関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo 大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに… |
自分の人生の見つけ方~アルケミスト⑨~ |
今年は、長梅雨のあとの、酷暑。 その酷暑もようやく落ち着きを見せ、子供たちの短い夏休みも瞬く間に過ぎていきました。 コロナ禍で、日常は大きく変わり、それに対応するために追われた人もいたでしょう。 逆に、何もできずに、その流れに身をゆだねた方もいれば、 この大きな変化をチャンスと捉えて、頭をいつも以上にフル回転した方もいると思います。 この未曽有のパンデミック「コロナ禍」は、私たち一人ひとりの生き方や考え方、 そして変化を目の前にしたときの対応力などを 「日常」よりも、如実に表した、ある意味での試練であり、 ある意味でのリトマス紙でもあったのかもしれません。
さて、これまで数年にわたり、このコラムではたくさんの偉人やその著作、名言をご紹介してきましたが、 その多くは、言葉こそ違えど、同じようなことを言っているという気がしませんか。 なにより、それは私が一番そう思っているのかもしれませんが、それは 古今東西の哲学者や、偉人と呼ばれた人たち、名文を綴る作家の言葉、あるいは、たとえばノーベル賞受賞者のように、「その道の頂点に立った人」がたどり着いた真実には、「真理」があるからだと思っています。 今、世界のどの人も、大きな変革期の中にいます。 どこかで戦争が起きていて命の危険にさらされ、一方で、どこかではまったく社会や未来の心配のない国があって… というのは、もう、ひと昔まえの話となってしまいました。 読者のみなさまも、大なり小なり、何かしらの試練や困難が目の前にあるでしょう。 私にも、それはあります。 そんなときに、いつも思い出すゲーテの言葉があるのですが、(以前のコラムでもご紹介していますので、ゲーテの言葉のコラムをご覧になりたい方は、バックナンバーをご覧くださいね) じつは、前回の『イリュージョン』リチャード・バック著にも、同様の言葉が登場しました。 そして、あ、デジャヴ? と思うような言葉が『アルケミスト』にも出てきます。 上の二つの言葉もとても力強く、大好きですが、ここではアルケミストに登場する言葉をご紹介しましょう。 みなさんは、困難を目の前にしたとき、それをどうとらえるでしょうか? 「もうこれ以上やってもダメだ…」「どうせ何をやってもできない…」 「やっぱり自分には向いていなかったのかな」 こう、落ち込み、自信を無くす人もいるかもしれません。 それとも 「これは、今やるべきじゃないっていうことなのかな」 と、考える人もいるかもしれませんね。 なぜ、人は困難とともに生きるのか? 上記に挙げた3人の作家たちは、まずこう言います。 ――目標に近づくほど、困難は増大する(ゲーテ) ――君たちは言うなれば、困難さを探しているのである(バック『イリュージョン』) ――彼が夢の実現に向けて近づけば近づくほど、ものごとがよけいに困難になってきていた――(コエーリョ『アルケミスト』)
私の好きな作家たちは、みな「困難」がお好きなようです(笑) では、どうして「困難」を主人公に与えるのか? 何のために、「困難」はあるのか? ゲーテの短くも力強い言葉は、困難が現れたら、目標に近づいている証拠だよと背中を押してくれる気がします。 バックの言葉は、困難に価値があることを、じつは私たちは知っているからこそ、そこに困難が現れるのだ、と教えてくれます。 そして、パウロ・コエーリョは『アルケミスト』で、こう表現しています。
夢の追求の過程で、彼はやる気と勇気を常にテストされていた。 あせってもいけないし、いらいらしてもいけなかった。 もし、衝動にかられて先を急ぐと、神様が道すじにおいてくれたサインや前兆を見逃してしまうだろう。
まさに、私はあるプロジェクトで、コエーリョ曰く「年老いた王様が「初心者の幸運」と呼んでいたもの」 に導かれ、当初は順調にコマを進めたものの、 あるとき、それに対する反発が起き、じっさい今ではそのプロジェクトが停滞している状態です。 まったく褒められたものではありませんが、 たしかにあのとき、私は「ビギナーズラック」を、そうとは思わずに突き進み、 「あせっていた」し、「いらいらもしていた」のでした。
だから、私は神様の置いてくれたサインを見落とし、いささか途方にくれ、そして少し諦めの状態に陥りました。 「これは、私自身のためにやっているのではないのだから、私がこんなに骨を折ったり、矢面に立ってまでやらなくていいのではないか」 という、内なるささやき声も聞こえます。
それは、本当に、このような犠牲を払ってまでもやり遂げたいプロジェクトなのか? ということ自体を、試されているわけです。
サンチャゴは、夢の実現に向かって困難が立ち込めてきたとき、はっと「困難の役割」に気づきます。 つまり、それは自分が神からテストされているということ。 少年が選んだのは、「それでも夢をかなえたい」ということでした。 あせってもいけない、いらいらしてもいけない。 ならば、どうしたら夢に向かって、困難を乗り越え、神のサインを見落とさずに進み続けることができるのか? 「らくだ使いのおじさんの言ったとおりだ」 少年は思い出します。それはすなわち 「そんなにあせることはない。食べるときには食べる。動く時が来たら動くのだ」
目の前のことに向き合い、懸命に精進していれば、おのずと「来るべき時が来る」という、泰然とした態度が必要なのでしょう。 しかし、それはあくまでも「神からのサイン」を見落とさないためであって、傲慢であってはいけません。 真剣に日々を歩き続ける人には、いつかあなたを優しく包むオアシスが待っています。 困難が立ちはだかった時は、神からの「本気度チェック」を受けていると考え、 自分自身の心と向き合うチャンスと捉えましょう。
たとえ、そこで「本気度が足りないな」「もう辞めようかな」と思ったとしても、それはそれで自己嫌悪に陥る必要はありません。 それはきっと、あなたが願う「本当の夢」ではないのかもしれません。 あなたが本気になれる何かがいつか見つかるまで、目の前の一瞬を大切に生きていけばよいのです。 神様なのか、ご先祖なのか。 「何か見えないもの」が、きっとその道すじに、あなたらしく生きるためのヒントをそっと置いてくださる日が来るでしょう。 あせらず、いらいらせず。 あなたの「夢」があなただけでなく、より多くの人にとっての幸せにつながるような夢であるなら、旅の途中に、小さな贈り物が少しずつ舞い降りてくるかもしれません。 前に歩かなければ、出会いもチャンスもありません。
さあ、みなさんも素敵な旅の続きを! Schoenes Leben & schoene Reise noch!
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