お茶の間で人気を保つ「高橋英樹」さんの言葉~新シリーズ『言葉のチカラ』~ |
がははははっ!という豪快な笑い声が似合う俳優の高橋英樹さん。ドラマや映画はもちろんのこと、バラエティー番組やCMでもひっぱりだこの人気を誇ります。
「さぞ、明るい人なんだろうな」と思っていたら、まさにそのとおり(笑)。
周囲を巻き込むような大きな張りのある笑い声は、取材現場でも何度も鳴り響いていました。そんな高橋さんに、明るく前向きに生きられるコツを教えて頂きましょう。
楽しみの裏には、苦しみがなければならないのではないでしょうか。
ラクをした仕事で、人を感動させられることなど、けっしてありません。
俳優の高橋英樹さんは、お嬢さんがアナウンサーであることも有名です。さぞ「芸能一家」かと思えば、ご自身の育った家庭はまったくの逆だったと言います。
父親は教育者。「芸能界なんて水もの」という印象を抱くのも無理はないかもしれません。
そんな育った高橋さんでしたが、押しの強さは少年時代からのもの。周囲の反対を押し切ってでも俳優になりたかったと言います。
しかし、そうあっさり引き下がる父親でもなかったようです。父は教育者らしい「画策」を試みます。堅い仕事についてほしい。人の親なら安定志向を子供に求めるのも、いつの時代も変わりません。子供が苦労するのを見るのは、たとえそれが子供の心を強くする試練だとわかっていても、辛いものです。
そんな父が画策したのは、「オーディションに落ちたら諦めるだろう」と、高橋さんに内緒で日活へ願書を送ったこと。しかし、神の粋な計らいか、それとも天使のいたずらか。その願書をきっかけに、高橋さんは芸能界への切符を手にすることになりました。
夢にまで見た俳優への道。図らずも拓けたその道で高橋さんを待ち受けていたのは「うどの大木」というあだ名と偏見。何もわからず憧れで入った大柄の少年ゆえ、厳しい芸能の世界では無理もないかもしれません。
しかし、それでめげる高橋さんではありません。「わからないなら、教えてもらおう」と歌舞伎俳優の尾上松緑(二代目)さんに教えを乞いに出向きます。
「最初はチンプンカンプン。でも、着物すら着たことのない自分が歌舞伎の世界をわからないのは当たり前だと思って、何度も足を運び、真似をして。その繰り返しでした」
当時弟子として押しかけた高橋少年は、いまや着付けや日本舞踊をたしなむ俳優となりました。---「うどの大木」は、こうして大輪の花を咲かせたのです。
出来ないことにも、感動を感じ取れる感性を持ち続けたい。
人は、好奇心があるから前を向けると思うから。
そして一番大切なのは、「楽しい!」がいつも先ってこと。
高橋さんから、名前が刻まれたキーホルダーをいただきました。そこに刻まれた文字は高橋さんの手による毛筆。力強く、躍動感のある「高橋さんらしい」筆跡です。
じつは、高橋さんは個展を開くほどの書の腕前の持ち主。俳優になりたてのころ、右も左もわからずに歌舞伎の世界へ弟子入りしたように、書の世界も、「コンプレックス」が始まりだったそうです。
「上手くも下手でもない、なんの変哲もない、言ってみれば『つまらない字』。」高橋さんは以前の自筆をこう分析します。だからこそ、学ぶ楽しみがあるのだとも。できないことやコンプレックスを嘆くのではなく、「克服すべき楽しみがある」と捉え続けてきたからこそ、書だけでなく絵画の世界にも活躍の場を広げています。もちろん、俳優として、さまざまな役をこなす安定感のある存在を保ち続けているのはご周知のとおりです。
「書は、剣に似ている。一度置いたら、引き返せないから」
「共演者や監督とはぶつかり合い。それによって新たな価値を生み出すのが醍醐味」
「日活の仲間はいつまでも良きライバル」」
話す言葉の一つ一つが、武士のような高橋さん。それも苦渋の表情を浮かべた悲壮感ある武士ではなく、どんなことも最後には笑い飛ばすヒーローのような武士のイメージです。
「人生をよりよく生きるには、いつも楽しい!が先。たとえ苦しみがあろうともね」
頼りがいのある大らかさと力強さ溢れる、高橋さんらしい言葉。
そしてまた取材現場には大きな笑い声が響くのでした。