HOME  前のページへ戻る

高橋 多佳子 ピアニスト 所属:ミリオンコンサート協会
音楽とともに歩んでいるピアニスト人生。ポーランドでの留学生活、ショパンコンクールへの挑戦など様々な経験を積み重ねてきました。 失敗も成功もありましたが、それら全てが自分を成長させる糧となっています。 そんな経験から少しでもお役に立てる情報を発信できたらと思っています。
ピアニスト高橋多佳子の前を向いて歩こう ライフスタイル 2015-02-14
「留学①」〜新たな世界へ一歩を踏み出そう〜

皆様こんにちは!ピアニストの高橋多佳子です。前回のコラムでピアニストの仕事について書かせていただきましたが、今回は私がピアニストになる上で絶対に必要であったであろう「留学」について書きたいと思います。

私は桐朋学園という音楽高校、大学で音楽浸けの日々を過ごしていましたが、卒業後の進路について、どのようにしたらいいのかなど具体的なプランが無いまま、毎日を過ごしていました。そしてとうとう最終学年である大学4年生になったある日、突然パッと留学することが決まってしまったのです!

大学には定期的に外国の音大の教授が特別レッスンに訪れていました。5月頃、ポーランドのワルシャワ音楽院からヤン・エキエル教授がいらっしゃいました。音楽の世界でポーランドと言えばショパン。ショパンが大好きだった私の気持ちを汲んでか、担当の実技の先生がエキエル先生の特別レッスンに私を推薦してくださいました。とにかく嬉しくてショパンのソナタ第3番を先生の前で夢中で演奏したのです。そして弾き終わった私に先生がおっしゃいました。

「ショパンコンクールを受けてみませんか? もし受けるのならポーランドで勉強するといいですよ」

この時の驚きは言葉で表せないほどです。5年に一度ワルシャワで開催される《ショパン国際ピアノコンクール》というのは、ピアニストを目指すものにとっては、オリンピック以上の価値があります。夢のまた夢とも言えるショパンコンクールがいきなり私の目の前に姿を現した瞬間でした。先生のその言葉で私の人生が大きく動き出したのです。

それ以降は留学のための準備に追われました。ビザの取得の為に必要な書類を整え、家探し、ポーランド語の勉強、ポーランドの情報収集など。卒業試験の準備とともに大忙しの毎日でした。しかし、そういう日々の中で迷うこともたくさんありました。外国など行った事も無いし、一人暮らしもした事が無い…。しかも当時(1988年です)、ポーランドは社会主義国で、物資も食料も乏しい時代です。明確な目的があっても不安で押しつぶされそうになることの方が多かったかもしれません。

9月、いよいよポーランドに向けて出発する日になりました。両親が成田まで見送りに来てくれましたが、その時の写真を見ると3人とも緊張でガチガチです(写真:成田空港にて。不安そう…(笑))。

うちはただのサラリーマン家庭で、全く裕福ではありませんでしたから、音楽大学に行かせてもらっただけでもありがたいのに、留学費用まで出してもらい申し訳ない気持ちもありました。しかし両親は「ダメでもともと、なんでもやってごらん」という考え方で、不安でいっぱいの私の背中を押してくれました。ポーランドへの片道切符を手に、勇気を出しての一歩を歩き始めたのです。

読んでくださっている皆様、一歩を踏み出す事に躊躇しているなら、どうぞ勇気を持ってください。その場にいるのは居心地がいいですが、何か新たなものを得るには、勇気ある一歩が必要です。


高橋 多佳子  ピアニスト高橋多佳子の前を向いて歩こう  コラム一覧>>
おすすめのコラム
ライフスタイル
夢の謎を解いてみよう
吉田 美智子
ユング派心理臨床家・…
はこにわサロン東京
ライフスタイル
人生の折り返し地点 まだ?もう?
吉田 美智子
ユング派心理臨床家・…
はこにわサロン東京
コラムのジャンル一覧