あなたらしく生きるために~バックの言葉⑪ |
秋深まる11月になりました。
今年の紅葉は全国的に色づきが遅かったようですが、それでもなお、自然界の美しい彩りは私たちの目を捉えて離しません。
桜咲くころにはお花見をして、紅葉が美しい季節には紅葉狩り。
夏には抜けるような青空に、真っ白な入道雲のコントラスト。
このあとに来る冬の季節も、真っ青に晴れた空に、白い冠を被った富士山が壮麗な姿を見せてくれます。
冠と言えば、この11月は令和天皇と皇后の即位に伴う、さまざまな儀式が催されました。読者のみなさまの中にも、パレードを見に駆けつけた方もいるかもしれませんね。
美しいティアラを載せた雅子皇后のまばゆいほどの美しさ。
控えめな笑顔の多い皇后の、控えめな涙。国際的にもご活躍された美しい大和撫子のお姿は、世界中で大きな注目を集めたことでしょう。
そしてもちろん、どんなときも皇后をお守り続けた天皇の慈悲深い心。
新しい時代にふさわしい、知性と品性と、深い愛情と広い視野をお持ちのお二人ですね。
選ばれし者の崇高さに触れた、そして酔いしれたこの1か月でした。
さて、この世でもっとも美しいのは何か?
この世で完璧なのは何か?
白雪姫の継母よろしく、救世主のドンに聞いてみました。
「完璧であるためには、一秒ごとに変化しなくてはならない」
救世主とともに行動するリチャードとドンが、「空は完璧か?」「完璧さ」と会話をしています。
リチャードが「つねに動いているのに?」と、ドンに聞くと、「ああ、海もそうだ」と
言って、ドンはこう答えたのでした。
「完璧」という言葉を聞くと、つい動かないもの、不動のイメージが付きまといます。
これ以上になれないほどの、あるいは一つの違いもないものこそが「完璧」であると。
でも、ドンは「変化するものこそ、完璧だ」というのです。
相矛盾するような考えですが、私はこの言葉を文中から見つけたときに、思わず膝を打ちました。
もしも、人が、あるときに完成されたまま変わらなかったとしたら、あなたはその人を魅力的だと思うでしょうか。
もしも、「見る」側の人間が、相手のすべてを理解しつくしたら、その人への興味は持ち続けられるでしょうか。
自然と言うのは完璧な存在である。
自然科学者であった文豪ゲーテも、そこにゆるぎない確信がありました。しかし同時に、「自然の劇はつねに新しい」という言葉も残しています。
それはすなわち、ドンの言うとおり、
完璧なものとは、つねに新しいものを作り出すことができる存在だ
と言うことにもつながります。
日本人の誇る「伝統」ということを考えても同様です。
「伝統」とは、「変化し続ける」ことを辞めなかったからこそ、今に紡がれているのです。
あるところは残し、あるところは形を変えながら、まるで優性遺伝のようにゆっくりと文化が醸成され、その時代の人につねに麗しい「伝統」を見せてくれます。
私たち人間が、完璧になろうというのは難しいことですし、なる必要もありません。
ただ、「完璧」は、絶えず流れゆく雲を擁する空であり、
絶えず色を変えながら生命を繰り返す草木であり、
けっして同じ表情を見せない大海原である。
ということを、知ることはとても重要です。
その「完璧な」美しい移ろいの中で、私たち人間は生かされています。
普段は美しい大自然が、突如として牙を剥き、私利私欲をむさぼり環境を破壊してきた人類に、警笛を鳴らします。
この秋も、さまざまな自然災害が各地で起こり、私たちはそれに翻弄されました。
しかし自然と人間が分離して生きていくことはできません。
そもそも、人間と自然は同列ではなく、圧倒的な自然の懐の中で生かされた、数多くの生命体の一つでしかないのです。
その小さな存在の私たちがより良く、あなたらしく生きる道があるとすれば、少しずつでも変わり続ける努力をすると言うことに尽きるでしょう。
ゲーテはこうも言いました。
「虹だって、15分も続いたら、人はもう、見向かない」
令和天皇即位の儀式の際に、突如として青空が広がり、そこに美しい虹がかかりました。
あの一瞬だからこそ、神々しいのです。
もしもずっとそこに虹があったなら、単なる凡庸な舞台装置にしか見えなかったでしょう。
あのタイミングで、あの場所に、パッと姿を現し、去って行く。
その瞬間に立ち会えた人々は、胸に感動と忘れられない映像を残し、彼らの心で、それは伝説になっていきます。
自然界による、なんとも華麗で「完璧」な演出ではなかったではないでしょうか。
自然は完璧な存在ですが、自然界の生命体の一部であるあなたも、完璧になるための遺伝子を持っているはずです。
昨日のあなたと、今日のあなた、そして明日のあなたが少しずつでも良い変化を遂げ、輝きを増していきますように。
そして、あなたの未来にも、美しい虹がかかりますように!
schoenen Tag noch♪