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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2015-07-15
元祖・歌謡界のアイドル「橋幸夫」さんの言葉~新シリーズ『言葉のチカラ』~

「御三家」という定義(メンバー)は時代によっていろいろあれど、元祖・御三家のメンバーとくれば、橋幸夫さん(他に舟木一夫さん、西郷輝彦さん)です。すっきりとした顔立ちは芸能生活50年を越える今でも健在。ダンディーな紳士という言葉が似合う現在の橋さんですが、若かりし頃もさぞ、若い女性の心をわしづかみにしただろうと想像がつきます。

このシリーズでも、芸能生活50年を越える「大御所」を数多くご紹介してきました。彼らの人生の始まりはいつも「ほとばしるような情熱」があることに多くの読者の方は眩しく映ってきたことでしょう。一方で「そんな情熱や才能が、若い時にあったらな」と、平凡な自分と比べてしまった方もいるかもしれません。

そんな中、今回ご紹介する橋幸夫さんの輝かしい活躍の第一歩は、「不本意」という言葉につきます。

不本意な一歩から、50年という長きに渡る活躍にまで変化をしたのはなぜなのでしょう。

 

遠回りをしたからこそ、自分の「天命」を知ることができた。

「体験」というものは、天からの贈り物なんです。

 

歌謡界のアイドルとして一世を風靡した橋さんが歌手になることが「不本意」だったというのは、じつは「母のお仕着せ」だったからだそうです。

中学生のころ、橋さんにいわゆる「悪ガキ」の友人ができたことに心配した母親が、強制的に入れたのが「遠藤実音楽教室」。歌にはまったく思い入れがなかった橋さんでしたが、才能を認められ、吉田正氏を師として17歳のときにデビューが決まります。

「自ら選んだ道ではない」という思いとは裏腹に、人気はウナギ登り。自分のようで自分でない。操り人形のような、浮ついた気分だったと述懐します。

「この矛盾感が拭えなくて、20歳を過ぎてからずっと、『このままでいいのだろうか』という思いを抱いていました」

そんな思いを抱きながらも、歌手としては順風満帆。「違う道」を実際に見つけたのは、それから長い時間が必要でした。デビューから25年目。「本当は歌手ではなく、歌手を支える側になりたいのではないか」という自分の欲求に目覚めてきたころ、「一緒に芸能事務所を立ちあげないか」という話が持ち上がります。

願ってもないことと、橋さんは乗り気に。初めて名刺を手にして営業活動も始めたころです。

「名刺なんて、あなたは持たない方がいい」

営業先で、こう諭されたそうです。本来、名刺がなくても何者かが示せるということほど、強いものはありません。多くの人は名刺の肩書きや会社名に頼って、それを自分の価値と「見積もって」社会人生活を送っているものです。その人は、「橋幸夫」という誰にも代えがたい存在を大切にしなさい、そういう思いを、その一言に込めてくれたのでした。

そのころ、認知症を発症し始めた最愛の母が、そんな橋さんを見てこう言います。

「ファンの方たちはお前が歌手として戻ってくることをずっと待っているんだよ」

歌手でない自分を体験したからこそわかったファンや母の有難さ。橋さんの胸に熱いものが迫り、一度は手放そうとして初めて「歌は天命だった」と感じるようになったのです。

 

世の中に『偶然』はないのです。すべてに意味がある。

人は、そこにある意義を考え、心から理解していくことで、自分の存在をどう未来に生かしてゆくかを前向きに考えていけるようになるものです。

一人ひとりが、大切な役割を担っているはずなのです。

 

ところで、橋さんにはベストセラーの著作があることをご存知でしょうか。タイトルは『お母さんは宇宙人』。橋さんの実母は認知症を患い、歌手生活を送りながら家族で壮絶な介護生活を両立してきました。

そんな中でこそ、出てきた言葉が上記のものです。母の介護を「自らに課された必然」と考え、懸命に介護を続けてきました。平成元年に刊行されたこの本は、当時、急速に増えてきた認知症や介護の問題に、一線で活躍してきた橋さんが体験として赤裸々に綴ったものとして、高齢化社会を突き進む日本に一石を投じました。二十年以上経った今でも、橋さんの認知症介護に関する講演依頼は後を絶ちません。

半ば強制的に歌手への道へといざなった母。天命を見失いそうになった橋さんを、本来の「生まれ持った星」の元へ戻してくれた母。育ててくれたファンへの感謝の気持ちを思い出させてくれた母。

そんな、大切な母が「自我」を失いつつあることは、橋さんにとって辛い現実であったことでしょう。それでも、にじみ出るような優しい表情でこう語りました。

「人は思わぬ体験をするものです。そしてそれが人を成長させてくれる。母は私たち家族に何かを学ばせるために、人を超える存在になったのではないか。そういう思いで著作は『お母さんは宇宙人』と題しました」

「天命から目をそらすな」。そう教えてくれた最愛のお母様の晩年の存在があってこそ、「困難から目をそらすな」そう力強く語る橋さんがいるのです。その困難の先には、その人にしか得られない学びがあり、その学びを経てこそ、真の心の平穏があるということを知っている橋さんの眼差しは、強くとも深い優しさに満ちていました。


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