あなたらしく生きるために~バックの言葉② |
「暦の上では春ですが…」
という言葉が相応しい、寒さがまだまだ居座る2月。
今年も自然界は神秘的な気候を連れてきました。
「鬼はー外!福はーうち!」
わが家のわんぱく坊やたちが節分の日の夜、元気に庭に向かって豆まきをした後、
家族が寝静まったころに、春は突然強い風と共に現れました。
翌朝、冬の雲を蹴散らした風は止み、ぽかぽか汗ばむくらいの春の日よりとなりました。
立春。いよいよ春がやってきますね。
とは言え、まだまだ寒い二月の空です。
春の薫りをときどき漂わせながらも、真冬の気温に戻ったり、
冷たい雨が降ったり。
そうしている間に、暖かい春の日が増え、三寒四温となり
気がつけばピカピカの一年生を見かける季節になるのでしょう。
そんな少し先の春を想像するのも楽しいものですが、
その前に、厳しい冬将軍がまだ空の上にいることを忘れてはいけません。
2月は受験シーズンまっただ中。
これまでの成果をどうかすべての受験生が出しきれますようにと願っています。
「毎日頑張っているわが子に、受験当日にまで“頑張れ!”とは言えない」
と、あるお母さんがおっしゃっていました。
わが子の日々の頑張りを見つめ続けてきた優しいお母さんなのですね。胸にじんと迫る一言です。
大人のみなさまは、最後に“受験”したのはいつでしょうか。
じつは私は去年、ある試験を受けました。そう、こんな季節でした。
そして結果は見事に……、玉砕しました(笑)。
当たって砕けろ、と言いますが、プレゼン(試験項目でした)の前に、試験官からパラハラまがいの暴言を頂戴してしまい、動揺してしまいました。
試験官の迫力ある罵声に、試験会場が一瞬、シーン…… となったことは言うまでもありません。
この時点で、結果を待たずとも不合格であったことは予想されましたが、そのあとこの試験をリベンジしようと思えず、現在にいたっています。
恥ずかしながら、きっと、私のその試験に対する情熱はその程度だったのでしょう。
またいつか、チャレンジしたいと思ったらするかもしれませんが、今のところは、他のことで頭がいっぱい。
でも、その試験に関わる勉強や講習会、その過程で得た知識や知人たち。
かけがえのないものが残りました。
パワハラ事件で、私自身が学んだこともありました。
なぜ、私だけがそのような目に遭ったのか、未だにわかりませんが、何か自分に理由があるのかもしれません。
そして、あるときふいに、それに気づくことがあるのかもしれません。
学校でも社会でも、世の中には不条理だと思うことがあります。
こんなに頑張っているのに報われない。
自分だけがわりを食っている。
自分にばかり、困難が降りかかってくる。
だれしも、そんな経験はしたことがあると思います。
不条理まではいかなくても、思ったようなパフォーマンスを発揮できずに、自分を責めてしまうこともあるでしょう。
そんなとき「自分を責めるな」という人もいます。
実力勝負の陸上の世界を六年間経験した私は、自分に責任があることには、背を向けないでほしいという気持ちがあります。
もちろん、責めに帰すべき対象が自分でない場合もあるでしょう。
でも、安易に自分を甘やかさないで、それでも自分を責めないでほしい。
じゃあ、どうするか?
自分を見つめて、その反省を踏まえて肥やしにするしかありません。
後悔ばかりしていては先に進みませんが、自己を反省しないのは進歩がありません。
そんなとき、作家リチャード・バックは『イリュージョン』の作中の『救世主入門』にこう記しました。
君に降りかかること全ては訓練である。
訓練であることを自覚しておけば、
君はそれをもっと楽しむことができる。
自分に降りかかることは、与えらえた訓練項目。
あなたがあなたらしく、あなたの魅力や実力を開花させるために必要なトレーニングだと、バックは言います。
「好きこそものの上手なれ」
という言葉があります。
同じように与えられた訓練を、楽しんでいる人と、いやいやする人。前向きに取り組む人と、義務感だけで取り組む人。あるいは、そこから逃げ出す人。
どちらがその後の人生を楽しめるか、想像するに難くありません。
どんな世界でも、練習、訓練に勝るものはありません。
どんなに才能に恵まれ、直感だけで生きているように見える人でも、
たくさんの努力や訓練を重ねています。
本人が楽しんでいるからそう見えないだけで、凡人が真似しようとしてもできないような努力の積み重ねをしていることは、よくある話です。
卑近な例で恐縮ですが、わが子は幼稚園の年中に、ヨットクラブに入りました。
海の近くに住んでいるので、海を怖がらずに、もしものときにもとっさに反応できるように…という程度のつもりで入れました。
身長100センチ程度の幼稚園生ですから、いくら一人乗りヨット競技と言っても、大人と同じヨットを操縦できません。
年中、年長の2年間、冬でも海に入り、コーチの操縦するヨットに乗りました。
風が強い日も海に出て、クルーザーやボートに乗りました。
台風の日はクラブの中で海の知識やヨットの基礎を学びました。
いつまで経ってもヨットには触らせてくれません。
辞めてしまう子もたくさんいました。
ヨット3年目の今年。小学一年生になり、ジュニアに進級すると、とつぜん操縦を学ぶ機会を与えられます。
けれども、与えられるのは“機会”だけです。
大人しくしているだけでは先輩から声も掛けてもらえず、
あいかわらずヨットに触れることすらできません。
親の手出しはご法度のスポーツの世界。
先輩たちにもまれ、揉まれた子ほど先輩から名前を覚えてもらえ、可愛がってもらえます。
最初は名前すらいえなかったわが子が
春に、二人乗りの種目で初出場し、レースの楽しさを知りました。
秋に、二回目の二人乗りの出場で、(相方の先輩が優秀でしたので)準優勝をすることができました。
冬の寒い日、2日間にわたって6レースの得点を競う過酷な(少なくとも、小学一年生にとっては)レースに、初めて単独出場しました。
小学一年生でこの種目に出場したのは息子だけで、結果は栄えある“ビリ”でした。
まだ身長は130センチも満たない、力も弱い一年生。
子供用ヨットなんてありませんから、大人と同じヨットを使います。
ヨットが海で倒れると、選手は海に入り、自力でヨットを立て直さなければなりません。
海の表面張力で、ヨットの帆は重く重く、それでも小さな子供が自ら海に飛び込み、ヨットを立て直す姿は本当に感動的です。
風をうまくつかむことも大変です。
息子はしばらく同じ場所をクルクル回っていました。上手く風を掴むことができなかったのでしょう。6レースのうちの2レースは、なんとか完走したものの、タイムアウトで失格になりました。
けれども、息子の成長をいつも見ていてくれた先輩やコーチは、海上のボートでハグをしてくれていました。頭をたくさん撫でてくれていました。
どうやら息子は悔しくて泣いていたようです。
双眼鏡で浜辺から応援していた私は、息子の成長と、周囲の暖かさに涙があふれ、双眼鏡はぼやけてしまいました。
じつはレース初日のお弁当の時間。泣き出しそうな声で、
「明日のレースは辞めたい。もう帰る」
そう言っていたのです。
気を取り直して2日間頑張った息子を、たくさんの人たちが温かく迎えてくれました。
「悔しさ、のちの、達成感」を体感した息子は、とても頼もしく見えました。
その日を境に、ヨットに行きたくない、と言うことがなくなりました。
それまでヨットに行かせるために、「行ったらいいことあるよ」「今頑張ったら楽しくなるよ」と、たくさんの言葉を使いながら苦労していたのが嘘のよう。
クラブでも、先輩たちが名前で呼びかけてくれるようになりました。
(それまではモジモジしていたので、ゼッケンナンバーでしか、覚えてもらっていなかったのです。「おい!そこの〇〇番!」と。厳しい世界ですね…)
そして、最近新たに空手を習い始めた息子。
体験入門の際はやっぱり尻込みしていましたが、3回目の体験でなにか吹っ切れたのか、
「楽しい!続ける!ヨットの時に、ママがぜったいにボクはできるって言ってくれたでしょ。あれ、本当だったよね。だから空手も頑張る。強くなって早く色の付いた帯がほしい」
今の彼は、一つの困難を乗り越えた楽しさを覚えた、“訓練を楽しめる人”になっています。
もちろん、全てではありません。
けれども一つひとつ、こうした体験を積むことで、きっと心の強い子に育ってくれるでしょう。
失敗したっていいんだよ。
それよりも、チャレンジしたことがまずは偉いんだよ。
そして、失敗したなって思ったら、次はどうしたらいいか考えてやってみよう。
いつだってやり直せる。やり直せたら、それはもう”失敗”じゃない。
でも、始めなければ何もないままなのね。
私がヨットを習い始めた幼稚園のころから息子に言っている言葉です。
継続は力なり。
本人はもちろん、親もまた、心で理解してくれるまで、体が実感するまで言い続ける忍耐が必要です。
ぐずっても泣いても、いつか子供はわかってくれる。
いつか子供の心と体に、その成果と喜びを実感できる日がくる。
そう信じて背中を押し続けなければなりません。
そして、まだまだ母親業7年の私は、そんな子育ての訓練をしている途中。
せっかくなら、仕事も家庭も、ときにはしんどくなる子育ても、自分に与えられた訓練だと思って楽しみたいと思う今日この頃です。
当たり前のように通り過ぎていく毎日に、人が成長するための“訓練”は転がっています。
試験やスポーツ、昇進、学習。
そのような機会がない人でも、たくさんの成長のチャンスがあるのです。
でも、大切なことは、訓練そのものを楽しむこと。
辛い訓練もあるでしょう。でも辛いの先のあと一歩が幸せになる。
(「辛」に、線を一本足すと、「幸」になりますね)
そう信じて、春を待ちましょう。
もう春はすぐそこに来ているのですから。
あなたのもとに楽しく幸せな季節がやってきますように!
Schoen Tag noch!