HOME
■ 東京ウーマンインタビュー
活躍の場を求めて~ロシアで羽ばたく白鳥の舞~竹巻明日香さんインタビュー
前のページへ戻る
■ 東京ウーマンインタビュー
活躍の場を求めて~ロシアで羽ばたく白鳥の舞~竹巻明日香さんインタビュー

活躍の場を求めて
~ロシアで羽ばたく白鳥の舞~
竹巻明日香さんインタビュー
片岡:小さいときからバレエを?
竹巻:3歳からです。母がバレエ好きで、私に習わせたかったようです。体を動かすことは好きだったので、遊びに行く感覚で通っていました。飽きっぽい性格なのですが、バレエだけは続いています。好きなんだなと思います。
片岡:バレエ教室というのは、まだ小さい子にはどういう風にバレエを教え始めるのですか。
竹巻:スタジオによって様々ですが、柔軟性を付けたり音に合わせて体を動かすことから始めます。コンクールに出るようになったのは5、6年生からです。
片岡:そこから先はトントン拍子に?
竹巻:中学生の時は出ていませんでしたが、高校生からまたコンクールに出始めるようになって、その時に出たコンクールでドイツのバレエ学校のスカラーシップを頂いて一ヶ月留学をしました。そこで海外もいいなと思い始めたのが今に至っています。
片岡:その頃からプロとして活躍する自信があったんですか。
竹巻:全くなかったです。コンクールでスカラーシップをもらえたことも、自分ではびっくりでした。初めて海外に出て、骨格やスタイルの差を痛感し、やはり世界ってすごいなと思いました。それに、ホームシックにもなりました。

片岡:まだ高校生ですし、一人ですもんね。ドイツの何という都市ですか。
竹巻:南部のシュトゥットガルトというとても綺麗な街です。当時はサッカーの岡崎選手がその街にいらっしゃいました。
片岡:すぐに馴染めましたか。
竹巻:日本人の方もいて助けていただいたのもありますし、私自身どこの国に行ってもそれなりに楽しめるタイプです。食べることも好きで、ヌテラとか海外のチョコレートにはまりました。
片岡:女子高生らしいですね(笑)。

片岡:ご両親は心配されたんじゃないでしょうか。
竹巻:飛行機に乗って一人で行くのも初めてだったので、最初は心配していました。
片岡:その後、高校卒業と同時に本格的に海外で活動を開始しますね。
竹巻:うちの学校は中学から大学までの一貫教育でして、高校卒業後は大学に入学しました。その当時は、どこの国のバレエ団に入りたいなどとは意識したことは特になく、自分が海外でやっていけるとも思っていませんでした。日本人のバレエ人口は多いですし、コンクールに出ても必ずしも良い成績ではありませんでした。ただ踊ることが好きでバレリーナになれたらいいな、でもなれるわけがないと思って迷っていました。だから大学を出て就職して…と、現実的に普通の生活を送ることを考えていました(笑)。
ところが、大学1年生の夏にニューヨークのバレエ団のサマースクールに参加させてもらう機会があって、そこで1年間の研修許可をもらい、そこから海外で本格的に活動をすることになりました。大学は休学していたのですが、休学は2年間しかできなかったので退学することにしました。
片岡:ご家族は反対しませんでしたか。
竹巻:両親も二人の兄も常に応援してくれます。ロシアもニューヨークのオーディションも母が見つけてくれたんです。
この夏、歴史のあるアレキサンドリンスキー劇場とエルミタージュ劇場とミハイロスキー劇場で踊りましたが、主役を踊らせていただいた時に両親が見に来てくれたんです。それが今年一番嬉しかったです。

10月1日「白鳥の湖」コミッサルジェフスキー劇場にて上演予定
片岡:所属している劇団のことを教えていただけますか。
竹巻:チャイコフスキー記念サンクトペテルブルク・バレエ劇場(シアター)と言います。
以前はツアーカンパニーでいろんな国にツアー行くために集まっていたそうですが、2014年からは正式にバレエ団として設立し、サンクトペテルブルクを本拠地に活動し始めました。
片岡:2016年に劇団のオーディションを受けたんですね。感触はどうでしたか。受かる自信は。
竹巻:なかったです。同時期にニューヨークでもオーディションを受けたのですが、ビザが得られず落とされました。それで日本の大学に戻ろうかなと思っていた時に母がここのオーディションを見つけてくれ、受けたら合格したので来ることができました。
片岡:ロシアに来るのも初めてでしたよね。初めて訪れる国ということで戸惑ったことはありませんでしたか。
竹巻:オーディションに受かってからロシアでの生活が始まるまでが1ヶ月ほどしかなくて、とにかく大変でした。ビザ等の手続きで名古屋-東京を何往復もしたり、住む家は現地に着いてからホテルに一泊してすぐに探したり、こちらに来るまではこの街がどういうところかも全く想像もつかなかったですし、着いてからもロシア語が読めずに苦労しました。
ロシアというと、暗いような寒いようなイメージだったんですが、フランスと日本のハーフの子がいて、私の慣れない生活を手伝ってくれましたし、町の人もバレエ団の人も優しくて、思っていたよりもすんなりと生活に馴染めました。

片岡:現在の生活はどのようなサイクルですか。
竹巻:ここ最近、午前中はゆっくり過ごして、夕方の4時か5時からレッスンをして少しリハーサルをして夜8時から舞台です。シーズンは4月から10月いっぱいぐらいまで、毎日のように白鳥の湖を上演しています。
片岡:どんな役ですか。
竹巻:以前は大きい白鳥や花嫁候補スペインの踊りというのをやるのですが、最近は主役をやらせていただくことが多いです。こちらに来て半年ほど経った冬に1回主役を躍らせていただいて、2017年と18年はそれぞれ19回でした。今年はものすごく主役が多くて。何公演も連続で主役を踊っています。今夜も白鳥の湖の主役をやらせて頂きます。
片岡:1日何公演ですか。

11月13日「くるみ割り人形」
14.15日「ロミオとジュリエット」
いずれもアストラハンにてツアー予定
竹巻:基本は1日1公演ですが、今同時に2つの劇場で公演しています。さらに踊る劇場は4箇所ぐらいあり、そのどこかで、ほぼ毎日踊っています。翌日は劇場が違うことも多いので、夜荷物を持ち帰って次の劇場にまた持っていくという感じです。
片岡:大変ですね。日本からだとそういった詳細がわからず、観光ですと、どうしても現地でその日にやっている公演を見ることになります。そういった生活が4月から10月まで続き、他のシーズンは日本に戻るんですか。
竹巻:年末年始に白鳥の湖とくるみ割り人形をやって、それが終わると少し休みがあるので1月には日本に帰ります。2月3月にはヨーロッパツアーがあり、また少し休みを挟んで4月から新しい年が始まるという感じですね。
片岡:ほとんど休みがないんですね。ツアーはヨーロッパが主ですか。日本公演はないのですか。
竹巻:私が来る前ですが、2016年の頃に一度東京と名古屋でピノキオの公演をやっています。日本のバレエ団とコラボして踊るという内容でした。

片岡:竹巻さんは、ご自身のバレエのどういうところが一番優れていると思いますか。
竹巻:「筋肉が柔らかいね」と言われます。そのおかげもあってあまり怪我もしないです。海外の人の方が股関節の可動域が広かったりしてその分優位なのですが、自分にはそういう長所がない分、ジャンプや回転などのテクニックでカバーしようと思っています。
片岡:普段の練習はどこでやっていますか。
竹巻:劇場でレッスンをしています。時間的にはレッスンができる時間は少なくて、公演が忙しくなるにつれてみんなも怪我をしたり疲れも溜まってきたりします。1時間ぐらい軽いレッスンが普通です。多いときでも2時間くらいです。毎回劇場もメンバーも違うため、キャストの並びを決めて、あとは皆自分たちで準備して本番に望むといった感じです。
片岡:日々活動していて一番楽しい、嬉しいと感じるのはどんな時ですか。
竹巻:最後のお辞儀するときの拍手、カーテンコールですね。それをInstagram等に載せてくださるお客様がいて、「よかった」とコメントを書いてくれているのを見ると、私も「ああよかった」と凄く思います。
片岡:逆にしんどいなと思うのはどんな時ですか。
竹巻:日々同じことの繰り返しなので、団員もどんよりしてきちゃって、「ああまた今日も白鳥か」みたいな感じになることはあります(笑)。
片岡:これはロングラン公演の人は皆さんそうなんですね。ミュージカルでも名作でロングラン公演で、しかも当たり役になればなるほど毎日が同じことの繰り返しですもんね。モチベーションをどうやって維持しているんですか?
竹巻:楽しいこと見つけたり、ちょっと時間があったら「じゃあどこかご飯食べに行こうか」と友達と行ったり、そういう楽しいことを見つけてモチベーションを保っています。
片岡:現地で活躍している日本人は今の劇団だけで7人もいるんですね。
竹巻:はい。来た時は私が一番若かったのですが、今では一番年上になりました。19、20歳の子が5、6人いるので、私がしっかりしなきゃなという気持ちになります。
でも意外とロシアのバレエ学校に1、2年通って、ロシアでの生活に馴染んでからこの劇団に入る子も多いんです。

片岡:そういうパターンもあるんですね。どんな感じの先輩なのですか。
竹巻:お姉ちゃんみたいな感じでみんなを見ています。一緒に住んでいる子も年下ですし、休みがあったら可愛いカフェを見つけて一緒に行ったり、食事やプールに行ったり、旅行にも一緒に行ったりもしています。
片岡:こちらは思ったより物価が高いですよね。
竹巻:レストランは日本と一緒ぐらいの感じですね。でも、メトロはどこまで行っても一回45ルーブル、80円~90円ぐらいで行けるので交通費は安いですし、携帯も月々私は350ルーブルです。スーパーも結構安いので、生活する分には大丈夫です。ただ、お給料が歩合制なので、冬は舞台がないので本当にお給料もないんです(笑)。
片岡:お給料はどのように決まっていますか。
竹巻:1ステージいくらという風に決まっています。正団員は役によっても違いますが研修生はだいたい一律です。
片岡:役と公演数で決まってくるんですね。冬は自由な反面何をするかが悩ましいですね。
竹巻:舞台がないとレッスンもない事が多いので、オープンクラスに通ったり、日本に帰って所属していたスタジオで先生にレッスンをしてもらったりしています。
片岡:日本に戻ると大人気でしょう。名古屋はバレエもフィギュアも特に教育熱心な印象があります。小中学生の中には、あるいは高校生にも将来は海外で活躍したいと思う子も多いのではないでしょうか。
竹巻:様々ですね。海外に行きたい子もいるし日本にいながらコンクールに出て賞を取りたいという子もいます。
片岡:昔の中学高校時代の友達とは連絡を取っていますか。23歳だともう皆さん就職されているぐらいですね。
竹巻:地元(名古屋)の学校に通っていたので、年に1、2回ですが帰った時には絶対に会いますし、オンラインでの連絡も取っています。就職した人もいるし、既に結婚している友達もいます。
片岡:同世代、働いて2、3年目の若い人たちを見てどう思いますか。
竹巻:自分がまだ23歳になった実感もあまりないので、「あ、すごいな」とシンプルに思っちゃいます。私自身はバレエしかやってきていないので、あの友達がもう就職して働いているんだということに、結構感動します。
片岡:逆に何倍も「凄い!」と思われていると思いますよ(笑)。でも、ずっとバレエという一つの分野で3歳からやられていると、会社に行って勤務してパソコンやってという人の方が凄いと見えるかもしれませんね。
竹巻:私にはそういう生活が全然想像がつかないです(笑)。
片岡:今後の予定や将来の目標をお聞かせください。
竹巻:二十歳の時にロシアに来て三年。今年で23歳になります。最初は一年の研修生でしたが、その後入団許可がもらえて一昨年から正団員になっています。一年毎の契約更新で、現在はファーストソリストという階級で5年の契約を結んでもらえたので、一応5年間はこちらにいられることになります。
ただ、演目は白鳥の湖が多く、冬にくるみ割り人形やロミオとジュリエットもやるのですが、もっと他の演目にも興味があるので、他のバレエ団を受けたい気持ちも沸いています。
片岡:バレリーナの方ってそういう感じなんですね、「手に職」と言うか、3年、5年おきに様々な地域で活動している方は、竹巻さんの身の周りに結構いるのですか。
竹巻:そうですね。そうやっていくつかの海外の劇団を回って踊られている方が色々な国に大勢います。
片岡:今は日本に戻って来ることは考えていませんか。
竹巻:元々、日本だと身長が高すぎるので海外に目を向けたということがあります。日本のバレエ界は上下関係も厳しいですし、バレエだけではやっていけない、というのを考えると、今はなかなか日本では難しいですね。
バレエもいろいろな流派があるのですが、私自身はこのメソッドが好きとか、この国のこのバレエ団がいいっていう縛りがないんです。踊ることがとにかく好きなので、そういった縛りがない分、色んな所に行ってみたいですし、好きなバレエができるのであれば、世界中どこへでも、という思いでいっぱいです。

1999年 3歳から後藤田恭子バレエスタジオにてバレエを始める。
2003年 7歳から市川せつこバレエ団に移る。
2008年 12歳から神澤千景バレエスタジオに移る。
2012年 15歳 NBAバレエコンクールにて6位・スカラシップ賞をもらい、1ヶ月間ドイツのジョンクランコバレエスクールに短期留学。
2014年 オールジャパン バレエユニオン コンクールにて3位受賞。
2015年 NBAバレエコンクールにて6位受賞。
2014?15年 Ajkun Ballet Theatreにてジュニアアーティストになる。
2016年 研修生としてチャイコフスキー記念サンクトペテルブルグバレエ劇場に入る。
2017年 同劇場でファーストソリストとして契約を結ぶ。
(取材:2019年8月)


京都大学卒業後、日本テレビで、報道記者、宣伝プロデューサーを務めた後、アップルのコミュニケーションマネージャー、MTV広報部長、日本マクドナルド・マーケティングPR部長、ミクシィのエグゼクティブ・プロデューサーを経て、片岡英彦事務所(現:株式会社東京片岡英彦事務所)設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。フランス・パリに本部を持つ国際NGO「世界の医療団」の広報責任者就任。2013年、一般社団法人日本アドボカシー協会を設立。戦略PR、アドボカシーマーケティング、新規事業企画が専門。東北芸術工科大学 広報部長/企画構想学科 教授。