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小山 ひとみ コーディネーター、中国語通訳・翻訳 ROOT
日本と中国、台湾間の文化交流の橋渡し役として仕事をしていることから、東京、ニューヨーク、上海、北京で活躍している中国と台湾の女性にフォーカスを当て、彼女たちがどのようなプロセスを経てチャンスを得たのか紹介していきます。
チャンスを掴む!中国、台湾のウーマンに学ぶ キャリアアップ 2016-12-29
中国茶専門喫茶オーナー 滕樹楠(タン・シューナン)さん

「アメリカでよく飲まれている飲み物」と言えば、「コーヒー」または「コーラ」を思い浮かべる人も多いはず。確かに、NYの路上では、毎日、コーヒーやコーラを片手にした多数のニューヨーカーとすれ違います。

そんな中、NYに中国茶専門喫茶があると聞いてびっくりした私は、「アメリカ人に受け入れられるの?」と疑いを抱いていました。そのお店、結構、流行っているらしいと聞き、まずはお店を訪れることにしました。

NYの賑やかな地域、イーストビレッジの一角に喫茶「Tea Drunk」はありました。以前は治安が悪く、人が寄り付かないその地域は、近年、若者がショップを構えるなど、新たな文化発信の場となっています。

細長い店内は奥行きがあり、小ぢんまりとしています。ただ、外観だけでは、そこが中国茶専門喫茶とわかる人は多くないはず。一見すると雑貨を扱うお洒落なショップのような感じの、20人も入れば窮屈な小さな喫茶。私が初めて訪れたその日は、すでに数名のアメリカ人のお客さんが、お茶とおしゃべりを楽しんでいました。その光景を目にし、私の勝手な先入観は、すぐに消え去ったのです。

後日、改めて、インタビューのためにお店を訪れると、前回よりもお客さんで賑わっていました。奥のカウンターでは、常連客が店員と仲良くおしゃべりをしながらお茶を楽しんでいたり、テーブル席では、スーツを着た会社員らしい男性二人が仕事の話をしながら、お茶を飲んでいたり。様々な用途で使用されているんだと思いました。

中国茶を通して中国を

2013年10月にオープンした「Tea Drunk」。中国、大連出身の滕樹楠(タン・シューナン)さんがオーナーを務めています。そして、現在、3人のスタッフが彼女を支えています。将来、お茶屋を運営したい、好きなお茶のことをもっと勉強したいと、Tea Drunkで働くスタッフの動機は様々。早速、タンさん自らが入れてくれた中国茶をいただきながら、インタビューを始めます。

まず、一番聞きたかったのは、「NYでなぜ、中国茶の専門喫茶をオープンさせたのか」ということ。無数のカフェがあり、コーヒー文化が定着しているNYで、なぜ中国茶だったのかと。彼女の答えは非常にシンプルで「元々、中国茶が好きというのもありますが、飲み物の中国茶だったら、中国を理解するきっかけになるんじゃないかって思ったんです。」

味覚というのは、人間誰もが体験でき、コミュニケーションツールの一つになる。だから、中国茶を通して、中国を知ってもらえたらと。また、中国茶に対して誤った理解があることに、「それなら、自分が正しい中国茶を伝えよう」とある意味「使命感」を感じてお店をオープンさせたといいます。

タンさんの仕事は、多岐に渡ります。運営全般は当然のことながら、サイトやSNSの更新、メディアとのやりとり、そして、時間がある時にはできるだけ店頭に立ち、お客さんと直にコミュニケーションをとります。お店では、中国茶を提供するだけでなく、定期的に中国茶を知ってもらうための教室や中国茶をテーマにしたイベントも開催しているため、その準備も欠かせません。

例えば、「チーズと中国茶のテイスティング」は、以前開催して大成功を収めたイベントの一つ。チーズの油っこさとワインのタンニンが合うように、中国茶にもタンニンが多く含まれている。また、中国茶もチーズも、産地や生産過程により全く異なる味が生まれるという共通点があるのも面白いといいます。「今後は、レストランと組んで企画が組めたらと思っています。他の人がまだ始めていない、何か面白いことができたらいいですね。」

 

(写真:中国の茶農家にて。タンさん自身、茶葉の製造過程を体験する)

毎年春には、新茶の買い付けのため、中国や台湾の産地に出かけては、茶農家の人たちからお茶の摘み方から製造過程までを学びます。その過程を撮影しネットで流すことで、中国茶を知らないアメリカ人により知ってもらえたらと、お店の宣伝ということよりも、中国茶全体を盛り上げようと意欲的です。「まだ行っていない茶農家が二箇所あるけど、それ以外は全て回ったかもしれません。」新茶の茶摘みの時期は、二ヶ月半という短い期間。その間に各地を周り、新茶をゲットしなければいけない。「その時期を逃すと、その年のいいお茶が手に入らないんです。競争ですよ。」

でも、タンさんのように、直接農家を訪れてお茶を買い付ける人は、そう多くないそう。「だから、みんな、親切にしてくれます。田舎だから、宿泊場所がなかったりすると、家に泊めてくれたり、ご飯を出してくれたりね。」彼女のお茶への情熱が、農家の人たちの心を引き付けるのだと感じました。

タンさんと中国茶の縁は、なんと子供の頃に遡ります。毎日、中国茶を欠かさず飲んでいた父親の影響で、子供の頃から、タンさんも中国茶を飲んでいたのです。元々、甘いジュースや炭酸飲料が嫌いな子供で、中国茶の苦味を好んでいたそう。「祖母が飲んでいた薬用酒や漢方の味が好きだったり、周りの大人たちもびっくりしていましたよ。母は、お茶ばかり飲んでいるから眠れなくなるんじゃないかって、父に「もう飲ませないで」ってお願いしていたくらいです。(笑)」

子供の頃から中国茶が身近にあったとはいえ、身内に、中国茶を専門にしている人はいませんでした。そんなタンさんが、中国茶を仕事として真剣に考えたのは、30歳を直前に控えた2012年でした。

ファイナンスの仕事から一転、お茶の世界へ

高校入学のタイミングで、家族でアメリカに渡ったタンさんは、ヒューストンの高校に通います。卒業後、アリゾナ州に渡り、大学では経営を専攻。成績が良かった彼女は、3年で大学を卒業し、コーポレート・ファイナンスの仕事に就きます。NYで生活したいとずっと思っていたこともあり、2009年にNYに移住。引き続き、ファイナンスの仕事に就きます。

8年間、自分が得意としてきたファイナンスの仕事を続けてきたタンさん。「自分が夢中になれることができている?」「今の仕事は意義がある?」と30歳を目前に、自分の将来について自問自答するようになります。そして、NYで久しぶりに再会した中学時代の友人と将来の話になり、彼女の中で別の道に進むべきという思いが強くなったのです。

「退職したら、どういう生活を送りたい?」友人からの問いに「中国茶の喫茶でも開いて、お客さんとおしゃべりしたり悠々自適な時間を過ごすかな。」と回答。それを聞いた友人、「それだったら、今すぐ始めたら?」とタンさんに投げかけました。30歳はもう若くない。自分が夢中になれることを今すぐやるべき。「それで、「喫茶をやろう!」って決めたんです。」また、スティーブ・ジョブスの存在も、将来を考える上で影響を受けたといいます。「彼の一言、一言が、新たな自分探しの後押しとなりました。」

いろんなタイミングが重なり、喫茶をオープンさせることに決めたタンさん。決断してからの行動は早かった。すぐにファイナンスの仕事を辞め、約1年かけて、お店の準備を始めたのです。

以前から中国茶に関する本は読んでいたけれど、その頃から本格的に中国茶の勉強を進めます。本を読むだけでなく、頻繁に中国の茶農家を訪れ、直接農家の方達からお茶のことを学びました。また、お店の場所探しには、時間をかけました。「お店を経営している友人達からは、じっくり探した方がいいよってアドバイスを受けました。Tea Drunkのあるストリートには、一癖も二癖もある個性的なショップや評価の高いレストランが並んでいるので、訪れた時「ここしかない!」って即決でした。」

 

(写真:お店では、定期的にタンさんが講師となり、中国茶の教室を開催)

様々なストーリーが生まれる喫茶

お店をオープンさせて、今年でちょうど3年。この3年は順調だったのだろうか?タンさんに聞いてみると「スタート当初は、やることが多すぎてストレスを感じましたけど、大変と思ったことは一度もありませんよ。でも、一緒に運営しているパートナーがいるわけではないので、孤独を感じることはあるかな。」

固定ファンもつき、着実に知名度は上がっている。NYは、様々なカルチャーが混沌としている街。「ニューヨーカーは、常に新しいものに興味を持ち、試したいって思うんですよね。そういうことに対しては、一切躊躇しないんです。」なので、お店の外観が気になって入店してくるお客さんも多数います。お店が可愛い、お茶の入れ方が面白い、ゆっくりおしゃべりできる。初めて訪れたお客さんやメディア関係者が宣伝してくれ、どんどんファンを増やしているそう。

できるだけ店頭に立ち、お客さんと直に接しているタンさん。きっと、印象に残ったお客さんがたくさんいたはず。「面白いんですが、Tea Drunkはファースト・デートの場所として使われることが多いんですよ。」カフェだと、軽い印象を与えてしまう。食事やお酒は、二回目のデート以降がいい。そう考える男性が、ファースト・デートにTea Drunkを選ぶのだそう。「ある常連客の男性が「最近来れなくてごめんね。お店が嫌いになったわけじゃないよ」ってお店に入ってきたんです。よくよく聞いてみると、彼女ができたから、もうファースト・デートの必要がなくなったって。(笑)」

「お客さんとは、友人のような関係になるんですよね。」とタンさん。先日、ある女性のお客さんが「私のこと覚えていますか?」とお店に入ってきました。その女性は、1年前、初めてTea Drunkを訪れた時、体調が悪かったそう。当時、涙を流しながら、タンさんに色々話をしたといいます。「その時、彼女に僧侶の友人が作ったお茶をあげたら、それからずっと大事に保管していたんだそうです。」彼女にとって、Tea Drunkは喫茶という存在だけでなく、精神的な支えの場所となったのです。「NYを離れるお客さんが、お店に挨拶に来てくれたり、常連のお客さんたちは、Tea Drunkのことを「聖なる場所」と呼んでくれたり。嬉しいですよね。」

オープンから3年、メディアからは「NYに来たら訪れるべき喫茶」に選ばれるまでになりました。そろそろ2店舗目は考えないんだろうか。「いずれは2店舗目もオープンしたいと思っていますが、今は、とにかく中国茶の教育と普及に力を入れたいですね。」タンさんの理想は、中国茶に興味を持ち、中国茶を買って自宅で飲む人が増えたらということ。最近は、大学や企業から依頼されて、中国茶に関するトークをする場も増えてきたそう。中国茶への愛情が深いからこそ、多くの人に存在を知って欲しい。そして、中国にも興味を持ってくれたらと、彼女の思いは一貫して変わらないのです。

最後に、NYでお店を持ちたい人がいたら、どうアドバイスする?と投げかけてみました。「まず、お店を持つことの明確な目的とお店の専門性が必要だと思います。お金のためなのか、趣味で始めるのか、何かを変えたいという強い意志があるのか。その思いによって、お店の運営や雰囲気など、様々な部分に影響が出ます。」NYには、すでに無数のお店があり、新しいお店も続々とオープンしている。でも、「これが流行っているから」と軽い気持ちでお店を始めると、続かない。だから、専門性を持って、他のお店とは違うという差別化を出すべき。3年間、一人でお店を続けてきた現役の経営者が語る、力強いメッセージでした。

インタビューを終えて

「残酷かつ寛容な街」それは、タンさんが形容したNYに対するイメージでした。競争の激しいNY。そんなNYの中で、近年、新しいショップが軒並みオープンしているエリアにお店を構えるということがどれだけ恐ろしいことか、タンさん自身、重々分かっているのです。それでも、中国茶を広めるため、日々、研究を続け、ただお茶を出すだけのお店に留まらず、プラスアルファを増やすべく努力をしています。Tea Drunkは、確実にニューヨーカーにとっての新たな文化発信地かつ、憩いの場になっているのです。

 


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