え方には一家言あります。今回は、歴史に熟知した石坂さんの発言から、幅広い視点での言葉をご紹介します。
日本人は順応することが得意な民族。
一方で古いものを簡単に捨て去ることができてしまう人間になってしまった気がします。
歴史から学ぶということを、もう一度考えるべきです。
石坂さんのデビューは『七人の侍』。大学在学中のことでした。いまや博識ぶりが有名で「マルチタレント」の色の強い石坂さんですが、意外にも(?)、大学卒業後、劇団四季に入団。本格的な演劇の道へ入りました。
そもそも石坂さんが「マルチ」だったのは、芸能界に入る前からだそうで、高校生のころからいろいろなことに興味を示してはチャレンジしてきたそうです。
石坂さん自身はデビュー後も「芸の肥やし」と、その興味の範囲の広さを大切にしていましたが、まだ若かりし頃は周囲から理解されずに「器用貧乏」と揶揄する人もいたそうです。
周囲の評価をよそに、石坂さんは「それでも演劇は『総合芸術』だと思っていた」と飄々としています。これまでの長いキャリアでさまざまな出来事があったでしょうが、それをみじんも感じさせないのも、石坂流の生き方なのだろうと思えてきます。しなやかな生き方は折れない生き方でもある。そんな心のありようを考えさせられる取材のひとときでした。
さて、そんな石坂さんが語気を強めたのは、当時、撮影中だったNHKドラマ『坂の上の雲』の話に話題が及んだときです。石坂さんは「日本海軍の父」と異名を持つ山本権兵衛役で出演。山本自体の書き残した書面等の少ない、難しい役どころを見事演じました。
石坂さんを博識だと言う筆者に対し、「歴史上の偉人から比べればちりほどもない」と謙遜なさいました。役柄を演じるために、多くの史実や資料から学びを忘れない石坂さんだからこそ、自らのことを高く評価することを嫌ったのかもしれません。
幸い、今は当時より少し、日本人自身が日本のことを知ろうとする機運に包まれています。石坂さんが「簡単に忘れるな」と特に強調した戦争という出来ごと、それに立ち向かい、苦悶し、歩まざるを得なかった人たちのことを、まだのこる夏の余韻に包まれながら、考えることで、私たちの「今」そして「未来」が見えてくるかもしれません。
ポジティブに生きると言うことは、心と体の健康に不可欠。
好奇心を持ち続けることがその秘訣です。
歴史観で熱く語った後、石坂さんはおじいさまのお話をされました。
筆者も石坂さんから伺って初めて知ったのですが(失礼!)、石坂さんのおじいさまは1932年のロサンゼルスオリンピックで日本選手団長を務めた方。そのおじいさまが、石坂さんに子供のころから口を酸っぱくして言っていたのが「体を使え」ということだったそうです。
俳優業も体力が勝負。良い芝居をするためには、体が健康でなくてはなりません。どんな仕事もそうですが、俳優業の場合はとくに一人でする仕事ではありません。もしも怪我や病気で出演ができなくなれば、必ずしも代役もいないことはないけれども、場合によっては代役が立てられずに映画やドラマ自体が延期になってしまうということも。
一人ひとりの健康は、一人だけの問題では済まされないものです。
石坂さんの場合、金田一耕介役がハマリ役のシリーズや、ドラマ「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」などレギュラーで長い間務め上げる役も多かったため、その責任感はなおさらなのでしょう。
だからこそ、おじいさまの言葉を肝に銘じて、健康には気遣っているそうです。自分のコンディションは、自分だけのものではない。そのためにはつねに機嫌よく、ポジティブに生きる。簡単なようでいて、じつはこれがとても難しいもの。
たとえば、仕事をともにするチームの中に、不健康な人がいても困りますが、不機嫌な人がいても困ります。健康に気遣うことは出来ても、心の健康にまで気遣える人はそう多くはありません。自分の心の健康が、向き合う他者の心の健康にも影響を及ぼすということまで考えられたら、この世界はどんなに素敵でしょうか。
どんなときにでも好奇心を持ち、「自分ごと」と「他人事」を同じように考えられる人になると、きっと石坂さんのような柔らかな表情の人になるのだな、そう感じさせてくれる懐の深い人でした。