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■ 東京ウーマンインタビュー
~北海道からポーランドへ~ ピアニスト・加藤香緒理さんインタビュー vol.2
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■ 東京ウーマンインタビュー
~北海道からポーランドへ~ ピアニスト・加藤香緒理さんインタビュー vol.2
片岡:今はポーランドでも学生を指導されていますよね。ご自身の指導スタイルに、日本とポーランドの教育の違いがどう影響しているのか、とても興味があります。
加藤:日本では非常に厳しい教育を受けてきましたし、私自身も生徒には正確さを重視して指導していました。日本の教育は秩序正しく、間違いなく世界トップレベルです。ただ、その分「正確であること」が最優先されがちです。
一方ポーランドでは「その人らしい表現」を尊重します。想定外のことや個性の発露を否定せず、むしろ音楽に活かしていく文化があります。日本では「非常識」とされるようなことも、こちらでは「面白い」と評価されることが多いです。その自由さが教育にも反映されていると思います。
片岡:対照的な文化を両方経験されたからこそ見える部分があるのですね。過去には日本クラシック音楽コンクールでも指導や審査をされていますが、その経験は今の教育活動にどんなふうに生きていますか?
加藤:コンクールの審査員には、自分が演奏する奏者と、演奏はしない指導者タイプとがいます。私は自分も演奏するので、生徒や出場者が抱える「痛み」や「苦労」がよくわかります。どんなに頑張っても本番でうまくいかないことは誰にでもあります。その経験を理解できるのは大きいと思います。
審査では単に点数をつけるだけでなく、コメントに「将来どう活かせるか」を必ず書くようにしています。その子が次のステップへ進むきっかけを少しでも与えられたらと考えています。
また、審査中に「自分にはない能力」を持つ子に出会うこともあります。その時は「どうしてこの子はこのフレーズをこう弾いたのだろう?」と考え、自分の演奏に取り入れることもあります。教育と自己研鑽が相互に作用している感覚です。
片岡:実際に演奏する立場だからこそ見える視点ですね。では、これから国際舞台で挑戦しようとする若いピアニストに伝えたいことがあればお願いします。
加藤:まず大事なのは「想定外のことが起こるのが当たり前」という心構えです。日本は社会も教育も整いすぎていて、予定外のことが少ない。でも海外では、生活面でも音楽面でも思いもよらないことが日常的に起こります。
そうした経験を通じて、自分の殻を破ったり、柔軟に対応する力をつけたりすることが、音楽の表現に直結していくと思います。だからこそ「計画通りにいかないこと」を恐れず、それをむしろ楽しむ心構えを持つことが必要だと思います。

片岡:最近は演奏家としてだけでなく、日波間の文化交流にも積極的に関わっておられると伺いました。具体的にはどんな活動をされているんでしょうか?
加藤:ポーランドの大学と連携し、「ポーランド人によるショパン演奏」を日本で入場無料で公開する演奏会を企画しました。ポーランド国立ジェシュフ大学のピアノ学部長でクラクフ音楽院の教授の協力もあり、経費を負担してくださいました。私自身も同行しましたが、無料で聴けることで多くの方が足を運び、気軽にショパンに触れられる場を作ることができました。
片岡:文化を伝える時って、ともすると表面的になりがちですが、そこをどう工夫されているのか気になります。
加藤:日本の演奏家を紹介する時は、「正確で整理された音」を持つ日本人ならではの美点を大切にしながらも、ヨーロッパの人々が求める「心に響く演奏」に結びつける工夫をします。逆に、ポーランドやヨーロッパの演奏家を日本に紹介する時は、「響き」や「余韻」の文化的背景をきちんと伝えるようにしています。
演奏そのものだけでなく、その国の歴史や生活環境を知ることで、聴衆の受け取り方はまったく変わります。そういう背景も含めて伝えることを大切にしています。
片岡:確かに、背景を知るだけで音の響き方が変わることってありますよね。では、日本からポーランドに来る演奏家に「これだけは意識しておくといい」と伝えるとしたら?
加藤:「日本と同じ環境はない」ということを理解しておくことです。ホールの響き、楽器の状態、聴衆の反応、すべてが違います。予定外のこともたくさん起こりますが、それを受け入れ、むしろ楽しんでほしいです。そうすることで、演奏の幅が大きく広がります。
片岡:すごく実践的なお話ですね。最後に、今後挑戦してみたい日波間交流のプロジェクトや夢があれば教えてください。
加藤:地域と地域を音楽で結ぶ活動を続けていきたいです。先日も、北海道(江別市と大空町)とクラクフを結んだ演奏会を開催しましたが、クラシック音楽の本場であるヨーロッパの空気を日本の地域に届けたいと思っています。
来てくださった方々からは「ヨーロッパのクラシックを肌で感じられた」と感想をいただきました。専門家も一般の方も一緒になって感動できる、そんな交流の場をもっと作っていくことが、今の私の夢です。

片岡:これまでのキャリアの中で、特に大きな出来事や転機になった瞬間ってどんな時でしたか?
加藤:大きな転機は、日本で築いてきた活動をすべて手放してポーランドに渡ったことです。日本での指導や演奏活動は順調で、多くの生徒や地域の方々に支えられていました。その環境を離れることには大きな恐怖がありました。理解してもらえないのではないか、裏切りのように思われるのではないかと感じることもありました。
けれども、その一歩を踏み出したことで、音楽観も人生観も大きく変わりました。これは自分にとっての最大の転機です。
片岡:築いてきたものを手放して新しい挑戦をするのは、とても勇気のいる決断ですよね。今後はどんな演奏活動や企画に挑戦してみたいと考えていらっしゃいますか?
加藤:クラシック音楽の伝統が深いヨーロッパに軸足を置きつつ、日本や他国とも結んでいきたいです。特に「地域と地域を音楽でつなぐ」活動に力を入れたいと思っています。例えば北海道とクラクフを結んだように、文化交流の架け橋になる演奏会を増やしたいです。
また、アメリカでも表現活動をしてみたいという気持ちもあります。ニューヨークのように新しい文化が交わる都市で、クラシックをどう発信できるかにも関心があります。
片岡:活動の軸をヨーロッパに置きながら、日本やアメリカにも広げていくイメージなんですね。教育者としては、どんな音楽家を育てたいと考えていらっしゃいますか?
加藤:正確であるだけでなく、心に響く音楽を奏でられる人を育てたいです。日本のピアニストは技術的にとても優秀ですが、「上手な演奏」と「心に残る演奏」は違います。その違いを理解し、国際舞台で柔軟に表現できる音楽家を育てていきたいです。
片岡:最後に少し大きな質問ですが……人生や音楽活動を通じて、最終的に目指しているゴールはどんなものですか?
加藤:「音楽で人と人をつなぐこと」です。演奏や教育を通じて、人が互いに理解し合い、感動を共有できる場を作りたいと思っています。
日本では文化芸術に理解を得ることが難しいと感じる場面が多いですが、それをどう伝えるか、どう誤解を与えずに理解してもらうかを常に考えています。
音楽を通じて社会に貢献できる活動を実現していきたいと思っています。
片岡:少しプライベートな面も知りたいです。クラクフでの生活で、お気に入りの場所やよく過ごすスポットはありますか?
加藤:ヴァヴェル城が見えるヴィスワ川沿いを散歩するのが一番のお気に入りです。特別に何かがあるわけではないのですが、世界遺産になっているお城から強いエネルギーを感じます。時間があるときにはよく歩きに出かけています。

片岡:川沿いの散歩って気持ちがいいですよね。オフの日はどんなふうにリフレッシュされていますか?
加藤:日本にいた時はあまりできませんでしたが、こちらに来てからは散歩が日課になりました。道端に誰かが花を一輪置いていることがあったりして、そういう小さな心配りに豊かさを感じます。忙しすぎる日本ではなかなか味わえなかった「日常の幸せ」をこちらでは感じることができます。
片岡:その光景、とても素敵です。音楽以外で、特に大切にしていることや情熱を注いでいることはありますか?
加藤:やはり自然に触れることです。散歩や景色を眺めることはシンプルですが、自分を整える時間になっています。特にクラクフでは、歴史ある街並みと自然が融合していて、歩くだけでも心が落ち着きます。
片岡:北海道で育った経験も、今の音楽や生き方に影響しているのではと思います。ご自身ではどう感じていますか?
加藤:ポーランドの気候は北海道にとても似ています。気温や風景、地平線の広がりなど、どこか懐かしい感覚があります。そうした自然の中で育ったことが、のびやかな表現や自由さにつながっていると思います。
違いを挙げるとすれば、北海道は雪が多いですが、クラクフは寒くても雪はすぐ溶けてしまいます。それでも気候的な親近感があり、初めて来たときから「どこか似ている」と感じました。だからこそ、この土地にも馴染みやすかったのかもしれません。
片岡:北海道とポーランドの共通点、興味深いです。今日は長時間にわたってお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
加藤:こちらこそ、ありがとうございました。
ピアニスト・教育者
札幌大谷短大音楽科専攻科ピアノコースを修了、学士を習得。日本国内で沢山のオーディションやピアノコンクールで受賞し、室内楽とソロで数々のマスタークラスに参加。クラクフ音楽学院修士課程ピアノ科、最高得点でマスターを取得。2021 年 ISCART スイス国際コンクール室内楽部門第1位(年齢制限なし部門)。
教育者としては、㈱ヤマハミュージックリテイリング札幌店ピアノ科講師を歴任。自身の音楽教室を主宰し、全国規模のコンクールで数多くの入賞者を輩出。
2012年~2015年にはグレンツェンピアノコンクール指導者賞(全国大会1位)を連続受賞。日本クラシック音楽コンクール審査員も務める。2024年アウグストフ国際ピアノコンクール入賞。
現在はポーランド・クラクフを拠点に、ポーランド国立ジヴィエツ音楽院で伴奏および教育活動に従事する一方、演奏家として国内外での演奏会に出演。日波間の文化交流にも積極的に取り組んでいる。
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