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小山 ひとみ コーディネーター、中国語通訳・翻訳 ROOT
日本と中国、台湾間の文化交流の橋渡し役として仕事をしていることから、東京、ニューヨーク、上海、北京で活躍している中国と台湾の女性にフォーカスを当て、彼女たちがどのようなプロセスを経てチャンスを得たのか紹介していきます。
チャンスを掴む!中国、台湾のウーマンに学ぶ キャリアアップ 2017-01-31
アートライター 虔凡(チエン・ファン)さん

NYで知り合った人の中には、一回会ったきり、お互いに連絡を取り合うこともなく気が付いたら疎遠な関係になってしまった人もいれば、彼女のように、頻繁に会い、何でも話せる関係になった人もいました。その「彼女」とは、今回紹介する、アートライターの虔凡(チエン・ファン)さんです。

お互いにフリーランスとして仕事をしているという共通点だけでなく、「アート」という仕事の共通ジャンルが、二人の関係を近づけたのだと思います。最近見て面白かった展示や映画をシェアし合ったり、時には一緒に展示を見に行ったり。今回のインタビューでは、友人チエン・ファンではなく、ライターチエン・ファンとしての彼女の新たな一面が垣間見られました。

書くことで自己表現

「ライター=文章を書く人」。ライターと一言で言っても、世の中には、様々なジャンルで文章を書いている人がいます。映画ライター、フードライター、スポーツライターなど。その分野に特化し、専門家としてその分野のことを文章で伝えます。

まず、チエンさんがライターという道を選んだのは、思い起こせば、小学生の頃に遡るといいます。当時、作文の授業が大好きで、周りの同級生が嫌々文章を書いていた中、スラスラと書き成績も良かったのです。「本を読むことが好きだったので、本の中に出てきた表現を作文で使ったりしていました。」

また、小学5年生の時、初めて参加したテレビ番組の企画で、書くことへの興味がより増したのです。小学生や中学生が記者として色々な場所に行って取材、レポートをするというそのテレビ番組。先生に推薦をしてもらい、無事に採用されてからは、書道コンクールの取材をしたり、同じ小学生が習い事をしている現場を取材したり、初めての経験に日々ワクワクしていたそう。

「今思えば、その頃の経験が今の仕事に繋がっているのかもしれないです。取材も楽しかったですけど、何より、記事を書くことが一番楽しかったですね。」他の小学生たちが途中で辞めていく中、チエンさんだけは、中学1年まで続けたといいます。「私は、書くことで自己表現をしていたんだと思います。喋るより、書く方が得意だし、より思いが伝わるんです。」

そして、「なぜ、アートの分野で執筆をしているのか」という問いに対しては、「アートが好きだから」というシンプルな回答が返ってきました。「アーティストの目から世界がどう見えているのか、また、生きる上でのヒントを与えてくれたりするのが魅力です。」

そのアート好きの出発点は、高校の頃。理系が強い上海の高校に通っていた彼女は、理系に全く興味を示すことなく、アート系の映画や本、美術展やパフォーマンスに興味を持つようになります。「同級生のほとんどが頭のいい理系の学生だったので、話が合わなかったですね。気の合う友人とは、映画を見に行ったり、本屋さんに行ったりしていました。」当時、数少ない文化系の同級生の影響もあり、時間があるとアート系の映画や本をよく見ていたそう。「どれも新鮮で、はまって見ていたのを覚えています。」

大学進学を考えた時、同級生の大半が上海の大学を目指していた中、チエンさんは、「上海から離れたかったんですよね。このまま上海にいたら、視野が狭くなってしまうって思ったんです。」と北京の文系の大学に進学希望を出します。「それに、私は好奇心が強いので、上海とは違う中国の北にある北京の生活に興味があったんです。」

1986年に上海で生まれ育ったチエンさんは、生粋の上海っ子。中国人の友人たちからはよく「北京の人と上海の人は性格が合わない」「お互いに敵対心を持っている」と聞いていただけに、彼女のこの選択が大胆に思えました。

「確かに、私の周りの上海人の友人の中に、自分から希望して北京に移り住んだ人はほとんどいないですね。みんな「上海が一番!」って思っているんですが、私から言わせれば、北京の方が、多様性があって最高です。」と笑いながら言います。

北京は中国の政治の中心地であり、文化の中心地でもあります。美術館やギャラリーやアーティストが多いだけでなく、映画会社やメディアの数など、文化関係の機関も集まっています。そのことから、北京には中国各地からアートや文化を生業にしたい人たちが自然と集まってくるのです。チエンさんもその内の一人。漠然とではあるけれど、変化を求めて新たな場所を目指し移り住んだのです。

(写真:NYにて。アーティスト毛焰(マオ・イエン)さんへの取材の時)

それなら、知識を身につけよう

チエンさんは、中華人民共和国建国後、最初に設立された優秀な大学、中国人民大学のジャーナリズム学科に進学します。小学5年生の時の記者の経験が、専攻を選ぶきっかけとなったのです。大学入学当初から、「将来はジャーナリストになりたい」と熱い想いを抱いていた彼女。サークル活動の一環として、大学内の新聞社で記者、ライターとして活動を始めます。担当は、興味のあったアートとカルチャー。北京で開催されている美術展を取材し、記事にする。初めてアートに関する記事を書いたのは、その頃になります。

また、「報道写真」という授業は、チエンさんが興味を持ち、力を入れた授業の一つでした。「ビジュアルでニュースを伝えるという手法にびっくりしました。私も友人と一緒に、北京の街の変化をアートの手法を取り入れて撮影しました。」

大学卒業後の進路を考えた時、「アートの世界で働いてみたい。でも、専門性が足りない。」と自分のアートの知識が欠如していることに気づきます。「それなら、知識を身につければいい。」大学卒業後、一年間、北京の美大で聴講生としてアートに関する様々な授業を受講します。「将来に対しては、漠然としか思い描けていなかったので、まずは自分の興味のある分野で専門性を持とうと思ったんです。」

その一年は、とても充実していて楽しかったと語るチエンさん。「アートの様々な分野で基礎が学べました。」写真の授業では、撮影して、暗室に入ってプリントするという過程まで学びました。特に興味を持ったのは「写真史」という授業。歴史から写真を読み解くその授業は、その時代の社会とその写真がどのような関係性を持つのか、夢中になって授業を聞いたそう。

美大での一年間の授業を終え、アート方面で仕事を探すチエンさんに、上海の美術館からのオファーがありました。久しぶりに地元の上海に戻った彼女。美術館がリニューアルオープンするための準備期間として、チエンさんはあらゆる仕事をこなしたのです。

その頃、中国のアート雑誌から初めて原稿の依頼を受けました。中国のアーティスト毛焰(マオ・イエン)さんの展示の記事。それが彼女にとって、アートライターとしての初仕事。当時はマオ・イエンさんに取材をするタイミングがなく、展示を見てレビューを書きました。「初めてだったので、とにかく不安でした。でも、その後、5年経って、マオ・イエンさんがNYで個展をした時、初めてお会いしたんです。私の書いた5年前の記事のことを覚えていてくれて、アドバイスもくれました。嬉しかったですね。」

初めてアートライターとして執筆をし、改めて作品を文字で伝える難しさに気がついたといいます。「目の前に美しい絵画があるのに、私がさらに文章を書くことで何ができるんだろう?って思ってしまったんです。文章によって、その美しい絵画の存在が薄れてしまわないかって。」それでも、文字で伝える必要性があることも分かっている。

その後、二つ目の原稿依頼を受けて執筆をしたチエンさん。アートライターとして一本で仕事をするには、まだ知識が足りない。基礎はあるんだから、より専門性をつければいい。「それで、アメリカ留学を考えるようになったんです。」2011年の秋、美術館を退職し、一年間、アメリカ留学の準備を進めます。

参考になる何か、アートを通して

アメリカ留学を考えたのには、いくつか理由があります。まず、「美術史」中でも「コンテンポラリーアート」を専門分野にしたいと思ったのです。「元々、興味があったというのもありますが、古典の作品は美しいとは思っても、なんだか距離を感じてしまうんです。でも、コンテンポラリーだと、自分が体験した社会が作品に反映されていたり、「今」に近い感覚があったり、私にとって理解しやすいって思ったんです。」

また、古典の作品に比べて、コンテンポラリーの作品はより多様な手法で制作されている。その点も、コンテンポラリーを専門的に学びたいと思った理由。アメリカの大学院でアートを専門的に学びたい、それがチエンさんの新たな目標になったのです。

とは言え、アメリカで専門的な勉強をするには、何よりも語学「英語」は必須。元々、英語は得意だったのだろうか?「英語は好きでしたけど、正直、TOEFLやTOEICの点数は良くなかったです。それに、アートの学位がないなかで、大学院に入学となると、それは、それは大変でした。」

(写真:上海のギャラリーにて。トークゲストとして登壇)

英語はなんとか勉強すれば、少しずつ点数は上がる。しかし、学位は、勉強をしてすぐに得られるものではない。そもそも、申請ができるのか不安に思ったチエンさん、大学院に問い合わせをしました。当初は「大丈夫」と返事があったものの、申請をしてからは音沙汰なし。再度、問い合わせると「アートのバックグラウンドがないから、難しい。」との回答。後にも先にも引き下がれないチエンさん、美術館での仕事の経験がある旨を主張したのです。その後、その大学院に所属していた台湾人の教授と電話面談があり、どうしても入学したい旨を訴えました。「もしかしたら、ダメかも。」望みを失いかけていたチエンさんに、後日、入学許可の連絡が入ったのです。

「入学した大学院は、中国ではほぼ無名でした。アメリカの大学院の中で、自分が勉強したい美術史、特にコンテンポラリーの勉強ができる学科を調べていく過程で、この大学院の存在を知ったんです。」

チエンさんが入学したのは、ニューヨーク市立大学ハンター校。「たまたま、アメリカの学校のランキングを見ていたんです。ニューヨーク市立大学ハンター校を見て、「聞いたことない、どんな学校なんだろう?」って調べていきました。」

「ランキングでは10位と比較的上位にもかかわらず、なんでこんなにも無名なの?」そう思ったチエンさんは、いつもの好奇心から、徹底的に調べることにしました。「調べてみたら、卒業生の中には中国の著名なアーティストが数名いましたし、勉強したい美術史があったので、「ここしかない!」って決めました。」

三年間のコースで、まず躓いたのは「英語」でした。「はじめの一学期は……、半分くらいしか聞き取れませんでした。」課題は多いし、読まなければいけない本も大量にある。毎回、授業を録音し、帰宅後に何度も聞き直しました。とにかく、睡眠時間を削り、必死に勉強。二学期に入ると、前学期より聞き取れているのが嬉しかったといいます。「諦めようとは、全く思いませんでしたね。「元々、専門ではないんだから、分からなくて当然!」という気持ちでいました。」毎回、授業が終わると、教授のところに行き、分からない箇所は全て確認。「教授の方も「どうせ聞き取れなかったでしょ?授業が終わったら来なさい。」って言ってくれるようになりました。」その頃を思い出しながら、チエンさんは笑います。

今年5月の卒業を目指して、現在、卒論を執筆中。修了後は、引き続き、NYでアートライターとして活動を続けたいと語ります。「でも、正直、ライターだけでは生活は苦しいので、何か他にもアート関係の仕事ができたらいいなと思っています。」

確かに、フリーランスは文字通り「フリー」で拘束が少ない面はあるものの、収入が不安定というデメリットもある。なので、収入面でもう少し余裕がある仕事をしつつ、アートライターとして仕事を続けたいと語るチエンさん。

ここ数年、複数の中国のメディアから展示のレビューやアーティストへのインタビューなどの執筆依頼があったり、時に、英語のアートテキストから中国語への翻訳も手がけたりもしています。「一つの展示のレビューを執筆するためには、とにかく時間をかけて資料を読みあさります。自分の目で展示を見て、そのアーティストの過去の展示レビューを読んだり、過去のインタビュー記事を読んだり。時間があれば、もちろん直接インタビューも。」重要なのは、執筆前の入念な準備と語ります。

中国に戻らず、NYで生活を続けるのは、なぜ何だろう?彼女の目には、NYの魅力がどのように映っているのだろうか。「NYの人たちは、周りを気にしないし、偏見もなくてそれが楽ですね。自分の意見をはっきりと相手に伝えて、相手の意見にもちゃんと耳を傾ける。そこが、中国とは違うかもしれません。」

インタビューを終えて

NYで留学し、アートライターとして仕事を続けることで、「やっと自分の進む道が見えてきた感じ。」と語るチエンさん。NYに来て一番変わったのは「積極的になった」ということ。自分が好きなアーティストや教授には積極的に声をかけ、分からないことは色々教えてもらう。書くことが好きな小学生記者だったチエンさんは、アートに出会い仕事にしています。そして、その都度、自分に足りないところがあると、それを補うために努力を惜しみません。NYという街が、彼女をより成長させたのだと感じました。


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