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■ 東京ウーマンインタビュー


今、心ひとつに。未来に懸けて…  横田早紀江さん、中林千代さんインタビュー vol.1

今、心ひとつに。未来に懸けて…
横田早紀江さん、中林千代さんインタビュー vol.1

■横田早紀江さん:1936年京都府生まれ。1962年滋さんと結婚し、1964年にめぐみさんを、4年後に男の双子を出産。夫の転勤で名古屋、東京、広島に住み新潟に移った翌1977年に当時13歳のめぐみさんが失綜。懸命に捜索するも何の手がかりもなく、20年経った1997年、北朝鮮に拉致されたことが判明。1997年から2007年まで「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の代表を務めた滋さんとともに、現在も拉致被害者を奪還するべく活動している。
■中林千代さん:新潟県三条市出身。戦後まもなくして教員になり、40代で新潟小学校に赴任。転入した横田めぐみさんの隣のクラスの先生であり、めぐみさんの双子の弟の哲也さんの担任。めぐみさんの小・中学校の同級生と共に拉致問題解決に向けての活動に励む。
横田めぐみさん(当時13歳)が新潟で中学校の部活の帰りに消息を絶ち、北朝鮮の工作員に拉致された事件から41年が経ちました。昨年は歴史的な米朝首脳会談が実現。2月下旬には、2回目の米朝首脳会談も予定されており、拉致問題解決に期待が寄せられています。今年に入り、今年1月にはめぐみさんのご両親を支援する小・中学校の同級生のグループの皆さんが拉致担当大臣である菅官房長官との面会が叶いました。2月には家族会が安倍首相と面会し、金正恩氏に向けての全被害者帰国を求めるメッセージ、救出運動の新たな運動方針を手渡し、全被害者の即時一括帰国も強く要望する等、動きが出てきています。
今回の東京ウーマンインタビューは、横田めぐみさんのお母様である横田早紀江さんと、活動を支援する、めぐみさんの小学校の先生でめぐみさんの双子の弟さんのひとりの担任でもあり、小中学校の同級生と共に活動され、横田さんのご家族に40年以上もずっと寄り添い続けてきた中林千代さんに、今のお気持ちと、子どもの頃のめぐみさんのことやご家族が乗り越えてきたこと、そして入院中の夫・滋さんのことについてもお話戴きました。
(2019年1月15日取材)
'可能性'に賭けて。菅拉致担当大臣との面会を受けて

Q:1月15日、拉致担当大臣でもある、菅官房長官に面会が叶いました。


1月15日横田早紀江さんとめぐみさんの同級生のメンバーで内閣府へ

中林さん:私は幾度か拉致担当大臣には新潟から会いに来ていますが、何十倍、何百倍も重ねておられる横田さんの労からしたら比になりません。今日、菅さんとお会いしたのですが、明かりが見えたという感覚で、菅さんがこの問題の中に入ったことで漂浪を抜けられる印象を抱きました。これまでの政府は『がんばります』と言っても、全く手応えのない結果ばかりで・・・。手綱はこちらが引っ張っていかなければと思ってきました。


横田めぐみさんの早期帰国求める署名を菅官房長官に手渡した

早紀江さん:平成9年に北朝鮮による拉致と発覚し、橋本首相から始まり首相は既に12人目です。その度『頑張りますから』と聞いてきて、何かが出てくるのかと信じ続けて21年が過ぎてしまいました。日本政府は、何の為にあの方々は仕事をしているのか、国民の皆さんも疑問に思っているかと思いますが、政府が何の為にあるのか分からない位、不思議な問題で動かないのですね。もちろん、北朝鮮という国が、誰が見ても何とも言えない恐ろしい国で、騙しては物をとって後は言ったことを実行しない、その繰り返しで・・・。米朝会談をもっても、核を放棄すると言っていても実際には実行していない。それに対して慎重にしていかないと一歩誤れば、戦争になってしまう。それは誰もが分かることですが、北朝鮮を取り巻く国際情勢があり、どうにもならない困難があるのです。それでも『早く連れ戻して欲しい』という日本の考え、日本の想いで行動をして、日本が直接北朝鮮と話ができるような形で交渉して欲しいと思っています。

中林さん:菅大臣と握手すると確かに熱いものがこみあげてきました。が、とにかく実行し、実現していかないと何もならないし意味がありません。そして、可能性に賭けていきたいのです。

進展のなかった日本外交

Q:昨年は歴史的な米朝首脳会談があり、事前に安倍首相が拉致問題のことをトランプ大統領に伝達されていました。


めぐみさんの中学の同級生と拉致直後に撮影されたとされるめぐみさん

早紀江さん:13歳の少女が拉致をされてまだ帰っていないという事実に対し、トランプ大統領が『日本にはまだ返してもらえないのか』と言ってくださったことが大きかったですし、そのことを米朝会談の中でトランプ氏が金氏に伝えたと言われています。詳しくは分かりませんが、大きな前進だと思っています。今後も、トランプ大統領が働きかけてくださるのを期待していますし、人間としての心を取り戻して欲しいということを伝えてくれたらと私は思っています。 41年という長い年月、もう気が狂いそうで、被害者の家族も皆、我慢の限界にきています。
今は、幸い多くの国民の方が拉致問題に対して関心と想いを持って協力してくださっています。昔は『そんなこと知らない』と知らんぷりされてしまう、本当に長い期間があったのです。世界的にも認知され、あと一歩というところかと思っています。

Q:アメリカではトランプ政権になって拘束されていた4人が帰国しました。

早紀江さん:平成9年にめぐみちゃんが北朝鮮にいる、ということがわかった時は本当にびっくりしました。工作員が凄い数の日本人を連れて行って、平気で日本はやられているのに、それに対して日本は何もできず無力なのです。

中林さん:報道機関に元工作員、と色々なところから情報が入ってくるわけなのです。元気で生きているという情報が入ってきたこともあります。昨日も韓国の新聞の記事を改めて読んできました。それには『めぐみさんは死んだ』と書いてありますが、遠巻きに北朝鮮は証拠もなしにこういったことをぶつけてきます。しかし、惑わされてはいけないのです。

早紀江さん:絶対に騙す、ずっとそうでした。トランプ大統領もそこまで知らなかったので、安倍首相の伝達もあって、大変慎重に行動をされていると思います。

毎日、病院へ。夫、滋さんのこと

Q:夫の滋様は入院されていらっしゃいますが、お身体はいかがでしょうか。

早紀江さん:昨年4月から入院しています。入院当初はかなり心配な状態で、飲み込むことができなくなってしまい、当初は点滴をしていました。でも命をもたせるには栄養をいれる必要があると胃ろうにして、流動食で栄養が取れるので、顔色も良くなってきました。手足もカチカチに固まって、ひざとひじが曲がらなかったのです。毎日のようにさすっていたら手が動くようにもなりました。温泉の砂を使った治療もしていますが、血流もよくなり、回復してきています。


2017年3月 川崎にて撮影

早紀江さん:夫は『お母さん、家賃とか大変じゃないの?』と気遣うんです。『何も心配する必要ないのよ』と声を掛けてあげたり、新聞を見て「拉致を忘れてはいけない」といった新聞の見出しを読んだり・・・。昨年末には、東京駅近くのクリスマスツリーを車椅子で見に行けるまで回復するほどになりました。

Q:めぐみさんのことは気にかけていらっしゃいますか?

早紀江さん:めぐみの写真が病室に飾ってあるのです。いつもそれを見ていて、『めぐみちゃん帰ってくるまでは頑張ろう』と声を掛けて・・・。そのことはちゃんと分かっているのです。唯一はちみつをなめることだけはできるので、昼間に少しなめてもらったりしています。誤嚥性は、高齢の方の多くに発症し、呑み込みが悪くなるのですが、一歩間違えると、あっという間に肺炎になってもしまうので注意をしています。

Q:拉致被害者家族のご家族の皆様も高齢化しています。

早紀江さん:亡くなった方も多くいらっしゃいます。有本恵子さんのお母様も93歳になり、とても容態が悪いのですが、それでも、会えると信じて頑張って生きているんです。いつも電話で励まし合っています。もう、時間がないのです。私たちは『返してほしい』、ただそれだけなのです。

Q:中林先生はめぐみさんのご担任だったのですか?

中林さん:めぐみさんは隣のクラスの子だったのです。私は、双子の弟の哲也君の担任でした。給食のときには、みんなに囲まれて、ひょうきんで皆を笑わせていたようです。めぐみさんがいると、とてもクラスが賑やかでした。


めぐみさんの小6の時の教室。めぐみさんは右から二番目列、後ろから二番目
弟さんたちを見守り、ご家族に共に寄り添ってきた歳月

中林さん:私は学校の中で転入の係だったのですが、双子の弟さんがいるという事ですごく印象的でした。当時は何が起こったのか訳が分からなかったので、ずっとどう声を掛けていいか分かりませんでした。
哲也君の様子を見て、でも見ないふりをして、気持ちの中にあって、ずっと見守っていたのです。下手に声をかけても、みんなの前で泣かせてしまっても、かわいそうですし・・・。
大変な事件に入ったことに巻き込まれてしまったことをだんだんと分かってきて、友達から辛く言われていたことで泣いていた時もあったようで、何度か気になった姿が今も胸に焼き付いているのです。仲良しの友達には『本当に自分の身になってみて』と伝えていました。もちろん誰も経験のないことで想像するのに難しいことだけれど。

早紀江さん:男の子なので、家に帰ってきても、いじめられていたことを私にも言えずに我慢していたんだと思います。学校で辛い思いをしていたことは、私に一言も言わなかったのです。私も子どもの前では絶対に泣かないと堪えていました。弟たちが学校へ行くと、気が狂うように泣いていました。辛くても、私が頭を上げていないと家族が全滅してしまうからと思って。新潟の海を見て泣いて叫んでいったこともありますし、その時は死んだほうがましだと思っていました。

Q:お2人ともご立派でいらっしゃいます。

早紀江さん:勉強どころではなかったかと。大学にも行けないと思ったほどでした。大学に入り、卒業もしましたが、家の中でも外でも、本当に2人は頑張りました。

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