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■ ADV(アドボカシー)な人々 #07


パトリック・ダヴィッド(世界の医療団理事) 「いまのきもち」 vol.1

「ADV(アドボカシー)な人びと」今回のゲストは、麻酔科医として世界各地で医療支援活動に携わり、現在は「世界の医療団」の理事を務められるパトリック・ダヴィッド氏。医療・人権支援活動を始めるきっかけから、医師として危機に瀕する人々を見逃すことができない思い、また東日本大震災直後に始めた被災者の方々のメンタルケアサポートについてお話いただきました。

片岡氏:パトリックさん、きょうはよろしくお願いします。

まず、パトリックさんのこれまでの経歴について伺いたいと思います。パトリックさんは、麻酔科医として世界各地で医療支援活動に携わってこられましたが、どのような街に生まれ育ったのですか?都会でしたか?それとも小さな村でしたか?また、麻酔医になられた理由について教えてください。

パトリック氏: 私は1万6千人ほどの人口のフランス北部のシャンパーニュという地方に生まれました。麻酔科医になろうと思った理由は、人と触れ合う機会のある仕事をしたかったからです。そして、医師という職業は働く場所を選ばないからです。

いろんな場所に行き仕事が出来るのではないかと考えました。ちょうどその時、外国に行きその国々で何が起こっているのかを知りたいと考えておりましたので、麻酔科医という職は私にはうってつけでした。

片岡氏:以前、パトリックさんは、指揮者の柳澤寿男さんと対談をしました。そこでアフガニスタンを扱った映画を観たことが、医療・人権支援活動を始めるきっかけになったと話してくれました。その映画はどのような映画だったのでしょうか?

パトリック氏: その映画は「Valley」という映画でした。数奇な運命を負った主人公の男が、80年代前半にアフガニスタンへ行き、インド軍から自国を守るアフガニスタン人に出会うのです。映画で繰り広げられる衝撃的なシーンが、今でも忘れられません。

その映画を観た直後、私はアフガニスタンで医療支援活動に携わる方から「麻酔科医としてアフガニスタンに行かないか」というオファーをもらいました。この映画が私にアフガニスタン行きの決断をさせたと言っても過言ではありません。

戦闘、権力、そして、南アフガニスタンからの多くの難民を目の当たりにしました。そして、彼らが難民として居住地を離れるのではなく、私が医者としてその地に行くことを決めました。彼らが、アフガニスタンから難民としてパキスタンに向かうのではなく、祖国に残ってほしいと思いました。

片岡氏:アフガニスタンの後、一体どのくらいの数の国で支援活動を行ったのですか?

パトリック氏: 私は麻酔医なので、私の仕事の多くは主に緊急医療の必要のある地域に行くことでした。南アメリカのサンサルバドルや、ルーマニア、ブルガリア、アフリカ、イラク、パプア、ティモール等、様々な国や地域で活動を行ってきました。私の仕事はどこでもできます。ですから、様々な地域を訪れます。

91年から93年頃からは、プロジェクトではシベリアに行きました。当時はソビエト連邦からロシアへの移行の過渡期でした。人々は学校建設といったインフラ整備に加え、健康や衛生に関する支援を受け学ぶようになりました。その支援活動を足掛け10年間に渡って行ってきました。その活動は、後にロシアのNGOに引き継ぎました。

片岡氏: もっとも長い支援活動はどういうプロジェクトでしたか?

パトリック氏: シベリアの支援活動は約20年です。今年で20年になります。全てが成功だったとは言えませんが、少なからず何かを残したと思っています。例えば、現地の人々が健康な生活を当たり前に送ることが出来るきっかけとなる施設や、その運営等です。

谷本氏: 例えば20年など長いプロジェクトに関与されているとのことですが、支援が必要な国はどんどん増えていく中で、人手不足が問題になるようなことはありますか。

パトリック氏: あります。ただ、逆に人は十分にいても、医療を施すための十分な施設がないこともあります。そして、プロジェクトを成功させるためには、長期間の支援が必要です。

片岡氏: プロジェクトを開始する前に、どのような形で現地のリサーチをされますか。

パトリック氏: 多くの危機的な状況を見ることはもちろんですが、特に、困っている人々の状況を把握し、考えることに集中します。

片岡氏: 現地の人々とコミュニケーションをとる際に、よい方法、例えば自分なりの特別な方法などはありますか。

パトリック氏: それは相手によりますね。その人の置かれている状況や、環境や理解力などにもよります。

片岡氏: これまでで、もっとも大変だったトラブルは何ですか。

パトリック氏: 96年にパキスタンで負傷した少年の医療支援を行いました。彼の頭の中は非常にクリアだと言っていました。しかし、彼は本当は孤独だったのです。医者にとって、孤独でだれにも相談できないという子どもの状況を解決するのは大変困難なことです。

谷本氏: 医者の友人がいるのですが、彼が言うには、このようなプロジェクトに参加したくても、長期間自分の勤めている病院を離れることが難しいと。フランスなどに比べて、日本はボランティアに参加することが出来にくい国のように思います。なぜなら、ボランティアは知識や経験のインプットではなく、病院の利益には繋がらないアウトプットと捉えられ、どうしても評価につながらないからです。どうしたら、我々のそのような意識を変えることができますか。

パトリック氏: 人々に心を寄せて、手を差し伸べることです。それは、社会全体の義務です。自分が望むことが出来ない状況の人は沢山います。こうした人の助けを要する世界の人々を、医者として見過ごすことは出来ないのです。

 


 

 



 



 


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