古典落語de「交渉決裂!」 |
ビジネスにはつきものの交渉ごと。最初はうまくいっていたのに、何気なく言った一言が致命傷となって交渉決裂…こんな失敗をしたことはありませんか?
今回ご紹介する落語にも、不用意な一言で交渉ごとをこじらせてしまった人物が登場します。いったいどんな事件が起きたのでしょうか。
与太郎の仕事は大工。普段は頭のねじが一本外れたような愚鈍な男なのですが、仕事となればまるで別人。超一流の腕前の持ち主です。
かねてから与太郎に目をかけている棟梁の政五郎は、最近仕事にちっとも出てこなくなってしまった与太郎を心配して、彼の長屋を訪ねました。
大工道具がないから仕事に行かれなかった、と言う与太郎。よくよく聞けば、家賃を一両八百文(今の貨幣価値で12万円くらい。一両が10万、八百文が2万円)も溜めてしまい、家賃のかたに大家に大工道具を持っていかれてしまったとのこと。
政五郎は与太郎に小言を言いながらも、道具箱を返してもらうためのお金を用立てることにします。
政五郎が手持ちの金を数えてみると、何とか一両は準備することができそう。
「足りねえったって、たかが八百だ。一両は持ってくんだ。いくら因業な大家だって文句はねえだろう。ちゃんと謝って、返してもらうんだぞ」
政五郎はこう言い含めて一両を渡し、与太郎を大家の家に向かわせました。
ところが与太郎は大失敗。大家を呼び捨てにしたり、大家に向かってお金を投げつけたり、大家の陰口を本人の前で言ってしまったりと、さんざんな対応をして大家を怒らせてしまいます。
ついには大家に「八百持ってくるまでは、大工道具は渡せねえ! この一両は内金に貰っておくからな!」とやり込められ、すごすごと長屋に戻ってきてしまいました。
与太郎の話を聞いた政五郎は、「まったくおめえはしょうがねえ野郎だな!」と呆れ顔。同時に、大家の因業ぶりに腹を立てます(実は政五郎、しみったれで意地悪なこの大家が大嫌いなのです)。可愛い部下のために一肌脱ごうと決めた政五郎、与太郎を伴って自ら交渉に向かいました。
普段あまり顔を見せない棟梁が訪ねてきてくれたとあって、大家は上機嫌です。ところが、政五郎来訪の目的が与太郎の家賃の話だとわかると、だんだんと雲行きが怪しくなってきます。
事情を話して頭を下げ、どうか道具箱を返してやってほしいと頼む政五郎に、
「ところで棟梁、あとの八百をどうしようかね?」
と、さりげなく探りを入れる大家。これに対し、
「なあに、『たかが八百』だ。与太郎に工面させてじきに払いますから、今日のところは、その一両で何とか、道具箱を返してやっちゃあもらえませんか!」
と、明るく答える政五郎。
カチーン!!!
「今何てったい?…『たかが八百』だって?」
政五郎のこの言葉が、金に細かい大家の気持ちを逆撫でしてしまったようです…。
「気が変わった。やっぱり返すのよすよ。びた一文欠けたって、あたしゃ返さないよ」
「しまった!」と思っても後の祭。政五郎がいくら謝っても、もはや大家は聞く耳を持ちません。この後、大家は政五郎にさんざん嫌味を言い続けます。
我慢に我慢を重ねながら謝って、何とか道具箱を取り返そうと交渉を続ける政五郎でしたが、とうとう堪忍袋の緒が切れる瞬間がやってきてしまいます…。
「何をぬかしゃァがんでぇ! べらぼうめぇ!」から始まる、政五郎の長い長~い啖呵。ここがこの噺最大の聴きどころです!
因業大家の過去を丸裸にしてこき下ろす、鮮やかな啖呵の「言い立て」。しみったれで意地悪な大家が、政五郎の威勢のいい啖呵でコテンパンにやり込められる様子は、まさに痛快。思わず歓声を上げ、拍手を送りたくなるような名場面です(このシーンはとにかくすごい! 落語家さんの話芸を堪能できます。絶対聴いていただきたい!)。
我々は自然と、政五郎&与太郎に感情移入します。だからこそ、政五郎が胸のすくような啖呵が、我々の心の憂さを晴らすのですよね。
でもですね、ちょっとひっかかるんです。
冷静に話の流れを追っていくと、大家は、人間性にこそ多少問題があるかもしれませんが、言っていること自体は至極まともだと思いませんか?
どちらかというと政五郎のほうが無理なことを吹っかけているというか、どこか甘えの気持ちで交渉に当たっているということに気がつきます。
大家にとって与太郎の道具箱は、いわば借金の担保。それを返してもらうためには、きちっと耳をそろえてお金を持っていくべきだったのではないのかなあ。
お金を貸している大家から「八百文、後でもいいですよ」と言われたならまだしも、借りている側からいきなり、「八百文なんて大した金額じゃないから、あとでもいいでしょう? まけてくださいよ~」と言い出すのは、ちょっと虫が良すぎはしないか…?
そもそも大家が因業であることは既にわかっているのですから、もうちょっとうまい交渉の方法はなかったのかなあと思ったりもします。
政五郎の啖呵の中で明らかになることですが、この大家は極貧状態から爪に火を点すような暮らしをして身代を大きくし、町役人まで上り詰めた人物。その背景を考えると、「お前さんにとっては『たかが八百』かもしれないが、あたしにとっては大枚だ」という大家の台詞は、貧乏のどん底から必死で這い上がってきた人の言葉として、何か重いものを感じます。
自分の価値観をそのままぶつける、相手はわかってくれるだろうと思い込んで自分軸で交渉に当たると、とんでもない失敗を招いてしまうことがある。相手のもつ背景や価値観などを理解して慎重に言葉を選ばないといけないな、と思わせられます(虫が好かない相手との交渉ごとならなおさら…)。
おっとっと、あまり理屈っぽくなっちゃうのはいけませんね。
話を元に戻しまして、政五郎の啖呵の後の展開ですが…。政五郎はなんと、お奉行所に訴えを起こします。裁くは時の南町奉行、大岡越前。越前の粋な裁きがどのようなものだったかは、聴いてのお楽しみ、といたしましょう。
最後にもうひとつの聴きどころを。
政五郎が啖呵を切った後、「ほらっ、おめえも毒づけ!」と政五郎に焚きつけられる与太郎。政五郎の真似をして一生懸命啖呵を切りますが、これがもう、グダグダ(笑)。でも、それがたまらなく可愛らしく、思わず顔がほころんでしまいます。
政五郎の見事な啖呵が堪能できるとともに、落語の世界随一の癒しキャラ、与太郎の魅力もたっぷりつまった「大工調べ」。ぜひ聴いてみてくださいね。
おススメCD:「黄金餅/大工調べ」 落語名人会21/古今亭志ん朝13(ソニー・ミュージックレコーズ)