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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2015-04-15
元祖演歌界のアイドル「坂本冬美」さんの言葉~新シリーズ『言葉のチカラ』~

華奢な体躯に清楚な顔立ち。演歌界のアイドル的存在から、いまやベテランの一人に数えられる坂本冬美さん。きりりとした表情と親しみやすい人柄を併せ持つ、「女性が好きな」女性の代表的なタイプと言えるでしょう。

焼酎「いいちこ」のCMで流れた坂本さんがカバーした「また君に恋してる」の大ヒットは、記憶に残る読者もいるのではないでしょうか。

楚々としたイメージからは想像つかないかもしれませんが、坂本さんは「梅干し工場」に勤めているときに芸能界にデビューした「和製・シンデレラストーリー」を地で行く女性。

どんな「シンデレラストーリー」にも、苦労話がつきものですが、だからこそ、「普通の人」に希望を与えてくれるのかもしれません。

昭和の「和製シンデレラ」は、そこの経験からどんな言葉を紡ぎだしてくれるでしょうか。

 

順風満帆だったころなら気づかなかったことを、

あのときのつまずきがたくさん教えてくれました。

人には、きっとそれぞれに必要な「つまずき」があるのでしょう。

 

歌の上手な少年少女がその才能を見いだされ、芸能デビューを果たすときの王道と言えば、テレビなどの歌謡歌合戦のような番組で優勝、あるいは上位に輝くことでしょう。

坂本冬美さんも例外ではなく、デビューの直接のきっかけは「NHK勝ち抜き歌謡天国」という番組の和歌山大会にて優勝したことでした。

そのとき19歳。まだうら若き乙女と言える年頃ですが、じつはその頃、高校を卒業して梅干し工場に勤務する、地味な地方の「一女性従業員」でした。

彼女が歌手になることを志したのは、演歌好きの祖父の影響。それも子供のころ、石川さゆりの『津軽海峡冬景色』を聞いて、「しびれてしまった」というから、筋金入りです。

そのときから、坂本さんの頭には歌手になることしか浮かばなかったといいます。「なりたい」という夢ではなく「絶対になる」。そういう強い信念が中学生のころには確立していたと言います。

そうは言っても、やはり所詮は「本人の思いこみ」。中学生のころに出場した歌手への登竜門となる番組では地方大会で上位にすら上がらず敗退。「地元で褒められる程度ではだめなんだ」と強く思ったそうです。

挫折する人と夢をかなえた人。その違いは、最初のつまずきどう捉えるかだと感じます。挫折する人はすぐに「自分には才能がない」と決めつけ、いわば、「才能がない」せいにして努力することをやめてしまいます。一方、夢をかなえた人は、「自分に足りない何か」を、環境や天の采配に求めるのではなく、自分自身の中に問い続け、格闘します。もちろん坂本さんは後者。

最初のつまずきから、毎日毎日歌の練習を積み重ねます。月日は過ぎ、坂本さんの中学高校の学生時代は終わり、就職。それでも歌うことはやめません。工場の近くのカラオケ教室のスタジオで、仕事の合間の昼休みにも歌い続けます。

前向きに頑張っている人を、応援したくなるのは世の中の常。周囲は彼女が毎日練習できるようにさまざまな協力をしてくれたと言います。

カラオケ教室のスタジオで、毎日彼女に付き添って機械の操作をしてくれた人もその一人。その人がNHKの番組に、彼女の歌の入ったデモテープを送ったことから、「シンデレラ」は誕生したのです。

 

偶然に見えた出会いも、必然であると信じています。

だから私は、あらたな人や歌と出会うたびに、変わってゆくことができたのだと思うのです。

 

先述したNHK番組の和歌山大会での優勝。この番組は歌い手と作曲家がペアを組んで勝ち抜きを行うというルールがあり、このときのペアの相手が作曲家の猪俣公章氏だった。

「君の挑むような瞳がいい」

猪俣氏をして、まだ十代だった坂本さんの瞳は、自分の描いた未来に向けてまっすぐに、淀むことなく輝いていたのでしょう。

それから坂本さんはその実力と容姿で、演歌の世界に新しい風を吹き込みます。その後の活躍はみなさんもご周知のとおり。けれどもじつは、絶望と希望を行ったり来たりした苦難の一年間があったのです。「休業」。それは芸能界にとって、そのまま忘れられてしまう人になるという可能性も孕んだ、ある意味で勇気のいる決断でした。2002年のことです。

疲労が重なり、体調もすぐれなかった坂本さんがそのとき歌った歌は、よりによって「昭和の歌姫」美空ひばりの名曲。自分では思いもよらないほどの失敗を感じ、歌手としての役割不足を痛感し、「歌手でいる資格がないのでは」と落ち込みます。

このままの気持ちで歌い続けることは難しいと、「休業」を発表。復帰できない可能性も頭をよぎります。そんな坂本さんを救ったのは、演歌界の大御所二葉百合子さんの歌声。当時歌手生活65周年を迎えた二葉さんの歌声は、しっかりと頼りがいがあって、堂々としていたそうです。何度も聞いたはずの歌が心に突き刺さり、「自分もこんな歌手になりたい」と思いを新たにした坂本さんは、二葉さんに直筆の手紙を送ります。

二葉さんの指導を受け、一年という早さで復帰。坂本さんの前向きな姿勢は、周囲の人を巻き込む力を持っているのでしょう。

どんな「輝く人」にも必ずある、挫折経験。逆に言えば、そんな挫折から立ち直った人だからこそ、多くの人を虜にする魅力を持っているとも言えるのかもしれません。

歌手デビューしてから順風満帆だったときには小さな失敗にもくよくよしていたという坂本さん。休業という「挫折」を克服した後では、小さな失敗を恐れることがなくなったと笑います。

「だって、あれだけ練習したんだから」と大らかに捉えられるようになってきたからだそうです。そんな大らかさが、また一つ坂本さんの魅力に加わっているのかもしれません。

たくさん叩かれた鋼は丈夫でしなやかです。坂本さんもたくさんのつまずきが、しなやかで安定感のある彼女の魅力を作っているのだと思えてなりません。

たくさん失敗してきたあなた。たくさん泣いてきたあなた。いまでもたくさん悩んでいるあなた。もう、「どうしてあの人ばっかり恵まれているの」そう思うことはありません。あなたには、あなたにしかできない「幸せの見つけ方」があります。

あなたの人生に降りかかる悩みや苦しみ、それはあなたの魅力を増すための、大切なつまずきです。そのつまずきの意味を考え、向き合っていくことが、いまあなたにできる「自分磨き」なのです。


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