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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2015-03-18
いぶし銀の存在感が光る「五木ひろし」さんの言葉~新シリーズ『言葉のチカラ』~

演歌界の大御所、五木ひろしさん。東京ウーマン世代のみなさんには馴染みのない世界かもしれません。演歌の世界は、師弟関係の厳しさや業界の不文律など、閉鎖的なイメージもあることでしょう。そんな厳しい世界において、50年というキャリアを持ち、つねに表舞台に立つ五木ひろしさんの、強さの秘訣とは。

花にたとえられることの多い女性の人生ですが、「ぱっと咲いて、ぱっと散る」よりも、やはりいつまでも充実した人生を送りたいもの。「いぶし銀」という言葉にふさわしい五木さんの人生とそこから溢れた力強い言葉から、あなたの人生が輝くヒントが見つかるかもしれません。

 

人間は、完璧な人などいません。誰しもどこかに不安を抱えている。

だからこそ、夢を持つべきなんです。

そして夢を持ったら、それを叶えるべきです。

叶えるためには、頑張らなければなりません。

そうして夢を叶えた人は、それを支えてくれた周囲の人や環境に、かならず感謝できる人になるのです

 

演歌の世界って、よくわからないな・・・(真面目に聞いたこともないし・・)。五木ひろしさんへのインタビューが決まったときの、正直な感想です。

しかし、わからない遠くの世界(業界)の人と、こうして数時間でも(数十分のときも)関わり合うと、輝く人にはかならず、輝く理由があることがわかります。

自分がなぜ、凡人なのかも(笑)。

五木ひろしさんと対談したときもそうでした。細く優しげな目をして演歌を歌う大物歌手。対談前はきっと、歌が上手だから大物なのだろう。きっとチャンスにも恵まれていたのだろう・・・。

それを見事に裏切ってくれたのが、五木さんの人生遍歴です。「歌は天職」と言い切る五木さん。幼少のころから歌が上手で、近所では有名な子供。「歌手になりたい」という夢を持つにはあまりに自然な流れでした。「早く都会へ行きたい」。五木少年は、自分の未来を夢見る、まさに前途洋洋たる才能ある少年でした。

1964年、弱冠17歳で五木さんはコロムビア全国歌謡コンクールで優勝を果たし、歌手デビューを飾ります。しかし、このときは「五木ひろし」はまだこの世にいませんでした。

驚いたことに、五木さんは歌手デビューをしてから、芸名を3回も変えています。現在の「五木ひろし」は4度目についた芸名だったのです。

芸名がこれだけ変わるということを聞いただけで、勘の良い読者のみなさんは五木さんの身になにか複雑な出来事が起きたのではないかとお察ししていると思います。

17歳の五木さんを見出した師、上原げんと氏の死によって、五木さんの前途洋洋たる歌手人生に、暗い影がもたらされました。17歳にして「仕事が来ないかもしれないという恐怖と置いていかれる寂しさ」を味わったといいます。

一度はスポットライトを浴びた五木さんは、それ以来、ほかの歌手の「前座」としての役割しか回って来ない立場になりました。

「その『立場』を自分に納得させるために3年はかかりました」と懐かしそうな表情で語ります。そして、「xデー」がやってきます。いよいよ、前座の仕事さえも回って来なくなったのです。天狗になりがちな17歳という年齢の少年が、表舞台から引きずりおろされたとき、挫折せず、腐らずに前を向いてこられたのは、やはり「夢は叶えるもの」という強い信念があったからにほかなりません。

夢は誰かのために見るものでも、叶えるものでもなく、自分自身のためにあるもの。

当たり前のようでいて、そう覚悟が定まらないのが人間というものですが、「人は弱いからこそ、夢が必要」と、五木さんは語気を強めます。

仕事がなくなる。その恐怖のどん底で、五木さんが起こした行動は「銀座での弾き語り」でした。今の五木さんを見ていると、そんな時代があったとは到底想像できません。しかし、五木さん自身は「あのときほど、歌う場所があることの有り難さを感じたことはない」と言います。「歌は天職」。だからこそ、その命を輝かせる場所があることの幸せを痛切に感じたのでしょう。プライドもあったはず。悔しい思いもあったはず。でも、人を恨んだり、環境に不平を言うよりも、自分の天命を少しでも輝かせる場を懸命に探した末の行動。

これを、天が見ていないわけはありません。

銀座で弾き語りをしていた五木さんは再びスカウトされるのです。輝く人は、どこにいても輝くもの。そしてかならずそれを見出す人がいるものなのかもしれません。

そして五木さんは「ふたたび歌手になれるか、すべてを諦めるか」という一世一代の大勝負にでます。それが、テレビ番組『全日本歌謡選手権』。ここで10週勝ち抜きという栄冠を手にし、翌年の1971年、あの有名な「よこはま・たそがれ」をリリース。五木ひろしはこのとき初めてこの世に送りだされました。

その後の活躍はみなさんご存じのとおり。現在は「自分が憧れの先輩でいることが、後輩を育てることになる」と、後世のために気を緩めることなく精力的に活動を続けています。

「自分には不遇の時代があったからこそ、今があると思える。その不遇の時代を必要な時期だったと振り返られるのは幸せなことです」

五木さんがいつまでも強く、優しさをも備えているのは、夢をかなえ、一度は絶望の淵に立ったことのある少年期を過ごしたからなのでしょう。そして夢を捨てなかったことで、その絶望に立ち向かった「元・少年」は、今ふたたび夢についてこう語ります。

 

夢が叶い、周囲に感謝をするようになると、自分のやってきたことを誇りに思えるようになる。

誇りはより一層、周囲への感謝を感じる心を作り、

そうしてまた、人は新しい夢を持つことができるのです。

 

あなたには夢がありますか?小さな夢からでも良い。叶えて感謝して、誇りを持って生きる。

このご時世、花の命は(かなり)長いもの。いつも夢と誇りに包まれた人生を送りたいものです。


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