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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2019-12-18
あなたらしく生きるために~バックの言葉⑫

早いもので、今年もあと2週間ほどになりました。

平成から令和への御代替わり、長い連休に長梅雨。そのあとに続いた暑い夏。

秋という風情あるはずの季節も、10月に入ってもまだ来ずに、暑い日々が続きました。

12月に入ってからも、冬らしい日はほんの少しだったような気がします。

(もっとも、これは私の住んでいる首都圏での話ですが。)

 

今年は多くの水害に見舞われました。日頃水害の少ないエリアだからこそ、甚大な被害となりました。

今年もこれまでの教訓は生かされることなく、ただただ自然界の脅威に右往左往する私たちでした。

 

こうした日々を何十年過ごせば、人間は自然界の一部であり、けっしてその上に君臨することを望んではいけない存在だと気づくのでしょうか。

 

そんな一年の終わり、読者のみなさんはどのような思いを抱いているでしょうか。

 

私は一年の終わりに、自分の振り返りをすることを毎年恒例の自分行事にしていました。

予定どおりできたこと、予定どおりにできなかったこと、やってみたけれどうまくいかなかったり、目標が未達だったこと。

あるいは、思った以上の成果や、思いがけない出来事について。

そして、次の年へ向けた「参考」とします。

新しい年に、それらを踏まえてどう生きていくか。あるいは、数年間という中長期の予定として人生に組み込むか。

 

ところが、ここ数年、それらの「年末恒例自分棚卸大会」がすっかり滞っていることに気がつきました。

やりたいことがいっぱいあるのに、やるべきことを処理しているうちに、一年があっという間に終わってしまった…

という数年です。

 

まだまだ小さい二人の子供の子育て。次男は単純に親の手助けがないと、毎日の登園さえできない幼稚園児。

ひとりで学校に行けるようになって二年目の小学二年生の長男も、習い事の送り迎えという物理的なお世話は残っているし、勉強のことや進路のこと、人生観などについての方向性を話し合ったり、ときに様々なたとえを使って道しるべとなったりと、精神的なケアが高度なものを要求されるようになってきました。

 

抱えている本の原稿。連載の締切。

大学の仕事や他社のアドバイザーとしての仕事。

それに加えて、今年は小学校のPTAで本部役員を仰せつかり、任期は二年のため、来年もまだ続きます。

 

私のような多岐に渡る仕事をしているのは、けっして珍しいことではなく、ワーキングマザーはみな、毎日毎日、このようなマルチタスクをこなしています。

 

こなすだけで精一杯…。それが正直なところでしょう。

 

でも、一年に一度の振り返りくらいはしなければいけないな、と猛省をしています。

かつては「仕事をこなす」という言葉が嫌いでした。

事務的な言葉、人間味のない、「処理」をするようなイメージがあったからです。

でもまさに自分は「こなす」ことで精一杯だったのです。

 

でも、結婚し、家族や子供と生きていくことも、仕事を続けることも、PTAを引き受けたのも、やはり自分が決めたこと。選んだ道です。

 

救世主のドンは、ラジオ番組に招聘され、

「みんな好きに生きればいいさ」と発言します。

 

リスナーからは批判が殺到。

「みんな生活のために頑張っているというのに、あんたみたいに好きなことばっかりしていたら、世の中どうなっちまうんだい」

 

そんな批判の中、火に油を注ぐようにドンは繰り返します。

「生活のために仕事を必死になっているやつは、そういうことを望んでいるからやっているんだ。あんたたちが好きなことをやっているやつというのと、同じなんだ」

 

(※文章は、本文からの転記ではなく、要約です)

 

これまでも、『救世主入門』のなかで、幾度となく繰り返されてきた

「自分の行動は、自分で選んでいる」という示唆は、ドンの率直な物言いで「一般大衆」からの怒りを買います。

「だからこそ、君たちは一般大衆なんだ」と、ドンは心で呆れているかのようです。

 

さて、物語の終盤、この物騒な会話は、衝撃の結末を迎えるための伏線となっています。

ぜひ、ドンがその後どうなったか。リチャードは救世主になれたのか?

本作品をお読みいただき、ご自身で確かめてみて頂けたらと思います。

 

私は、初めて読んだ16歳のとき、心臓がドキドキ、バクバクという音が自分でもはっきり聞こえるくらいに、緊張し、手に汗を握り、そして衝撃を受けました。

今でも、このシーンを読むときには、緊張します。

 

さて、『救世主入門』は、「自分の道を自分で選んでいる自覚を持ち、自分の足音を聞きながら、一歩一歩あるけ」と、そして、「すべての自分の人生の責任は自分にある」と様々な表現方法で、伝えます。

 

この一年、本当にやりたいことはできたのか。

この先、それらを踏まえてどう生きていくのか。

 

『救世主入門』はそれらを知る方法を教えてくれました。

 

君は自分の中に預言者が住んでいるのを知っている。

預言者を閉じ込めてはいけない。

それは絶対に避けるべきである。

 

ここでいう「預言」は、未来を予測するという意味の「予言」ではありません。

神からの神託を預かるという意味で、宗教などで主に使われる言葉です。

 

自分の中に預言者が住む、とはどういうことか?

それはおそらく、一人ひとりの心に神がいるということではないでしょうか。

リチャード・バックはキリスト教徒でしょうから、神と言えば、イエス様なのかもしれません。

しかし、私たち日本人はもともと八百万の神がいる国の人間です。

空も、海も、樹も、土も、すべてに神が宿っていると考えていた民族ですから、もしかしたら、この言葉はより理解しやすいかもしれません。

 

お天道様が見ているから、悪さをしてはいけないよ。

 

多くの日本人が、子供のころに「おばあちゃん」から言われたその言葉。「お天道様」は、太陽であり、神であり、そして一人ひとりの心にいる。

けれどもそのような純粋な気持ちを、大人になるにつれて忘れていきます。

 

本当は美しく前向きな心が一人ひとりの胸の中に入っているのに、さまざまな「人間的な」あるいは「物理的な」理由をつけては、いつのまにか、隅に追いやられています。

 

だからもう一度、大人であるリチャードに、救世主入門は教えます。

昔、子供のころに抱いていた「たくさんの可能性」を、閉じ込めてはいけないよ。

君の「心」が、できると思ったらできるんだ。

できないのは、君の心ができないと決めてしまっているからだよ。 と。

 

この一年を、いいえ、怠け者の私の場合は、この数年を振り返り、

自分の心が望んでいたこと、自分で閉じ込めてしまっていた可能性や希望や夢を、

もう一度思い起こしてみたいと思います。

 

できると思ったらできる。

きっと、私の心に住む神様も、そう後押ししてくれるに違いありません。

 

みなさまのこの一年はどんな一年でしたでしょうか。

そして、来年、どのように過ごしたいですか。

 

誰に聞くのでもなく、どうぞご自身の心にある、大切な神様にじっくり聞いてみてくださいね。

そして、来年も輝かしい年になりますように!

 

リチャード・バック著『イリュージョン』の、『救世主入門』、そして主人公の救世主ドンと、救世主見習いのリチャードとの会話から、この一年、たくさんの言葉をお伝えしてまいりました。

 

来年は、また、別の素晴らしい名著のなかから、人がより良く生きるためのヒントをご紹介し、考えていきたいと思います。

どうぞお楽しみに!

 

この一年間もご愛読ありがとうございました。

 

Frohe Weihnachten☆ & Ein gluecklisches neues Jahr !

(素敵なクリスマスと、幸せな新年をお迎えください)


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