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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2020-05-20
自分の人生の見つけ方~アルケミスト⑤~

風薫る五月も後半になり、夏も近づいてきました。

梅雨前の、最高の行楽シーズンのはずですが、今年に限っては変わらず東京を中心に、外出自粛が続いています。

 

自粛疲れも出ていることと思いますが、みなさんはどのようにお過ごしでしょうか。

 

私は海の近くに住んでいますが、このところ、二つの現象が起きているようです。

まず一つは、外出自粛のさなかにも、地元ではない人が観光に来ている状況があったこと。これは度重なる首長たちの呼びかけに、だいぶ収まりを見せています。

ところが、なぜかごみが海岸近くに溢れているという、残念なニュースも流れています。

外出自粛の中、鎌倉に遊びに来たはいいけれど、お店は軒並みしまっていて、テイクアウトのお店やスーパーで買ったものを、海岸で食べ散らかし、ごみをそのまま放置しているようです。

 

また、ここぞとばかりに、空いた海辺でバーベキューをし、同じようにごみを置いていく人もいるようです。

 

これを片付けているのは、日ごろ海を大切にしている地元の人たちです。

もちろん、市町村の環境課というような部署の方が、ごみの撤去や清掃をしてくださっています。

日本人の持っていたはずの「性善説」は、もう通用しない時代なのかもしれません。

悲しいことです。

 

さて、もう一方で、矛盾するようですが、一部の海岸では海がとてもきれいになっているようです。

たしかにごみを捨てる観光客はいますが、観光客自体が大幅に減っているので、相対的には汚染が少し軽減されたのかもしれません。

 

コロナ禍というのは、人々の今までの「当たり前」を覆す、大きな問題ではありますが、一方でこれまで人間が犯してきた過ちが、それらを引き起こしたのではないかという思いもあります。

 

現在、企業ではリモートワークが推奨されています。

私は昨年から公立小学校のPTA本部役員を仰せつかっていますが、これまで「超アナログ」「超昭和」だったPTAのやり方では、機能しない状態になっています。

私が教鞭をとる大学でも、9月まではリモート講義が決定され、遠隔操作による講義やグループワークをおこなうことを余儀なくされています。

こうした流れに乗ってしまおうと、PTAを改革中です(名付けて「コロナ改革」と言ったら、怒られますでしょうか(笑))

 

さて、先ほど「当たり前だった」と書きましたが、じつは私は日本人が長年抱いている「当たり前」の感覚に、ずっとなじめないで生きてきました。

といっても、もともとどんな状況にも対応できるタイプの性格なので、表面的にはなじんでいるのですが…

 

まず、新入社員時代。あの、満員電車に乗る苦痛。

友達同士、大人の家族同士でさえあり得ない密着度で、まったくの他人と何十分も過ごさなければいけないという…。

それのせいかどうかはわかりませんが、入社3か月で胃を壊し、入院までしました。

ただ、私にとっては入院するくらいのストレスだったことは間違いありません。職場自体はおおむね居心地よく、とても楽しく仕事していましたので。

 

そして、1年後、晴れてドイツの会社に転職が決まり、最初の1か月はド田舎すぎていささか面食らってしまいましたが、

転勤により、「ほどよい田舎」で勤務し、生活することができました。

 

川沿いの大きなアパート。(いきつけのイタリア料理屋のシェフが、個人的に貸してくれました)

眼下には川が流れ、後ろを振り返ると古城がそびえています。

20分美しい街並みを歩くと、そこはもう職場でした。

仕事自体はハードワークでしたが、それでもこの景色と、このゆったりとした空間感に癒され、力を貰って、楽しく仕事をしていました。

町の人々も、ゆとりが感じられて、ドイツに来た当初、レジで小銭を探すのに手間取っていると、レジの人や、後ろに並んでいる人が

「ゆっくり、ゆっくり」と声をかけてくれます。

日本なら、レジの人はイライラするでしょうし、後ろに並んでいるお客さんから、チッと舌打ちさえ、されかねません。

 

3年後、自分の意志で日本に帰る決意をしたのですが、もっとも強い抱いた気持ちが、

「あの電車に乗るのだけは嫌だ」ということでした。

 

しかし、日本で(当時は横浜に住んでいました)、徒歩20分の職場で、かつ緑多き住環境というのはほとんど望めません。

せめても、ということで、「“電車で一駅”で通える会社」を条件に探したほどです。

 

ドイツから、出張で日本に帰ってきたときの、あの衝撃。

電車が駅に着くと、黒い頭が、まるで濁流が吸い込まれていくような勢いで改札へ向かう階段へと流れていきます。

私はその流れについていくこともできず、回避することもできず、何度も足を踏まれて線路の下にハイヒールを落としたり、ぶつかる人にイヤリングを落とされ、探す時間もなく、いくつも紛失しました。

 

こんな思いをしなければ、日本人は働けないのか……

と驚きと、恐怖でいっぱいでした。

 

そして、「サービス残業」。

ドイツでは、「時間内に仕事を終われない人は、仕事ができない人間だ」とみなされます。

そして17時が定時だとして、取引先に16:50に電話でもしようなら、

「あなた馬鹿じゃないの?」とでも言いたげな口調でこう言われます。

「もう、パソコンシャットダウンしているから、仕事の話は無理!」

 

彼らの頭には、「そもそもぎりぎりで連絡しなければならないような段取りで仕事をしているあなたが悪い」という発想があります。

最後の30分は、ビシッときれいに整えられたオフィス環境に戻すための、リセットタイムのようなものです。

そんなときに、新たな話を持ってくるな、と彼らは言うのです。

 

では、仕事時間の短いドイツには経済力がないのか?と言えば、そうではないのは皆さんもご存じのとおりです。

いつでも、外車と言えば、メルセデス(ベンツ)やBMWは日本人の憧れの的ですし、個性的なデザインで人気のイギリス車Miniも、今やドイツの会社(BMW傘下)となりました。

 

この違いは何かと言えば、本当の効率を考えているかどうかではないかと思うのです。

サービス残業なんてもちろんありませんし、「サービス」じゃなくたって、そもそも残業はしません。残業すれば時間給は稼げるでしょうけれど、総合的な評価として、「仕事の遅い人間」と烙印を押されるので、こういう人はまず出世しません。

 

会議にだらだら時間を費やすこともないですし、

雑然としたデスクから、時間をかけて一枚の書類を探し出すこともありません。

(ドイツのオフィスはどこもショールームのような美しさです)

 

長々と昔のドイツ時代(2000年までの話なので、今のドイツの実態と違うかもしれません)

の話をしましたが、

コロナ禍というパンデミックにより、多くの人の働き方の変革を問われるという事態に直面しています。

 

私は2006年からフリーランスで、自宅をオフィスとして働く在宅ワーカー14年選手ですが、

その直前まで働いていた会社では、入社の条件として「週に三回以上は会社に行かない」という当時としてはかなりおかしな項目を相手側に訴えていました。

マーケティングプランナーとしてのお誘いでしたが、クリエイティビティ―の感じないオフィスにいるだけでは、いいアイデアも浮かぶはずもないと思っていたので、このような提案をしたのでした。

 

幸い、この訴えは社長には認められて、社員として入社しました。ほかの社員からしたら「なんであの人だけ」と思ったことでしょう。

でも、会社のデスクに座っているだけが仕事ではありません。(会社の機密を持ち出せない、経理などは、当時は難しかったとは思いますが)

 

残念ながら、この目論見は半年で終止符を打ちます。

私が取締役になったことで、会社でおこなう仕事が増えてしまったからです。

それでも、「現場を回る」こと、「消費の流れを知るために、街に出ること」を理由に、しょっちゅう「直行直帰」していました。

 

このように、人は「仕事をする」という本分を全うするためにおこなっている「作業」や「習慣」が、本当に正しいものか、効率的で、かつクオリティーをあげるものなのか、ということを俯瞰して考えなければいけません。

 

でも、形だけ「リモートワーク」だ、「zoom会議」だと周囲に足並みをそろえるだけではいけません。

「その会議は本当に必要?」ということや、本当に必要な仕事をしているかということも同時に考えていかなければいけないですよね。

つまり、どんな効率的に見える「仕事方法」でも、仕事の中身が、仕事の本分を全うするクオリティーの高いものになっているか、という視点を併せ持っていないと、ただ「働く場所が、会社から、自宅になっただけ」となってしまうのです。

 

(それでも、通勤地獄のストレスと、時間的なロスがないだけでかなり進歩ではありますが)

 

こんな長い前書きを書いたのは、じつは『アルケミスト』の主人公サンチャゴ少年が、旅の途中で出会った「王様」に、こんなことを言われたからです。

 

―「では、たった一つだけ教えてあげよう」とその世界で一番賢い男は言った。

「幸福の秘密とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、

しかもスプーンの油のことを忘れないことだ」

 

ここで彼が言っている「スプーンの油」について、少し補足しましょう。

サンチャゴが王様と出会い、屋敷に招かれました。屋敷に入るまえに、王様はサンチャゴ少年に「一つだけお願いがある」と言って、油の入ったスプーンを手渡します。

そして、「歩き回っている間、このスプーンの油をこぼさないように持っていなさい」

 

王様はそう言って、屋敷の中を案内し、様々な美しい調度品などを説明して回ります。サンチャゴは目を瞠るような煌びやかなそれらの品々に感心しながら、王様の案内を聞いていました。

 

さて、王様との別れが近づいてきました。

王様はサンチャゴに聞きます。

 

「スプーンの油はどうしたかね?」

 

見ると、サンチャゴの手には、空のスプーンがありました。

そこで、王様は先ほどの言葉を、サンチャゴに「幸福になる秘訣」として伝えたのでした。

 

自分の手元にある大切なものを、つねに意識をして手放さないようにすること

自分の周りにある素晴らしい広い世界を、たくさん知り、味わうこと

 

聞いただけなら一見簡単なようで、じつは難しいこの両立を、「世界で一番賢い男」である王様は、少年に体感させたのでした。

それは、この少年が、かならずや夢を手にすると信じていたからであり、そうなってほしいと心から応援していたからでもありました。

 

世界が大きく動くとき、私たちはその流れにしっかりと乗り、生き抜いていかなければなりません。

しかし、「どんな状態でもいいから生き抜く」のでは、あなたらしいあなたではなくなってしまうかもしれません。

さりとて、「スプーンの油」を一滴もこぼさないようにするために、あなたがその場から一歩も動かないとしたら、それもあまりに寂しい人生だと思いませんか。

自分が自分らしくあるために、自分というものの中にある「スプーンの油」を大切に抱きながら、どんな時代や環境にも柔軟に生きる。

それも、”活き活きと生きていくこと”が重要です。

 

世界一賢い王様が少年に授けた

「スプーンの油」と世界の話。

読者のみなさまも心にとどめ、ぜひみなさんが麗しいポストコロナ禍の人生を送れますようにと願っています!

 

美しく、あなたらしく、そして楽しんで。

サンチャゴと一緒に、これからも旅を続けましょう!

 

Schoenes Leben & schoene Reise noch!


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