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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2015-12-16
狂言界の貴公子「和泉元彌」さんの言葉~新シリーズ「言葉のチカラ」~

日本文化が見直されている昨今ですが、狂言界にもプリンスたちが活躍しています、

今回登場するのは、狂言師の和泉元彌さん。タレントとの結婚や派閥争いなどで一時お茶の間をにぎわせた和泉さんですが、じっさいにお会いすると「芸能くささ」のない爽やかな空気をまとった、まさに「貴公子」でした。

600年続く狂言。その代々の家柄に生まれたからこそ味わった葛藤や苦労は、多少のもめごとをも蹴散らしてしまう力を培ったのかもしれません。歴史や責任の重みと戦ってきた和泉さんの言葉をご紹介します。

 

別の世界に生まれることを夢見ても意味がない。

自分が与えられたこの「場所」で出来ることを精いっぱい考え実行していけば、いつしか先人への感謝へと変わります。

 

代々受け継がれた家業があり、長男として生まれた元彌さんに、生まれた時から職業が定められていることに対する反発はないのかという質問を投げかけた時の言葉です。

元彌さんは「自然に運命を受け入れてきた」と語ったうえで、上記のようにお話しくださいました。

その語り口には、自身が歴史を紡いでいるという矜持のようなものが感じられました。

100年で「老舗」と言われているなかで、600年という途方もない時代の積み重ねがあり、途絶えることなく紡がれてきた伝統文化。その大きな流れの中にいるからこそ、自分はその流れを次の世代へ紡いでいる立場であって、自分の欲で流れを止めたり、一時的な夢に惑わされることなど許されないという責任感が自然と備わっているのでしょう。

元彌さんのように壮大な時間の中で生きている人を見ると、おのれの小ささや強欲さに反省することしかりです。私の生まれて初めての親友はヨーロッパ人でした。その容姿、生活スタイルなどは子供心に憧れの対象で、「どうして私はこんな顔しているのだろう」「どうしてあの子みたいに○○じゃないんだろう」と、つねに自分にないものを相手に見つけてはうらやましく思っていました。

恥ずかしながら、大人になってからも、自分よりも境遇の恵まれた人を見ては、「親の七光りで羨ましい」というような卑しい目つきで眺めることもたびたびありました。

でも、自分のコントロールできない境遇についてあれこれ考え、悩むことは、けっして建設的ではありません。それぞれの生い立ちにはそれぞれの意味があり、役割がある。

隣の芝生の青さに目を奪われるのではなく、目の前にある自分の畑をしっかりと耕すことの大切さを、元彌さんの清々しい「生い立ちへの割り切り」が教えてくれたのでした。

そして、インタビューを重ねていくと多くの素敵な人たちが声をそろえて発していたのが「先人への感謝」という言葉。親や身近な人たちへの感謝を越えて、会うことの叶わない先人たちへ感謝の思いを抱いている人たちは、総じてきらきらと輝いています。

過去に感謝し、未来を想う心が、「今生きているその人」を輝かせているのでしょう。

 

「笑い」というのは、辛苦を乗り越えるために必要な人間の智恵。

だからこそ、苦労をしてでも守り続けていく価値があります。

 

ご存知のように、狂言とは日本の伝統的な喜劇の世界です。人間社会の不条理や皮肉、教訓などを喜劇の世界で表現しているわけですが、なぜ、「喜劇」である必要があるのか。

みなさんもそうお感じになったことはありませんか。

元彌さんは言います。「ただ『生きる』ためになら、笑いというのは必要ないものかもしれません。けれども人が『豊かに生きる』ためには、人は笑いが必要だったのではないでしょうか。どんな辛苦をも風刺して笑い飛ばす力を、笑いは与えてくれます。これは先人たちが紡いできた人類の智恵と言えるのではないでしょうか」

苦難の時にこそ、笑いが必要。そう語る元彌さんは、新潟大地震の際、二日間にわたり現地に向かい、狂言を披露してきたそうです。援助物資を配ることも必要。だけど自分らしい支援の仕方は何かと考え、苦しい避難生活の中でこそ、「笑い」を提供する価値があると確信したそうです。

その後、被災者の方から元彌さんにたくさんの感謝の言葉が届けられたそうです。

「被災してから、初めてあんなに心から笑うことができました」

昨今、笑いが病気を治す効果があるという研究成果も発表されていますが、人はある出来事を笑いに変えられているかどうかで苦しみや悲しみ、そして怒りを乗り越えられたかどうかがわかるものです。

寝付けないほど悔しい思い、思い出すと涙がこみ上げるほどの悲しみ。そんな思いをみなさんも一度や二度は経験したことがあるはずです。かくいう私も海外勤務時代に受けた先輩からの嫌がらせや、生理的に受け付けなくなるほど身近な人が嫌いになってしまったこと、夢に見るほどの悔しい思いを抱いたことがあります。けれども、気が付けば、友人たちにそれらのエピソードを笑って話している自分がいます。そこにはっと気づくと、自分はあの出来事からひとつ、成長したんだなと思えるのです。

狂言のもたらす「笑い」は、時の流れに任せた人の心の自然な成長を待つのではなく、苦しみや悔しさ、悲しみの世界に取り残された人々が、そこから抜け出せるための手助けをしてくれるのだと思います。

なんと一歳半から狂言の稽古を始めたという元彌さん。これまでたくさんの悔し涙を流してきたそうです。そんなとき、母は元彌さんにこう諭したといいます。

「あなたは頑張れる子だから、この家に生まれてきたのよ」

乗り越えられない試練は与えられない。そういう言葉があるように、真の笑いを理解するには、辛苦も知らなければならないという思いで乗り越えてきたそうです。その思いは二人のお子さんへと着実に紡がれていくのでしょう。人は苦しみを味わうたびに、笑いを求めてきました。苦しみがあっても、その先に笑いがあると信じて人類の歴史を紡いできたのです。

 

だから、こうとも言えるのです。

今あなたが苦しみの中にいるとすれば、きっとその先にはたくさんの笑いが待っているはずです。

今年もあとわずか。来年も、今年以上に笑顔のあふれる素敵な年になりますように。


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