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賀陽 輝代 ライフスタイルコーディネーター ワールド・チルドレンズ・ファンド・ジャパン
人生は泣いても笑っても一度きり。 たった一度だからこそ、自由に、楽しく、かつエレガントに、自分の人生をクリエイトされてはどうでしょうか。
Try anything, but once. ライフスタイル 2014-11-15
成功の定義

もし誰かから「あなたにとって人生の成功とは?」と言う質問を投げかけられたら、果たしてあなたは何と答えるでしょうか?

 

「何かで名を残す事」「一財産を築き、富豪と呼ばれるような存在になる事」「豪華な邸宅に住む事」「自分が目標とする肩書や社会的な名声を手に入れる事」等々、人それぞれ成功に対する定義は異なるに違い有りません。

 

では、今の私にそのような質問が飛びこんできたら、きっと私は「成功の定義」についてこのように答えるのでは無いかと思うのです。

「〝継続は力なり″の如く、決して諦めずに自分が取り組んだ物事を成就する努力をし続ける事。」

だって、成功に向かって前進している内は〝成功″か〝不成功″かの定義づけは出来ないはずですから!ですから私にとって歩みの途中にある過程は全て成功なのです。そして「そんなに大それた事をしなくとも、自分がこの人生を終える直前に力一杯生き抜いたと心密かにわが身を誇れる事。」どれも簡単なようでは有りますが、形になって見えない価値観なだけに、それ程容易く言える言葉では無いと思うのです。

 

更に突き詰めて言えば、「時流の損得観念に左右されず、いかに自分の信念を貫いて生き抜いて来たか」を自分に課す事も私にとっての成功の定義なのです。つまり、今ここで私が言う成功とは、他者が私の成功をどのように見なすかと言う事では無く、あくまでも自分が自分に問いかける〝成功″の定義で有り、私はどこか「不器用な生き方」に魅かれるへそ曲がり人間なのかも知れません。

 

勿論、若い頃からこのような考えを持っていた訳では有りません。と言うより、若い頃は成功の定義など考える暇も無く、ただひたすら毎日を生き抜く事に精一杯だったのだと思います。そして、もっと目に見えるもの、つまり有形の価値観に重きを置いて物事を見つめていたような気がします。

 

では、どこから自分の価値観が変わったのかと言うと、それは私が人生のパートナー、つまり最愛の(?)夫を失った時点からなのです。5年間の闘病生活の末に亡くなった主人との別れは決して唐突なものでは無く、自分なりに心の準備は出来ている積りでいました。しかし、人との永遠の別れに心の準備などと言うものは存在しないのだと言う事を否応なく実感した私は、彼の死を絶対的な事実として受け入れながら、どこか彼との再会を真剣に模索したりしていたのです。

 

「人間はどこから来てどこに行くのだろう?」と言う、何とも素朴で哲学的且つ物理的な(?)質問に人生の半ばで目覚めた私は、ただその問いへの答えを求めて、暇ある毎にひたすら本を読みあさる「読書の虫」と化したのです。彼の死から約5年の間「オカルト小説」から始まり、「哲学」「科学」「化学」「宗教」「宇宙学」「物理学」「宇宙物理学」更には「粒子物理学」「量子物理学」と、学生時代にも接した事が無いような数多くの分野の本を読み漁りながら、ひたすら人間の原点に触れる答えを探し求める心の内への旅に出ていたような気がします。

 

そして、その結果手にした答えと言えば、これが何と何一つ明確な啓示など見つからないのです。そこに横たわっていたのは「ただこの世の法則は全て唯一無二の原点に戻るのだと言う、限りなく不明瞭な、禅の世界に通ずる〝無″の感覚」で、雑読を通り越した私の周囲には何故か不思議な悟りにも似た融合点の安らぎが存在していました。もしかすると、それは今世で私が習得しなければならない必然の学びだったのかも知れません。

 

ちょっと哲学的に聞こえるかも知れませんが、その頃から私にとって「在る(存在)」と「無い」の境界線には意味が無くなり、真実はむしろ見えない物の中に存在するのかも知れないと感じるようになったのです。そして、「この世の執着から解き放たれた」何とも不思議な悟りのような感覚を手に入れた私は、その頃から自分の周囲で起きる出来事全てを自分なりの宇宙観を持って客観的に眺めるようになったと言えます。

 

「悠久の時の流れの中に存在する宇宙の歴史と比べた時の自分と言う存在の儚さ」「自然の摂理(神の意志)の下に生かされている自分だからこそ、手中にある〝今と言う時″を大切に行きなければならない。」と言う、極くシンプルな気付きは今までの私の唯物論的な人生観を根底から覆してしまいました。

 

まるでイルージョン(幻想)のような物質的な束縛に縛られてこの世で手に入れた名声やお手柄は黄泉の世界への手土産にもならないと言う事実。だったらせめてこの世で送る仮住まいのような生活は誰に媚びる事も無く、自分が信ずる心情を下に生き抜くべきではないかと言う心境に陥ってしまった私の人生はそれ以降、良きにつけ悪しきにつけ、穏やか且つシンプルな流れに変化し、それに連れて私自身の人生の歓びにも変化が現れて来ました。

 

「今手中にある楽しみを享受する事」が私にとっての〝幸福″であり、そう考えると〝幸せ″って一人ひとりの直ぐ身近な所に沢山存在していると思ったりするのです。

 

きっと私の人生の〝成功″も、シンプルで穏やかな生活の中で感じる〝幸せ″の隣に静かに横たわっているのかも知れません。


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