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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2017-01-18
あなたを強くするローマ人の言葉~塩野七生『ローマ人の物語』より⑬~

年が明けました。新年のお祝いをして、七草がゆをいただいて、年神様をお迎えした松飾もどんど焼きでお焚き上げをする・・・。

神様が身近にいる日本の美しい習慣が、現代の私たちにももっとも身近に感じる季節が、年末から年明け二週間くらいの時期かもしれません。

神様の存在がこれだけ身近なのは、日本人の宗教心のベースに、「多神教」があるからです。もちろん、その源には、自然を神とする自然崇拝の心が根付いています。幸福を争い競い、勝ち取るのではなく、共有し、共感し、自分の喜びを他者へ、他者の喜びも自分のことのように喜ぶという「寛容」があるからこそ、多神教国家が成り立ちます。

この多神教からくる「寛容」こそが、古代ローマ帝国の繁栄の礎になっていました。私たち日本人が、この物語を他人事とは思えないのは、この宗教観の類似性に一因があるのかもしれません。

 

ローマ人の考える「寛容」とは、強者であっても自分たちの生き方を押しつけず、弱者であろうとその人々なりの生き方を認めることができるのだ。

 

さて、古代ローマの繁栄に大きな影響を与えた「多神教」が崩壊するにつれて、その繁栄もまた崩壊していきます。一大帝国から、東西ローマへ、ひとりの皇帝から二頭制、四頭制へ、そして六頭制へと分裂に分裂を重ねたローマは、もはや栄光輝かしいローマではなくなってきました。そんな時代に作家、塩野七生さんは何を見たのでしょうか。

これから一年、新たな気持ちで迎えたい筆者にも、心に留めたい言葉をご紹介します。

 

この年代(25歳~30歳)を学ばないで過ごしてしまった人は、一生学ばないで終わる。

 

世間では、耳の痛い人も多いかもしれません。仕事にプライベートに頑張る東京ウーマンの読者のみなさまなら、きっとウンウンと頷きながらこの言葉をかみしめていることでしょう。

人生の中で、意欲も体力も、もっとも漲っているこの年代に、学ぶという意欲がない人は、この先、なかなか「学ぶ」という努力をしようという気すら起こらないかもしれません。これまでに登場した皇帝たちの中でも、とりわけ「賢帝」と言われた皇帝たちは、この生命力漲る青年期にはもちろん、少年期も含めてたくさんの学びを続けてきました。

筆者は仕事柄、人柄も仕事も素晴らしい方の取材を重ねてきました。芸能界で長年君臨する大御所。長い下積みを重ねて、世界的な芸術家になった人。代々続く家柄を守り発展させるために、努力を重ね続ける伝統の世界で生きる人。素晴らしい経営能力を身につけ、ビジネスの世界で大成した人。

彼らの多くには、共通点があります。幼少のころから読書好きであったこと。自然の中でのびのびと育っていること。どんな相手からも学ぼうとする謙虚さがあること。「師なんていなかった」というような人の心には、花開く種さえ生まれないものです。

学びとは、読書や勉学だけではありません。周囲の大人や仲間たちから何かを得ようと好奇心旺盛に物事を見つめる心。それらすべてが学びです。この言葉に出てくる「25-30歳」の間は、筆者にとっても大きな学びの年代でした。学ぶべきことの多すぎる筆者はつねに学びの日々ではありましたが、25歳、海外での実績が出来て、現地の銀行からも信頼されるようになり、ともすれば、学びを忘れて有頂天になってもおかしくない、絶頂期でした。

しかし、当時の私がもっとも恐れていたのが、「井の中の蛙」になること。このままここで浮かれていては実力が身につかないと思い、会社を辞めて日本に帰国し、コネなしで一から自分を試してみようと思いました。3年ぶりの日本への帰国。まもなく26歳の誕生日を迎えました。

その後はコネなしで就職活動をして就職、仕事は楽しかったものの、一年で別の会社からオファーを受けて再度転職。その会社で、入社半年で取締役に就任。27歳でした。時に創業家の出身と間違えられたりする屈辱(つまりは実力で役員になったと思われなかった、ということになりますから)を受けたりしながらも、四年間、取締役としての仕事人生を駆け抜けました。わずかならがでも自分の持てる力を、今度は社会に還元したいと独立したのが31歳。それから今でも学びの日々は続いています。

一昨年次男を出産してからは、仕事という意味での学びの時間は減りました。そろそろ危機感を感じてきたのが、昨年末です。年が明け、子供たちの冬休み終了とともに、私の遅ればせながらの一年が始まります。この言葉を胸に、初心に帰って学びの年にしようと心に決めました。もしもあなたが25歳以下なら、この言葉をしっかり心に留め、何からでもいい、学ぶことの大切さ、楽しさをこれまで以上に味わってほしいと思います。この先の未来が、きっと変わってくるはずです。

 

そしてあなたが30歳を超えているのなら、今からでもいい。今までにはない学びの方法、今までの自分にはできなかったことにぜひチャレンジしてみてください。

思った時が、新しい一歩の始まりです。

 

人間は、形に遺るとなれば、より一層やる気になるものだ。

 

この言葉ほど、「弱い人間の心理」を見抜いたものはないのではないでしょうか。それは、この「弱き」?筆者の心をも見抜いています。何かになると思わないでも努力を続けられる人は、本当に素晴らしいですよね。

小さいときから、通信教育を始めては挫折を繰り返していた筆者にとっては、「努力を続けられる人」というのは、もはや神の達する領域だというほど、遠い存在でした。

中学生になって、陸上部に入ったときは、この成果のわかりやすい競技に夢中になりました。誰もが嘘を付けない数字で自分の能力が図れるのですから、こんなに明確な競技もありません。とくに短距離は自分のレーンを走るだけ。駆け引きもなければ、相手もいない。ひたすら自分の目の前にあるゴールに向かって走るのみです。

ところが大人になると、こういう「わかりやすい成果」はなかなか得られないものです。自分より仕事が遅い彼女が先に昇進した、とか、自分よりものんびりとした営業方法に見えるのに、なぜかあの子の方が、営業が取れるとか、同じような成績なのに、彼の方が、出世が早い。もしかして男女差別?と思ったり。こうした中でモチベーションを維持するのは大変です。学ぶことは大切。わかっていてもなかなか続かないという方。(筆者もその一人ですが)ぜひ、形に遺るものを目標にした学びをされてみてはいかがでしょうか。

初めて筆者の文章が雑誌に連載されたのは、今から10年前のこと。思いが文章になり、それが雑誌の一角を担っている。とても誇らしく思えました。あれから10年、初心に戻って今年一年を始めたいと思います。

「形に遺る」と言えば、資格などはその良い例ですね。たとえその資格が今あなたの仕事に直接役立たなくても、その資格を取得したことで自信にもつながり、新たな可能性も生まれてくることでしょう。

じつは、私も今年、新しい資格習得のためにチャレンジしようと思っています。執筆業とは直接関わりのない資格ですが、好きな分野のものを、一度「形」にしたいと思い、奮起します!その資格が取れたら、また次の資格も狙っています。

その間には、「本の出版」という本業での「形」を遺す予定です。

さぁ、こうしている間にも、新しい年、新しい自分にわくわくしてきました。

みなさんのこの一年も、実り多き一年でありますように!


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