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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo 大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに… |
伝説の叩き上げ経営者「安部修仁」さんの言葉 |
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一介のアルバイト店員から、一部上場企業の社長へ。この「夢のような」階段を駆け上ったのは、100年を越す老舗であり、牛丼チェーンのパイオニア「吉野家」元会長の安部修仁さん。 「叩き上げ」「アルバイト出身」「牛丼チェーン」という言葉の連想ゲームから、つい「体育会系」を想起してしまう私は、お顔はテレビなどで拝見していたものの、実際にお会いするまで強面の社長さんかなと思っていました。 予想は半分あたりで、半分外れ。「体育会系」でバリバリ働いてきたことは事実でしたが、その雰囲気は、ロマンスグレーの豊かな髪と終始にこやかな笑顔が素敵な「ジェントルマン」そのもの。波乱万丈の人生、厳しい内容が多かったにも拘わらず、取材現場には終始笑いの絶えない和やかなムードに包まれました。 「どん底から這い上がった男」から出る言葉には、説得力があります。
自分の身に降りかかることには意味がある。 そう受け止めたとき、初めて苦難が自分の糧に変わる。
「どん底から這い上がった」と記しましたが、「どん底」だったのは安部さん自身の生い立ちではありません。そのジェントルマン風情あふれる風貌からも垣間見れるように、安部さんは生まれ故郷で、会社を経営するおじいさまから「跡取り孫」として育てられました。 いわゆる「地元の名主」とされる家柄に育った「おぼっちゃま」。お父さまが若くして亡くなっていたため、跡取りへの期待はまだ幼き安部さんただ一人が背負っていました。 しかし、レールが敷かれれば敷かれるほど、避けたくなるのが人情というもの。男の子であればなおさらだったかもしれません。 安部さんは学生時代得意だったギターを片手に、「将来はミュージシャンになる」と地元を飛び出し、上京します。当時を振り返って、安部さんは笑みを浮かべながらこう話していました。 「自分はギターを弾かせたら天才だと思って上京したら、東京には自分には歯が立たない連中ばかり。初めて自分の拙さを知りましたね」 とはいえ、音楽プロダクションに所属し、それで「食っていく」プロになってはいるのだから、天才とは言わずとも、才能はあったのでしょう。血気盛んな安部さん(とバンド仲間)はしかし、プロダクションの言われるままに演奏することに嫌気がさし、独立しようと目標を定めて、一旦音楽活動を「休止」することに。 そのとき、独立に向けた資金集めのために始めたアルバイトが、牛丼チェーン「吉野家」。当時、誰が、この若者が将来この会社の倒産という危機を救い、のちに経営者になると想像できたでしょう。もちろん一番そう思ったのは安部さん本人だったに違いありません。安部青年にとっては、資金稼ぎのための「腰かけ」のつもりだったのだから。 それからの安部さんの活躍は目覚ましい。22歳で正社員、27歳で幹部候補。30代では「吉野家倒産」の危機を救う最前線の幹部として奔走。33歳で取締役に就任、そして社長、会長へと歩み続けます。 若い時の「倒産」は、安部さんを引き立ててくれた事実上の創業者松田氏への思いもあり、衝撃と、「どうにかしなければ」という責任感を同時に安部さんに与えることになりました。 その後みごと復活劇を演じた吉野家。安部さんの指揮の下でも、経営は順調。 2003年に迎えた二度目の「衝撃」、「BSE問題に発する牛丼販売中止」という憂き目に遭うまでは。 二度の会社の危機を乗り越えてきた安部さんは言います。 「アクシデントがあったら、誰でも人のせいにしたい。けれど、原因を突き詰め、それを自分の中に求めて克服の努力をしていかないと。そうして初めて糧になっていくものです。『克服の経験』は必ず人も組織も強くします」
自分が一番可愛いのは当然です。 だけど、大切な人の対象をどこまで広げられるか。そこが本当は大事なことじゃないかな。
安部さんとの対談の中で印象的だったのは、「自分が一番でもいい」という考え。いわゆる「立派な人」と話していると、「自分にはできそうもないな」という聖人君子のような教えを滔々と話されることが多々あります。素晴らしいな、と表面上は感じてはいても、筆者のような「小人」は、「そうは言っても・・・」とか、「それができたら苦労しないのに」などという「フトドキ」な思いを抱くこともあるのです。 対して安部さんの考えは「生身の人間」らしいもの。「失敗があって他人のせいにしたくなるのは、一度は仕方がない。」「自分のことが一番大切なのは誰でもあること。」 ・・・そうやって一度人間の弱さを受け止めたうえで、一歩先に踏み出してみよう、もう一度深く考えてみよう、と「より良く生きたい」と思う人の背中を優しく押してくれるのです。 上の言葉は、安部さんが求める人材と組織の在り方についてお話しされていたときのもの。 ストイックに生きてきた安部さんから出たからこそ、そのギャップにホロリとさせられました。人の弱さを知っている人の、真の優しさに溢れた言葉です。 今、社会はさまざまなことが両極端になっている気がします。お金がある人、ない人。仕事がある人、ない人。何でも出来る人、何も出来ないと嘆く人。聖人君子のような「出来すぎ君」と、「それ以外」の人・・・。 それは、実際に両極にしか人が存在しないのではなく、あらゆる現象を二つに分けたがる世相がそうしているとも思えてきます。「美貌で多才で、優雅な生活が出来て、人柄も良くて、家庭も円満な憧れの人」と、「美貌でもなくて、特技がなくて、毎日お金のことを気に掛けなければならなくて、ついひがみっぽくなり、家庭でもぎすぎすしている私」。というように。そしてパーフェクトでなければ価値がないかのように、自分自身にプレッシャーを掛けたり、卑屈になってしまったり。 跡取りと言う恵まれた立場を投げ捨てて夢を追うも、道半ばでアルバイトに転身。その後100年を越す老舗企業であり、一部上場企業でもある会社の危機を何度も乗り越えてきた安部修仁さんの人生の乗り越え方は、自分自身を窮屈な価値観に縛られ嘆く私たちから見たらなんと柔軟で、人に対してもなんと優しさに満ち溢れているのでしょう。
人生を豊かに生きるには、すべての原因は自分にあると受け止める厳しさも必要ですが、同時に自分自身を認めることも必要。それらがあるからこそ、自分を含めた世界に対し、優しくなれるのだという「安部流人生論」。 毎日頑張っているあなたにも、ぜひ実践していただきたいものです。
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