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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2018-03-21
新しいあなたへ~新シリーズ「ココロの処方箋」~ヘッセの言葉⑫~

みなさま、こんにちは。

そろそろ本格的な春の気配が漂ってきました。

みなさんの住む町では早咲きの桜などありますか?

ここ鎌倉では、早咲きの「玉縄桜」が有名ですが、もう花は落ち始めています。

入れ替わるように、ソメイヨシノの蕾が赤く膨らんできます。

一日一日待ち遠しい春を指折り数える。

とても素敵な日本人の習慣です。

 

子供のころから「家庭」に憧れていた私は、

自分の家庭は理想的なものだと思っていました。

しかし、今思えば、「思おうとした」のかもしれません。

専業主婦で、料理やお裁縫が上手、私と違って見目麗しき母は、

ちょっとした自慢でもありました。

 

けれども、大人になるにつれ、母の個性と自分の個性の違いに愕然とすることがありました。

正確に言えば、個性の違いがあると認識している私と、

母と娘は一体であるべき。そのほうが麗しい母娘関係。

そう思い込んでいる母の思想に対しての葛藤と言えます。

 

結婚して、実家を出る時、そんな「母の縛り」から解放される喜びを感じました。

大好きだし、尊敬しているし、自慢の母でも、

その母の独占欲に耐えきれないもう一人の自分がいたのです。

 

第一子が生まれたとき、心に誓ったのは

「自分のお腹から生まれた子であっても、一人の別の人格であることを認めながら育てたい」という思いでした。

母に、そのようなことを話した時、

「あなた、けっこう冷たいのね」

と、言われたことがあります。すべてを包み込むことだけが母親の役割で美徳であると認識している母にとっては、私がわが子を突き放しているように見えたのでしょう。

でも、幼少のころから「自我」を意識し、人となんでも一緒にすることが苦手だった私。

周囲の押し付けを、何度窮屈に思ったかしれません。

それが、善意であると分かれば分かるほど、はっきりと拒否できない辛さもありました。

 

だからこそ、個を尊重しながら、それを含めて包み込むことが家族の役割なのだと信じているのです。

同一化が素晴らしいとは限りません。

 

母が言うように、私は冷たい人間なのだろうか?

周囲が言うように、私は変わった人間なのだろうか?

思春期や、出産直後の情緒不安定な時期には悩みましたが、

生来の性格のおかげで、日々においてはそんなこともすっかり気にも留めず

むしろ、それって誉め言葉じゃない?と解釈してしまう図々しさ(笑)。

 

こんな私の考えを、ヘッセが代弁してくれているということを知ったとき、

嬉しかったことは言うまでもありませんが、

私がヘッセ文学に惹かれる理由もわかった気がしました。

親とのかかわりに悩んでいる人も、子供との距離感が掴めないでいる人も、

きっと背中を押してくれる言葉です。

ちょっと長い文章ですが、ご紹介します。

 

子供たちはみな、それぞれ自分だけの新しい魂を持っている。

しかし、親たちはそのことにちっとも気づいていない。

それどころか、自分たちの子だからといって、魂のようなものも代々受け継がれていると思い込んでいるのだ。

だから、子供の考え方やふるまいが自分たちとあまりに異質だと感じられると、

それを子供っぽさや隔世遺伝や、たんなる偶然のせいにしてしまうのだ。

親たちは、それが新しい魂のふるまいだとは知るよしもない。

(『クヌルプ』)

 

 

春といえば、卒業の季節。

長男はこの春に幼稚園を卒園し、「幼児」を卒業しました。

4月からは小学生。「少年」としての新しい旅立ちを迎えます。

長男の心には、生まれたときから「母親の私ではない彼自身の魂」がありました。

そしてもちろん、次男の心にもそれはあります。

幼児として、親の保護のもとに育ってきた長男が、

これから少しずつ独り立ちを始めます。

車で送迎していた登園もなくなり、一人で歩いて学校まで行かなければなりません。

石ころもあるでしょう。苦手な友達が前を歩いているかもしれません。

車も自転車も往来し、自分自身が注意を払って、道を歩んでいくのです。

顔をあげて一歩、また一歩。

そして見上げれば、学校がある。新しい世界がある。

小学校への道のりは、人生の道のりと一緒です。

 

一日一日「少年」になっていく長男が、

生まれ持った魂をどう生かし、成長させていくのか。

親には、それをときに手助けをし、ときに情報を与え、間違った道にだけは行かないようにと指導することしかできません。

学びは自分自身の意志と力で得ないと、その人の血肉にならないのです。

 

ときに、私も子供たちが思い通りにならないと地団駄を踏むこともあるでしょう。

親心を理解してくれないと悩むこともあるかもしれません。

そんなとき、ヘッセの言葉を思い出し

子供の成長だけでなく、親としての魂の成長も止めてはいけないと振り返ろうと思います。

 

「出会いと別れ」と言いますが、

「別れと出会い」の方がしっくりきます。

何かを手放すと、何か得るものがある。

何かから卒業すると、次のステップが待っている。

 

私自身も、未熟な魂から一歩だけでも、進んでいけたらなと思います。

 

みなさまも、素敵な別れと、素敵な出会いがありますように。


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