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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2016-08-17
あなたを強くするローマ人の言葉⑧~塩野七生『ローマ人の物語』より~

始まりましたね!リオ・オリンピック!

オリンピック開始早々、飛び込んできたのは男子水泳の萩野選手の金メダル、瀬戸選手の銅メダル獲得のニュースでした。

肉体的に華奢な東洋人は、これまでどうしてもスポーツで海外の選手にかなわないというイメージがありました。団体競技ならまだしも、個人競技ではその人個人の能力が如実に現れます。

けれども日本人の身体能力は飛躍的に高まっています。それを象徴するかのような今回の金メダル獲得。萩野選手も素晴らしいですが、ともに切磋琢磨しあったライバル瀬戸選手の存在も互いにプラスになっているはずです。

さて、古代ローマでも目標をともにし、力が拮抗する「ライバル」の存在はあったようです。

今回の引用する『ローマ人の物語』第8巻では、1年半という短い間になんと皇帝が3人も変わるという「すんでのところでローマが崩壊するところだった」(歴史家タキトゥス)、ローマの危機が訪れます。そのあとにようやく「国政のために行動するまともな皇帝」ヴェスパシアヌスが登場。そのあとは彼の長男ティトウス、ティトウスの急逝により彼の弟ドミティアヌス、ショートリリーフのネルヴァ。ネルヴァの後、ローマの安定した賢帝時代が続きます。

 

ライヴァル意識とは、競い合う意識であって、敵視し合う意識ではない。

とくに当事者2人が才能に恵まれていればなおのこと、相手の能力も認め合うものではないだろうか。

嫉妬とは、相手に対して能力に劣ることの無意識な表れにすぎない。

 

愚帝とも言える皇帝が3人出ては消えた1年半。その後に登場したのは、60歳という年齢で皇帝の座に就いたヴェスパシアヌス。彼は自然死するまでの10年間、自己保身や私利私欲に目を晦ませることもなく、まっとうな政治を貫きました。

古代ローマ人の60歳というのは、現代人でいえば一体いくつくらいのイメージなのでしょうか。余談ですが、先日日本で初めて女性の東京都知事が誕生しました。

当時のローマで1年半に3人も!と、驚きますが、考えてみれば現代日本の東京都知事も、直前の2名の知事の、その短命ぶり(1年、2年4か月)を考えると他人ごとでは言えないのかもしれません。

さて東京の新しい知事、小池百合子さんは64歳。現代よりもずっと寿命が短かったはずの古代ローマ人でも60歳で皇帝になり、10年もの間安定した政治を行ってきたわけですから、「その人」次第で、十分立派な政治はできるとも言えると思います。

ところが、都知事選の際の小池百合子氏に対し、元知事は「大年増の厚化粧に任せられない」というような発言をしたとか。「女性が活躍する社会」を目指しているはずの現代日本で、このような発言が出ることも驚きますが、年齢や化粧の濃い薄いで相手を批判することは、政治家の発言にしてはあまりに稚拙(発言者は84歳ですが(笑))。

ぜひ能力を存分に発揮して、これまで批判してきた人たちをギャフンと言わせてほしいものです。

さて、長い余談でしたが、この60歳で皇帝になったヴェスパシアヌス。貴族出身でもなく、戦争の現場を渡り歩いた「叩き上げ」です。ローマ経済界を表す「騎士階級」(二級)の出身ですが、貴族間の仲間意識の強い元老院の存在があっても敵に回さず、安定した治世を行えたのは、彼に足りない部分を補う「盟友」がいたからです。

そしてこの盟友ムキアヌスや次期皇帝に指名していた長男(皇帝就任後、治世2年で疲労により40歳の若さで急死)に権限を与え、与えた権限の範囲に関しては口を挟まず任せていたと言います。現場(戦場)での叩き上げですから、人心掌握術に長けていたのでしょう。

ムキアヌスとは、健全なライバル意識を保ちながら、互いに高め合えるまさに盟友と言えます。前回ご紹介した4代皇帝クラウディウスの「他者を活かす能力」にも共通しています。

自分自身を冷静に知ることで、有能な人やライバルを認め、高め合える。カリスマ性はなくとも「大人のリーダー」の在り方の一つではないでしょうか。

 

ローマ人は、自らの生命をいかなる手段に訴えても延長しようとする考えには無縁であったのだ。

社会的にも知的にも高いローマ人になればなるほど、頭脳的にも精神的にも肉体的にも、消耗しつくした後でもなお、生き延びるのを嫌ったのである。

 

これは超高齢化が進む、現代の世の中で考えさせられる言葉です。

私には祖父の思い出がほとんどありません。なぜなら、母方の祖父は私が生まれる前に(母が結婚する前に)亡くなっていたからであり、父方の祖父は私が物心つく前に亡くなったからです。そして二人の祖母のうち、父方の祖母は私が小学生のころ亡くなりました。

身内の「死」という場面に、きちんと向き合えたのは、大学生の時に亡くなった祖母の死に際してが、最初の経験でした。

その祖母は、癌を患っていました。自著『幸せの隠し味』でも祖母の死について少しだけ書いたことがありますが、祖母の「死の在り方」について、母と母の兄二人とでは意見が分かれました。末期癌だった祖母の最期が近づくまで、母は都内に住む祖母を横浜の自宅に引き取り、介護しました。夫を早くに亡くし、長い間一人暮らしをしていた祖母の最期の時間を、病院ではなく、家族とともに過ごさせてあげたいという母の願いであり、思いやりでした。

大学生だった私は、毎日祖母の部屋に行き、「行ってきます」と声を掛けました。母は毎日緑多き横浜の自宅回りを一緒に散歩しました。東京生まれ東京育ちの祖母にとって、横浜の家は、まるで自然の中にいるようだったと思います。

お嬢様育ちの祖母はちょっと辛口で、それがお茶目でもありました。「行ってくるね」とのぞき込む私の鼻をつまんでは、「もうちょっと鼻が高かったらね」と言ったものです。母に話すと、母も毎回同じことをされているそうです。「おばあちゃまらしいね」とほほえましく笑ったものでした。

その穏やかな終末も、終わりを告げる時がやってきました。妹の家にいることが心配な兄たちが、無理やり病院へ入院させることにしたのです。私たち家族と祖母は引き離され、母は毎日横浜から都内の病院へとお見舞いに行きました。

大学にアルバイトにと忙しかった私も、時折お見舞いに行くと、そこには管に繋がれ、変わり果てた祖母の姿がありました。何としてでも1日でも長く生きてほしいと願う叔父たちの気持ちがわからないでもありません。でも、癌のせいで認知症にもなっていた祖母が、一人病院で管に繋がれることを望んでいたとは思えません。たとえ、ほんの少し寿命が縮まったとしても、仲良しだった母と、一番末の孫である私の鼻を毎朝つまみながら、互いに笑顔を向け合う日々の方が祖母らしい最期ではなかったのかと思うのです。

当時は認知症の進んだ状態であり、まして今はこの世にいない祖母の気持ちはわかりません。でも、最期は人として、人に囲まれながら、家族として、家族に囲まれながらこの世を全うすることのほうが、人間らしい誇り高き死ではないかと思えてなりません。

叔父たちの気持ちは、本当の愛なのだろうか。祖母の気持ちを考えた決断だったのだろうか。その後しばらくして二人の叔父のうち、一人は癌で亡くなりました。今、その叔父は天国で祖母とどんな話をしているのでしょう。

誇り高きローマ人は、意味もなく、意識もなく、「ただただ生きながらえる」ことを嫌いました。自分の人生を、意味のある形で終わらせるには、本人の意思とは関係のない延命では実現しないと思っていたのでしょう。

いつか私がその世界へ逝くとき、そのように誇り高く考えられるかはわかりません。

ただただ、彼ら誇り高きローマ人の生きざまを尊敬するということしか、死を目の前にしていない私にはわからないのです。

 

人の能力を極限まで研ぎ澄ませたアスリートの祭典、オリンピック、パラリンピック。

そして自分の能力を冷静に見つめて、ライバルや盟友、能力ある人たちを活かす治世の在り方。リーダーの在り方。

彼らがこの世を去る時に考える、生命ある間を存分に生き抜くことの大切さ。

 

この夏、あなたの胸にはどんな言葉が焼き付いたでしょうか。

そして、あなたの目にはどんなゴールが見えていますか?


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