自分の人生の見つけ方~アルケミスト③ |
3月も半ばに入りました。
いつもなら、ひな祭りの催し物や、卒業、卒園などの行事が行われ、子供たちも来るべき本格的な春に、心浮き立つ季節です。
残念ながら、今年はそのようなイベントは影をひそめてしまいました。
新型コロナウイルスの流行は、発信源の中国から、東アジアの韓国・日本、そしてヨーロッパなどへも広がりを見せています。
2週間以上もの、全国同時休校の政府要請は、近来まれに見ぬ事態であることを示しています。
わが家は、小学生の長男だけでなく、幼稚園児の次男まで自宅待機になりました。
毎日が子供たちの明るい声に響く一方で、やらなければならない仕事のために、書斎のドアを閉めている時間を、申し訳なく思います。
閉塞感に覆われている日本列島ですが、こんなときにこそ、本や名言に向き合うことができるのかもしれません。
習い事や外遊びに忙しい長男に、いつもは「ちょっとだけなら」とゲームを大目に見ていましたが、せっかくの自宅待機。
少しでも読書をしてほしいと思っています。読書は生きる力を与えてくれる。母はそれを実感していて、それを生業にしているというのに、なぜか長男は読書が苦手のようです。
まだ、彼の眼を啓かせるような一冊に出会っていないのかもしれません。
『アルケミスト』の主人公、サンチャゴ少年は、夢を叶える方法を探しに旅に出ます。彼の「夢」とは、未来のことではなく、夜に見る「夢」です。
その夢の意味をたどる旅はまだ始まったばかりです。
前回、夢占いのジプシーの老婆に会ったところをご紹介しました。
老婆の家を後にしたサンチャゴは、旅を続けます。
すると今度は、不思議な男性の老人に出会います。老人は、「運命」というものについて、少年と会話を始めますが、まだ人生経験の少ない少年には、「運命」が何なのか、わからないでいます。
老人はこう言います。
自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。
老人は、いまはたまたま老人として目の前に現れているが、時と場合によって、さまざまな姿で人の前に現れるといいます。
ときには、「突然ひらめいた、いいアイデア」という目に見えないものにさえなる、と。
さて、サンチャゴ少年はともかく、読者のみなさまは「運命」とはどういうものだと思うでしょうか。
運命は自分で切り拓くもの、と考える人もいるでしょう。
いや、そうではなくて、生まれ持ってそれぞれが抱える宿命のようなものだという人もいるでしょう。
不思議な老人は、こんなふうに「運命」について悩む私たちに、こう答えてくれます。
「誰でも、若いころは自分の運命を知っているものなのだ。
まだ若いころは、すべてがはっきりしていて、すべてが可能だ。
夢を見ることも、人生に起こってほしいすべてのことにあこがれることも、恐れない」
つまり、人は生まれながらにある運命を知っていて、それを求めて生きるようにできているのだというのです。だから、やりたいことと運命は、本来同じであるべきだというのです。
そうであるからこそ、自分が望んでいること、あこがれることに恐れを抱かない。
子供が無邪気に将来のやりたいことを語れるのは、生まれ落ちたときから、それを実現する可能性を持っていると、知っているからだ、と。
以前にご紹介した『イリュージョン』にも、こんな言葉があったのを覚えていらっしゃるでしょうか。
「ある願望が君の中に生まれる。そのとき君は、それを実現するだけのパワーが同時にあることに気づかねばならない。しかし、そのパワーの芽は、きっと、まだ柔らかい」
まさに、この老人も同じことを言います。
けれども多くの人が運命を実現せず、子供のころに描いた夢をかなえられないのか。
「時が経つうちに、不思議な力が、自分の運命を実現することは不可能だと、思い込ませるのだ」
そして、こうも言います。
「おまえが何かを望むときには、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」
不思議な会話です。この老人と少年の問答に、ピンとくる方と、来ない方がいるかもしれません。
今、私は三冊目の本を執筆中です。本でいえば三冊目ですが、ノンフィクションとしては二冊目。前作は、私自身が身を置いた業界の話でしたが、今回はまったくの門外漢。
それでも縁あってご依頼いただいたのですが、このノンフィクションの主人公ならば、きっと「そのとおり!」と膝を打ってくれるだろうと予想しています。まさに、思いの強さと縁と運で、人生を切り拓いてきた方だからです。
そして、先日、自分の以前のノートを見て驚きました。
2019年に向けて、いろいろなことを棚卸して書き留めていたのですが、そこには「Web媒体の仕事」を箇条書きにしたあと、
「でも、やっぱり本のような『紙の仕事』がしたい!」と、力強い文字で書き留めてあったのです。
その後、本コラム以外におこなっていたWeb連載は休止となり、請け負う予定だったWeb執筆の仕事は、心が入らず辞退を申し出ました。
そして、2019年の春に、ノンフィクションの執筆依頼が舞い込んできたのです。もともとの知り合いではなく、その年に初めて知り合い、2回ほどお会いしただけの方でした。
強く望んで備えていると、やっぱり「大きな力」は助けてくれるのだと、私自身が実感しています。
人は、自分の意志だけで生きていると思う人もいるかもしれません。
逆に、運命によって、人生が動いている、と感じる人もいるかもしれません。
じつは、そのどちらもが正解だと老人は言っているのだと、私は解釈しています。
人は、心のどこかで考えていることが実現するように、宇宙という壮大な生命の源から動かされているのです。それは、宇宙から「こう考えろ」と指名されているのではなく、あなた自身が心に沸いたことは、宇宙と繋がり、そのための力やタイミング、ときには適切なパートナーや有形無形のものをあなたに与えます。
しかし、勝手に「心で湧き上がる」というよりも、生まれ落ちた時から、そのようになるべく生命として産み落とされたのだと思うのです。
だから老人は、「すべては一つなんだ」というのです。
しかし、世の中には、思いどおりに行かないことがままあります。
望んでいるはずのないことを、自分が背負うことがあるかもしれません。
なぜ、宇宙は人間を、運命のとおりに生きるようにと作ったのなら、そのような運命を成就しない人が多いのか、と理不尽にも思うでしょう。
そこで、老人の言葉を思い出してほしいのです。
不思議な力が、自分の運命を実現することは不可能だと思い込ませるのだ。というあの言葉を。
すると、大いなる力は、「不可能だ」と思ったほうを実現するように働きかけます。
結果として「その人が願ったとおり」、夢や運命は実現しないで終わってしまうのです。
この問いかけは、禅問答のようでもあり、スピリチュアルな分野のようでもあり、なかなかに難しい問題です。
しかし、哲学とはそのようなものだと思うのです。
「マーフィーの法則」を、ご存じの方は多いと思います。
マーフィー博士が導き出した法則は、じつはこの老人の言っていることと同じことです。
そして、そのマーフィーの法則を日本で最初に紹介したのは、大島淳一という方。
驚くべきことに、この「大島淳一」さんの本名は、「渡部昇一」。
そう「知の巨人」と謳われた、あの渡部昇一氏とは、少し意外な感じもしますね。
マーフィー博士は、「意志に主語は持たない」と説明します。
たとえば、誰かに対して「人生に失敗しろ」というような念を持ったとします。すると、その意志は主語を持たないので、あなたが思っている「誰か」ではなく、あなた自身の人生が失敗するように宇宙の力が働くのだ、と。
他者を蹴落として、いっときはうまくいったような人も、最期は悲しい末路になるというケースはよくある話です。
他者を認めつつ、自分自身の描いたあこがれや夢が実現する可能性を否定せず、ただひたすらに、前を向く。そうすることによって、最初の言葉、
「運命を実現することが人間の唯一の責任」、それを果たすことができるのではないでしょうか。
なぜ、僕の前に現れたの? と不思議がるサンチャゴに、
「おまえが運命を実現しようとしているからだよ。そして同時に、今、その運命をあきらめようとしているからさ」と老人は答えます。
もし、夢や運命を実現しようとするあなたの前に、なにか不思議な出来事や出会いがあったなら、サンチャゴ少年の前に現れたあの「老人」が、別の形で現れ、あなたに警告しているのかもしれません。
あきらめないで、と。
サンチャゴ少年の不思議な旅は、まだまだ続きます。
少年の旅のように、あなたの人生も、まだまだたくさんの不思議を抱えながら続くでしょう。
サンチャゴの運命をかなえるための旅にわくわくしてきたなら、きっとあなたの人生にもわくわくが待っていることでしょう。
このコラムとの出会いが、素敵な未来への助けとなりますように。
Schoenes Leben & schoene Reise!