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■ 東京ウーマンインタビュー


~北海道からポーランドへ~ ピアニスト・加藤香緒理さんインタビュー vol.1

~北海道からポーランドへ~
ピアニスト・加藤香緒理さんインタビュー

演奏家・教育者として長年にわたり国内外で活躍してきた加藤香緒理さん。2019年に渡欧し、ショパンの故郷ポーランド・クラクフを拠点に活動を展開しています。現地での挑戦や音楽観の変化、そして日波交流への展望について語っていただきました。
1. 現在の活動について

片岡:最初に今のお仕事について伺います。演奏と教育と、どんなバランスでされていますか? SNSで演奏会のお知らせを拝見しているので、演奏活動が中心なのかなと思っていたんですが。

加藤:今はポーランド国立ジィヴィエツ音楽院で、伴奏ピアニストとしての仕事と、ピアノ科の授業(個人レッスン)を持っています。日本でいうところの「ピアノの先生」としての指導と、他の楽器の伴奏をする仕事、その両方をしています。割合的には伴奏の方が多いです。ソリストとしてコンサートの仕事もしています。

片岡:こちらに来られたのは、たしか2019年でしたよね? 日本でも教室や指導をされていた時期だったと思いますが、どんな経緯でポーランドに?

加藤:はい。大学院に留学して、最初は2年で日本に戻る予定でした。でも大学院を修了した後、そのまま残ることにしました。
日本では最初、大手のヤマハでピアノ科講師と演奏会で演奏をする仕事をしていました。生徒さんたちが一生懸命練習し、結果を出すようになって、私自身も独立して教室を持つようになりました。教室はすぐに満席になり、プロになりたい、海外に進出したいという生徒さんや演奏する機会も増えてきました。そこで「自分の学んできたことをもっと広げる必要がある」と考えるようになり、国際コンクールや海外の演奏形態を実際によく知る必要があると思ったんです。
短期的な留学ではなくて、指導することから離れて演奏することに集中できる環境で、自分自身が大学院に入り直して深く学び直したいという気持ちがありました。形としては大学院に入学し、修了する予定だったのですが、ちょうど帰国を考えていた時期にパンデミックが起こり、日本に戻るタイミングを失いました。日本にいると窮屈さを感じることも多かったのですが、こちらでは自由にのびのびと表現できました。そんな折、ポーランド人の教授から「2年は短すぎる。とても才能があるのでこちらにもう少し残ることを考えてはどうか」と声をかけていただき、残ることを決めました。

片岡:ポーランドというとやっぱりショパンのイメージが強いですが、最初から「ポーランドで学びたい」という思いがあったんでしょうか? それとも偶然のご縁だったんですか?

加藤:いえ、特にありませんでした。ポーランドといえばショパンが有名で、多くの人が「ショパンを学びたい」と思って留学されると思います。でも私は実はショパンだけはあまり得意ではありませんでした。だからこそ「苦手と感じるものには大きなヒントがあるのでは」と直感しました。
アメリカかヨーロッパかと迷い、アメリカの先生にも見ていただいたのですが、最終的にはポーランドの先生に師事することになりました。クラコフはショパン国際コンクールで戦後初優勝したピアニスト、(故)ハリーナ・ツェルニー・ステファスカ教授のご自宅がある場所でした。彼女は東京藝大で客員教授も務めていて、娘さんを通じてクラコフの名ピアニストを紹介していただきました。その方に自分の演奏を聴いていただき、「勉強したいなら教えるよ」と言っていただけたのが2019年でした。入学試験があったので、演奏会用仕様ではなく、演奏が試験の仕様になるように、仕事後にとても練習しました。

片岡:北海道で育ち、教室を運営されていたところから留学を決断されるってすごいですよね。パンデミックの時期は特に大変だったと思います。その頃はどう過ごされていたんですか?

加藤:そうですね。ただ、私は学生寮に住んでいて、そこにコンサートホールが付いていたので、思う存分練習できました。パンデミックによって、外出が減ったので逆に自分と向き合う時間が増えました。毎日朝から晩まで練習して、かえって音楽に没頭できたのは、とても貴重な経験でした。

片岡:むしろ自分と向き合う機会になったんですね。では、ソロと伴奏・室内楽では、大切にしていることも違いますか?

加藤:大きく違います。ソロは自分の表現したいことをステージの上で表現するために、俯瞰しながら練習していますが、伴奏はソリストを支えつつ、引きすぎても出すぎてもいけない。そのバランスが難しいです。曲や演奏者によって調整が必要で、毎回コラボレーションを築く感覚です。ポーランドの音楽学校では毎年同じソリストと組まないように制度で決まっていて、常に新しい共演者(学生)とのコラボレーションを経験します。これは日本にはあまりないシステムです。
今までで困難だった経験は日本でのことですが、リサイタルの直前に「この曲を弾いて」と急に渡されたことがあります。スクリャービンの難解な曲を、20ページ以上、3日間で仕上げなければならなかったこともありました。そうした「不可能を可能にしろ」という経験は恐怖でもありましたが、今となっては大きな財産になっています。

2. ポーランド移住の経緯と現地での生活

片岡:2019年10月にクラクフに移られたんですよね。当時は日本でもたくさん演奏や指導をされていたと思うのですが、どんなきっかけでこちらに来ることになったんですか?

加藤:もともとは大学院への留学が目的でした。2年間で修了して日本に戻るつもりだったのですが、ちょうど修了の時期にパンデミックが起こり、日本に帰国することが難しくなりました。
日本にいると窮屈に感じることも多かったのですが、こちらでは自由に表現できる感覚がありました。そうした中で、教授から「音楽的にとても豊かなものを持っているのでこちらにもっと残ることを考えてはどうか」と声をかけていただき、とてもよく考えてこの地に残る決心をしました。

片岡:日本でのキャリアも安定していたのに、あえて留学を選ばれたんですね。日本での活動からポーランドに移って、一番大きな変化はどんなことでしたか?

加藤:日本ではヤマハ講師として教えた後、自分のピアノ教室を設立しました。生徒もすぐに満席になり、みな努力して結果を出してくれていました。ただ、より専門的に学びたい、国際舞台で挑戦したいという生徒も増えてきて、自分も含めて「もっと外に出る必要がある」と感じるようになりました。
ポーランドに来てからは、演奏環境や音楽文化の違いを強く実感しています。日本では木造建築のホールが多く、音がすぐ整い音の残響も短いですが、ポーランドやヨーロッパでは石造りや教会のような響きの豊かな空間が多い。そのためペダルの踏み方ひとつをとっても全く変わってきます。ショパンの楽譜に書かれているペダル指示が、日本では「なぜここで?」と思えるのに、こちらでは「ああ、ここで使うべきなんだ」と納得できる。そういう経験は大きな変化でした。

片岡:環境が違うと、楽譜の解釈まで変わってくるんですね。クラクフの音楽環境や、人々の音楽に対する考え方は、実際に暮らしてみてどんな印象を持ちましたか?

加藤:ショパンが特別な存在として位置づけられているのが印象的です。ポーランド人にとってショパンは単なる作曲家ではなく、文化やアイデンティティと結びついているんです。
日本のピアニストは技術的に完璧で、ミスがなく整理された演奏をします。世界的にも評価されています。ただし「上手な演奏」と「心に残る演奏」は別で、その違いが問われる場面がこちらでは多いと感じます。ポーランドの聴衆は「正確さ」よりも「心に響くか」を大切にしている印象です。

片岡:教育や演奏会の運営についても、日本とポーランドではずいぶん違いそうですね。実際に体験されてどう感じましたか?

加藤:日本は非常に整っていて、すべてがきちんと計画され、正確に進みます。その分、想定外のことは少なく、秩序立っています。
一方、ポーランドでは想定外のことが頻繁に起こります。でも、それを柔軟に受け入れて工夫し、むしろ音楽に生かしていく文化があります。日本では「これは非常識だ」と切り捨てられることも、こちらでは「面白い」と評価されることがあるんです。
また、ポーランドの人々は人を否定せず、他人のことをあまり気にしません。日本で同じことをしたら「変わった人」と見られるようなことでも、こちらでは自然に受け入れられる。その自由さは、音楽の表現にもつながっていると感じます。

3. 演奏活動のハイライト

KrakowでTOYOTAの水素カーの展示会があったときに日本人アーティストとしてポーランド人の作曲家であるChopinを演奏させていただいた時の写真。 在ポーランド日本大使館の大使や、日本の外務省・経済産業省の方々や世界各国の技術者がいらっしゃっていました。 YAMAHAが協賛していたので、この日のために新品のグランドピアノをこの会場(日本美術技術博物館・Manggha)に一時的に来たものでした。

片岡:写真を拝見して気になったのですが、TOYOTAの水素カー展示会で演奏されたんですよね。国際的なイベントでの演奏って、どんな雰囲気だったんですか?

加藤:はい。通常はデトロイトで開催される展示会が、その年はクラクフで行われました。会場はManggha日本美術技術博物館で、日本とポーランドの文化をつなぐ場所です。ご縁があり声をかけていただき、日本人アーティストとして演奏する機会をいただきました。
会場には日本大使館や外務省、経済産業省の関係者、また各国の技術者の方々もおられ、非常に国際的な雰囲気でした。調律はショパン国際コンクールを担当する技師の方がされていて、新品のYAMAHAグランドピアノでの演奏でした。ただ、リハーサル中に調律師が帰ってしまったのは日本との大きな違いでした。日本では最後まで調整してくださいますが、こちらではリハーサル前中に調律して帰るのが普通なのだそうです。
新品のピアノはとても良い状態でしたが、ピアノハンマーが新品なので、会場が秋で皆さんコートを着ていたため音が吸収されやすく、高音を出すのに苦労しました。リハーサルの段階から調律師さんとも工夫を重ね、本番では何とか響かせることができました。

片岡:特別な会場で、新品のピアノ……かなり緊張感があったと思います。修士課程の卒業試験ではソロリサイタルをされたそうですが、曲はどうやって選ばれたんですか?

加藤:日本でずっとお世話になっていた国際的な奏者を手がける調律師から「音が少ないシンプルな曲を美しく弾けることこそが真のピアニストだ」と言われたことがあり共感しました。たまたま教授に勧められた曲と一致し、シューベルトやモーツァルトの作品を選びました。技術的にはシンプルですが、逆に生活や経験からにじみ出る深みが必要とされる曲です。
自分の年齢で弾くには早すぎるのではないかと感じていましたが、実際に取り組んでみて「やって良かった」と思えました。教授陣も「難易度の意味が違うプログラムだ」と評価してくださいました。


ピアノソロリサイタル(修士の卒業試験の時のもの)

片岡:経験や人生観が問われるプログラムを選ばれたんですね。スコヴロン教授との出会いについてもお聞きしたいのですが、どんなきっかけでご指導を受けることになったんですか?

加藤:ステファンスカ先生(ショパンコンクール優勝者)の娘さんから紹介していただきました。教授からは「上手な演奏」よりも「心に残る演奏」を学びました。
今年の2月に教授が来日して私は同行したのですが、彼の演奏を聴いたとき、多くの人が静かに涙を流していました。打ち上げ花火のように華やかな演奏も素晴らしいですが、心に沁み込んで長く残る演奏こそ価値があるのだと感じました。その経験は今も大切にしています。


ディプロマの試験の後に教授(世界的なピアニストのスコヴロン氏)と。
彼から「上手な演奏と心に残る演奏」の違いや心の深い所に落ちる大事な多くのことを学びました。

片岡:「心に残る演奏」という言葉がとても印象的です。ショパン国際コンクールについても触れていらっしゃいましたが、実際に会場に行かれてどんな雰囲気を感じましたか?

加藤:私は年齢的に参加はしませんでしたが、5年に一度の大会の雰囲気は特別です。会場には世界中から聴衆が集まり、ピアニストたちが命を懸けて演奏します。日本人も優勝に迫る方はいましたが、まだ優勝者は出ていません。ピアノの上で震える指が見えますし会場にいるだけで強い刺激と歴史が生まれる瞬間を見ている気持ちになりました。


5年に1度行われるChopin国際コンクール時のものです。 この時の会場の緊張感はただならないものがあり歴史が刻まれる瞬間です。

片岡:やはり現場で体感すると特別な空気感があるんでしょうね。ワルシャワの聖十字架教会でショパンの心臓が安置されている場所も訪れたそうですが、その時はどんなお気持ちでしたか?

加藤:ワルシャワの聖十字架教会を訪れ、ショパンの心臓が安置されている前に立った時は深い感慨がありました。ショパンがどれだけ祖国を愛していたかを思うと、音楽に込められた想いをさらに尊敬するようになりました。
パンデミック中は人との交流が制限されましたが、その分、自分と向き合い、楽譜を屋外で整理したり深く研究する時間を持てました。その経験が自分の音楽観を見つめ直すきっかけになりました。


chopinの心臓が安置されている教会です。
第二次世界大戦中、ナチスに攻められてワルシャワが破壊されましたが、それでも人づてに守られ、戦後にこの教会に再び戻ってくるなど、彼の才能にただならない敬意の念を感じました。

パンデミック中は外で楽譜に書かれていることを整理する、
とても静かで集中できる幸せな時間を過ごしていました。

片岡:ご自身の音楽観を見直す大切な時間にもなったんですね。最後に、ヨーロッパの石造りのホールで演奏された時、日本のホールとの違いをどう感じましたか?

加藤:日本の木造ホールは響きがコントロールされ、整った音が出ます。対してヨーロッパの石造りのホールは残響が長く、音が空間に吸い込まれるように響きます。そのためペダルの使い方やフレーズの処理も変えなければなりません。ショパンの楽譜に記されたペダル指示やまた別の作曲家も、ヨーロッパのホールで弾くと初めて意味が理解できることが多いです。


リハーサルの風景。ヨーロッパは石造りのホールでとてもよく響く中でピアノを演奏することになります。
なので、日本で演奏する時とピアノの演奏の仕方が完全に異なります。
国際コンクールや海外での演奏会はこのような環境で演奏するすることになりますので、「良い音」に関する感覚が日本での「よく整理された音」と完全に種類が異なるため、 このような環境で練習することに意味があります。
4. 音楽観と演奏哲学

片岡:演奏家として長く活動されてきて、「これは常に大切にしている」という信念がきっとあると思います。そうした価値観について教えていただけますか?

加藤:完成までのプロセスの中で計画的に練習を積み重ねることはもちろん必要ですが、最終的には「心で感じたこと」に正直でありたいと思っています。今の音は良かった、今の響きは少し違った──そういった感覚を大切にし、それを演奏に反映することを一番大事にしています。

片岡:「心で感じたことに正直である」というのは印象的です。「心の深いところに届く演奏」を実現するために、どんな工夫をされているんですか?

加藤:教授から「上手な演奏」と「心に残る演奏」は違うと言葉ではない方法で教わりました。例えば、華やかで派手な演奏はその瞬間楽しいですが、記憶には残りにくい。逆に心に沁み込むような演奏は、聴衆の記憶にずっと残ります。その違いを意識しながら、自分の心で感じたことを素直に音に託すよう心がけています。

片岡:日本での「よく整理された音」と、こちらヨーロッパでの「響きのある音」。よく比較されますが、実際に演奏してみてどう感じられますか?

加藤:日本は技術的に非常に優れていて、音が整いミスが少ない演奏が評価されます。世界的に見ても、その完成度は素晴らしいと思います。一方で、ヨーロッパでは「響き」「余韻」が大切にされます。音を出す瞬間だけでなく、鳴らない(音がない)時間をどう作るかという感覚です。例えばマズルカのリズムは独特で、日本で楽譜通りに弾いてもなかなか「それらしく」ならない。こちらで学んで初めて「音の鳴らない間の表現」に意味があると気づきました。
これは日本の「正確さ」とヨーロッパの「自然さ」「間の美学」の違いだと感じています。日本でいう「侘び寂び」にも通じるものがありますね。

片岡:文化的な違いも大きそうですね。室内楽では共演者との関係性がとても重要だと思いますが、どんなふうに信頼関係を築かれているのでしょう?

加藤:一番難しいのは「相手の音を聴かない奏者」と共演することです。例えば非常に頭の良い方で、自分の中で演奏を完成させてしまっていることがあり、こちらの音が届かないことがあります。でもそうした方々も「なぜかうまくいかない」と悩んでいるんです。その場合は、一度その人が信じている価値観を壊さなければならないこともあります。これは時間がかかりますし、簡単ではありません。
逆に、お互いに耳を傾け合える相手と共演できたときは、言葉を交わさなくても音楽で対話ができる。その瞬間は本当に素晴らしい経験になります。

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