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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2016-10-19
あなたを強くするローマ人の言葉⑩~塩野七生『ローマ人の物語』より~

秋が深まってきました。日中、真夏日のような気温に上がる日があっても、朝晩の涼しさが心地よい季節。運動会にお月見、遠足、ハロウィン。子供たちも大喜びの10月です。そんな子供たちの姿を見えると、自分の生きている時代だけでなく、子供たちの生きる未来、子供たちが親になった時代、おじいちゃんおばあちゃんになった時代・・・と、この先の未来の平和を願わずにはいられません。それと同時に、この平和な日本を築き上げてきた先人たちへの感謝も胸にこみ上げてきます。

以前、ある住職の説法を聞く機会がありました。

「両親、祖父母、子供、孫・・。(曾孫や曾祖父母のいる方もいますが)。自分の生きた時代を共有したこれらの人たちではなく、それより上の名前もよくわからない世代、あるいはまだ生まれていない世代。この『自分から見て名前がわからない世代』を、先祖といい、子孫というのです。自分の眼から見える範囲の世代は「わたくしごと」。見えない世代にまで思いを馳せることが大切なことです」

趣旨としてはそのようなことをおっしゃっていました。当時私は独身でしたが、なるほど!とうなり声を(心で)上げたものです。

日本人には、元来この「先祖や子孫」にきちんと向ける目を持っていたと私は信じています。

(とはいえ、ときどき首をかしげるのは「わしの眼の黒いうちは!」などという表現。自分がこの世にいなくなったら、もういいのか?と突っ込みを入れたくなることもあります。)

1300年の時を越えて建ち続けた法隆寺は、スカイツリーの構造設計の際に五重塔を参考にしたというほどで、かつての宮大工の技術がいかに素晴らしかったかを物語っています。逆に言えば、現代の建築家たちが高く強い建物を作るのに、1300年もさかのぼらなければ、お手本がなかったということにもなります。

「すべての道はローマに通ず」という言葉を聞いたことがある方は多いと思いますが、これは比喩ではなく、実態を語ったものでした。なんと2000年もの昔に、古代ローマ人は強固な道を敷き、橋を渡し、水道を作り、医療の細分化(!)に伴う弊害から国民の健康を守るため、浴場を整備。今にも残る数々のインフラを整備し、古代ローマ帝国が滅びるまで、メンテナンスを続けてきました。

今回は、古代ローマのインフラについて語った第10巻から、現代人の心にも響く言葉をご紹介します。

 

大事業とはもしかしたら、必要性だけでは充分ではなく、名誉心とか誇りとかがプラスしてこそ、成るものなのかもしれない。

 

これは、ゲルマン侵攻のためにライン河に掛けた木造の橋を作った際に、カエサルが(船で渡るのではなく橋を作った理由について)「自分とローマ市民全体の名誉のためである」と話した(と言われている)ことをうけて、著者の塩野七生さんが述べた言葉です。

この橋自身は、ローマ兵がゲルマン民族の地へ入り、用を終えたとたんに火を付け燃やしたのですが、塩野さんの感じたように、大事業になるか否かは、必要性は当然ながら、どれだけ当事者たちが誇りをもって成そうとしたかに掛かっているのだと思います。それと同時に、インフラを享受する側も、それによって誇らしく思えるかどうか。これが継続する事業かそうでないかを決めているような気がします。

阪急宝塚グループの創始者、小林一三は、畑だらけの土地に電車を通すための事業を知人から引き継ぎました。電車を通しても、これだけ人がいなければ、だれが乗るのだろう・・・。

そこで彼は周囲の土地を買い取って分譲し、日本で初めて「ローン」という制度を作って、サラリーマンが「夢のマイホーム」を買えるようなしくみでその手助けをしました。その先には世界初、「女性だけの歌劇団」を作って観劇に行くような「夢の場所」を作り(当初は不評だったようですが)、駅には日本初の駅ビルを作り、デパートの中で外食をするという「非日常の喜び」を日本人の生活に取り込みました。

その事業は100年以上経った今も、阪急電車、阪急デパート、宝塚となって継承され、高級住宅地に住むこと、狭き門である宝塚歌劇団に所属することが誇りとなって、当事者にはもちろん、それを見る人たちにも夢を与え続けています。

ただ便利なだけのインフラとしての電車敷設だけだったら、おそらくこのような発展はしなかったでしょう。日本に事業家はたくさんいますが、その中でも彼はインフラを「文化」にまで昇華させた稀有な日本人経営者だと思います。

私たちのまわりに、こんな「大事業」はないかもしれません。けれども自分の受け持つプロジェクトや仕事が、良いものになるかどうかはやはり、誇りをもって取り組むことが大切だということは、言うまでもありません。そして、その背中を子供たちが見て育っていけば・・・。仕事の楽しさ、生きることの充実感、人を喜ばせ、必要とされることの意義。これらを子供の心の中に育むことができたとしたら、それこそ人間としての立派な「大事業」だと思うのです。奇しくも先日、ノーベル医学賞に日本人の大隈氏が選ばれました。日本人はこれで3年連続ノーベル賞を受賞したことになります。彼らは周りに何を言われようとも、夢を持って、自分の研究に信念をもって生きてきたのだと思います。

白いジャケットがトレードマークの某議員のように「二番じゃだめですか」という発想では、ノーベル賞はおろか、大事業など生まれようもないのです。

誰もが誇りをもって、それぞれの一番を目指す。そんな希望溢れる社会の中でこそ、未来は育まれていくものです。

 

優れた武将は、組織づくりの巧者である。

 

これは、カエサルの遺志を継ぎ、初代皇帝になったアウグストゥスの右腕、アグリッパについての言葉です。アウグストゥスは以前にも紹介したとおり、文武両道、貴族出身、男性にも女性にもモテるという万能の天才カエサルとは異なり、「仕事のできる秀才」タイプでした。しかし、「良きリーダーとは二種に分かれる」とマキアヴェリが言ったように、なんでもできる天才型がカエサルだとすると、自分のできることを理解したうえで、できない分野は適材に任せるというタイプが、アウグストゥスでした。

そのアウグストゥスが「武」の部分を任せたのが、アグリッパです。武将として長けていたアグリッパは、戦いから離れ、公共事業を任されたときもその統率力、統制力に能力を発揮して、240人もの技術集団をまとめ上げ、後世に残るインフラを整備しました。それも、敗者である奴隷を技術者集団に育て上げて、この時代の公共建設を一任されてきたのです。

戦の長とは洋の東西に関わらず、さまざまな個性をまとめ上げ、一つの目的を達成するために叱咤激励しながらも、組織を作っていくことが重要です。戦という場所から公共事業へと活躍の場所を移しても、そのリーダーとしての器がアグリッパには備わっていたということでしょう。

たとえば、企業の採用に際しても、部活やサークルを取りまとめた経験のある学生はいつも人気がありますが、不特定多数を共通の目的まで達成させるという仕事は、学生であっても、社会人であっても、古代でも現代でも、リーダーには必要な要素だとわかります。

ちなみに、かく言う私は、まったくリーダータイプではなく、さりとて「その他大勢」にもなれないタイプでした。中学生のときは学習塾で「一匹オオカミ」と言われ(笑)、大人数で徒党を組むのを嫌がり・・・。

ドイツで「リーダー」として、小さな物販店を再建させることに成功すると、「ボス」扱いされるのに違和感を抱いて、ボスの座を捨て帰国。その後日本で27歳にして100人の社員をまとめる取締役に就任させられること4年。まだまだ未熟な自分が人を率いる立場にいることに、やはり違和感を抱いて、独立。周囲から助けて頂きながらも、組織を離れて、早10年が経ちます。

リーダーになる人。ならない人。なれない人。グループで能力を発揮する人、一人で仕事したほうが、社会の役に立つ人。いろいろな立場の、いろいろな役割の人たちが共存して社会が成り立っています。このシリーズは、リーダー論が多いので、素晴らしいな、と思う反面、優れたリーダーにはなれなくても、誇りをもって生きる一人の人間でありたいと思う、今日この頃です。


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