出産直前の不安 |
「気が強いくせに、気が小さい」
一見すると矛盾しているようだが、まあ悪く言えば「弱い犬ほどよく吠える」とでも言いましょうか。まさに私のためにあるような言葉である。
思い起こせば小さいころから、カーッと頭に血が上って吠えるのにあとでくよくよ考えては後悔する…ということが多い人生だった。小さいころはそれでもめそめそしていれば済んだが、30歳を超えるとそうもいかなくなる。次第に「自分が傷つかないように」と防御するようになり、いつしか何事も「最悪のことを考えて」行動するようになった。
振り返ってみると、26歳で大失恋をしたのがそうなったきっかけだったんじゃないかと思う。18歳で一目惚れした大学の先輩に4年片想いをして、ようやく想いが通じて付き合うことに。4年間付き合ってついには結婚も決まり、お互いの両親にも挨拶もして、おまけに新居の頭金まで払っていたというのに破談になってしまったのだ。破談になるまでにごちゃごちゃともめていた時期があったが、どんなに彼とけんかをしたって頭のどこかで「今もめていたって結局は丸く収まるに違いない。私は彼と結婚できるはず」と楽観的に考えていた。しかし事態は急変。修復不可能になってしまった。
今では「そんなこともあったなぁ」と少し胸がキュンとなるくらいだが、当時の私にとっては生死をさまよわんばかりの苦しい出来事で、涙が止まるまで3年、毎日思い出さなくなるまで5年、フッと苦笑いできるまでに10年くらいかかった。桃や栗、柿が実るよりも長い時間だから、本当に長い時間だ。
話がそれたが、この大失恋から私の「最悪の事態のシミュレーション」癖が始まったわけだが、妊娠したと同時にそれがけろりと治ったのである。
妊娠中の時のこと。薬膳鍋を食べに行き、その鍋の中にはホコホコに煮えたニンニクがゴロゴロ。とてもおいしかったのでバクバク食べてしまったその夜、ニンニク効果が表れ全身の血管がドクドクいい出した。もちろんおなかもバクバク。以前の私なら「どうしよう!流産でもしちゃったら…」と心配になり朝を待てずに真夜中に救急で病院に駆け込んでいただろうけど、妊娠中の私は違う。確かに「どうしよう、流産でもしちゃったら…」とは思ったが、次の瞬間に「じゃあ薬膳鍋を食べている中国では流産率が高いのか?しかもあの薬膳鍋食べて流産した人がいたら店に「妊婦お断り」の札が出ているはず!そんな事件、見たことも聞いたこともないからきっとダイジョウブ」…という思考回路にスイッチしていた。
そんなこんなで、妊娠中は超ポジティブシンキングな私になってしまい、同僚からも「平和ボケな人」とまで言われていた。
しかし、である。出産する1週間くらい前だろうか、今までのポジティブシンキングのツケがどーんと不安になって返ってきた。
「これから一人でこの子を産んで育てていけるんだろうか。私はとんでもないことをしようとしているんじゃないだろうか。軽々しく考えていたのではないだろうか」と。それを考え始めたら、ニンニクを食べてないのに心臓がバクバクしてとてつもない大きな不安に襲われた。「結婚はしない」と決めていた気持ちすら揺らいだくらいだ。
「でも今更どうにもできないでしょ!赤ちゃんは大きくなってるんだから!」と何とか自分を奮い立たせては見たものの、出産するまでずっとこの不安は拭い去ることはできなかった。
が、まさに「産むがやすし」。
産んだ後は、そんな不安はどこへやら。
一人で産んで育てていけてるし、普通に暮らせてる。しかも結構楽しく生きている。
何とかなるもんなんだなー、と心から思う。