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■ 人生の先輩からあなたへ


第4回 駒塚 由衣さん(女優)

しなやかに凛と日々を過ごすために
「人生の先輩からあなたへ」
会社員でも派遣社員でも公務員でも、医師でも看護師でも、クリエイターでもエンジニアでも、ミュージシャンでも、会社の社長でも主婦でも、どんな職業についても、結婚していてもいなくても、子どもがいてもいなくても、みんな公平に歳をとります。それなら、人生が終わるその日まで、いきいきとしなやかに毎日を過ごしたいもの。私たちの前を歩くすてきな先輩たちのお話にそのヒントを学びます。
駒塚 由衣さん
女優
「駒塚由衣」さんを一言で表すと?
「女優で女将(おかみ)の築地っ子」です。私は築地の場外に店を構える100年以上続いた鶏問屋の一人娘なんです。私が子どもの頃は、歌舞伎座、新橋演舞場、明治座などの劇場に鶏を卸していた関係で、家にお芝居の券がそれこそ山のように届くんですよ。

祖母が幼かった私を連れてお芝居に出かけると、それこそ食い入るように芝居を見ていたそうです。私はまだ小さかったですけれど、「いつかこの舞台に立つ」と決めていました。人に感動を与えたい、喜ばせたいって幼心に思っていたんです。そして上智大学入学と同時に劇団四季の研究生となり『ジーザス・クライスト=スーパースター』で初舞台。その後もたくさんのステージに立ちました。

四季を退団後は、女優、声優として舞台や映画、テレビなどの仕事をしています。そして2000年には築地にある祖父母の古い家で、鶏と野菜の店「鶏由宇」を開店、女将業もスタートしました。
最近挑戦された一人芝居が評判を呼んでいますね。
img3.11のときに思ったんです。例えば歌手は体そのものが楽器ですから、どんな状況でもアカペラで歌うことができますよね。でも私は舞台出身なので、ステージや照明、音響があって初めて芝居が成立するんです。そこで「一人で何ができるんだろう?」って考えました。

実は「鶏由宇」のあるこの辺りは、昔は明石町といって外人居留地だったんですね。その一角、ちょうど今の聖路加看護大学の角あたりが、芥川龍之介の生誕の地だと言われています。それもあって芥川龍之介の作品を読んでみようと思い立ちました。

その中に『羅生門』としても知られる『藪の中』があって、4人の証言者と多嚢丸(たじょうまる)、女と死霊と7人が登場するんです。読んでいるうちに、この7役を一人で演じられるのではないか? と思いました。お陰さまで評判が良く、一昨年、去年に続いて今年6月には原宿のライブハウスでの再演が決まりました。
お店「鶏由宇」の2階でもアトリエ公演をされると聞きました。
『藪の中』を観てくださった方のなかに、元日活のプロデューサーで映画監督の藤浦敦さんがいらっしゃいました。藤浦さんは立川談志さんに請われて落語の新作を多数書いている方です。談志さんが亡くなった後は、誰にも自分の作品を演じさせていなかったのですが、なぜか私に「読んでみるかい?」ってご自分の書かれた本をくださったんです。

その最初にあったのが『姐妃のお百』(だっきのおひゃく)。この噺はとても怖いんです。楽しい噺もたくさんあるのに、「これを演じておけば後は楽になるから」って、公演が決まっちゃいました(笑)。また藤浦さんは江戸弁を歌舞伎役者にも指導されています。

築地生まれ築地育ちの江戸っ子の私が江戸弁を指導される藤浦さんに出会えたのもご縁ですから、お元気のうちに、他の作品もやっていきたいと思っています。今年は3月25日から「鶏由宇」の2階で公演しますので、江戸弁に興味がある方はぜひいらしてくださいね。
20代は劇団四季で活躍をされていましたね。
当時は年間200を超えるステージに立っていました。あこがれてあこがれて入団して、発声や台本の読み方など、みっちり芝居の基礎を教えていただきました。先輩には市村正親さんや鹿賀丈史さんがいましたし、日下武史さんや三田和代さんとも共演させていただきました。とてもいい経験をさせていただいたし、当時学んだことは今でも私の財産です。

実は劇団四季を退団する少し前に体を壊して入院したんです。入院は2カ月に及んだんですけれど、初めて四季を客観的に見ることができました。そのとき「劇団四季が『キャッツ』をやっていることは知られているけど、出演している俳優の名前は知られていない」ことに気付きました。四季に入団してからは、忙しくて子どもの頃にあんなに観ていた芝居や映画さえ全然観ていなかったし、「人に感動を与えたい、喜ばせたい」という思いもいつの間にか忘れていましたしね。

四季にいると30歳はもうベテランって呼ばれます。他の劇団やテレビで活躍している女優さんは子ども産んでも長く女優を続けているのに。そんなことに少しずつ疑問を持って、もう一度自分のやりたい芝居を見つけてみたいと思ったんです。それが四季を退団するきっかけでした。
30歳になって、女優としての再スタートを切られたのですね。
退団したのはいいけれど、何もわからなくなっちゃってとても悩みました。役者を続けるのか、一人娘として実家の商売を継ぐのか……。そのときにある女性誌に「日本を代表する150人の占い師」という特集を見つけたんです。雑誌を眺めていたら、あるきれいな女性の写真に惹かれたんです。そこには指紋が一人ずつ違うようにその人の持つ波動も違うと書いてありました。いてもたってもいられなくなって、出版社にその方の連絡先を聞いてすぐに会いに行きました。

「あなたは普通に見えるけど、波動は普通じゃない。一生女優をやることになるから、心配しなくてだいじょうぶ」って言われたんです。それでも悩んで何度かその人に会いに行ったけれど、「何回来ても同じだ」って。その人の言葉がなかったら、今は女優をやっていなかったかもしれませんね。

そしてオーディションを受けたのが『E.T.』のお母さん役の声優の仕事。なぜかスティーヴン・スピルバーグに「声」を気に入られたんです。それがきっかけでいろいろな役をいただけるようになりました。でもやっぱり私は舞台がやりたかった。それもね、今ここで生きている日本人の役を。そんなときに堤泰之さんが演出される『煙が目にしみる』という作品に出合いました。
ようやく駒塚さんがやりたいお芝居に出合えた!
『煙が目にしみる』に誘ってくれたのは、もう亡くなっちゃいましたけれど、声優の鈴置洋孝さん。NHKで放映されたアメリカのテレビドラマ「ヤングライダーズ」で一緒に吹き替えをしていました。鈴置さんは薔薇座の俳優さんでもあり、また創作芝居を作られている方です。

この作品はお葬式(火葬場)が舞台で二人の幽霊が出てきます。その一人が鈴置さんでもう一人が昨年亡くなった内海賢治さん。その内海さんの追悼公演で9年前の「煙が目にしみる」の劇場中継が映像で流れたんです。いつもなら自分の舞台を映像で見ると、感動が半減しちゃうんですけど、そのときばかりは感動して泣いてしまいました。

この作品に出合えて、子どもの頃や四季を辞めた30代・40代に思っていた「人に喜んでもらうための芝居」を、実はこの作品でやれていたんだって思えたからです。そういう意味で、鈴置洋孝さんに出会えたことは幸せでしたね。彼が生きている間は喧嘩ばかりしていましたけど。
そんな時期に「鶏由宇」を開店、女将になられました。
いろいろな偶然に引き寄せられた感じがします。私が43歳になった頃、「鶏由宇」があるこの場所を売却するという話が出たんです。当時はここを倉庫として使っていましたが、一見は黒塀のふつうの家です。あるとき知り合いのカメラマンが「築地に黒塀の何やらひっそりした家があるだろう? あそこで何か商売をやったらいいってみんなが噂しているんだよ」って言うんです。私の実家だって全然気づいてなかったみたい(笑)。

その後不動産会社でも「せっかくだからあの家で鶏鍋の店でも始めればいいのに」って言われて……。実家が鶏の卸しをしているなんて知らないはずなのにね。女優の仕事もそれなりにいただいていましたが、30代のように声優も主役ばかりが来るわけじゃないし、映像のお仕事もだんだん減ってきて、どうしようと思っていたこともあります。「ま、いいや。とにかくやってみよう」って感じで「鶏由宇」を始めました。

最初は、女優業と女将業と両立させるのは本当に大変でしたね。でも、働くことのつらさは女優も女将も同じだって気付きました。それにこの店を始めてから、女優の仕事も増えたんですよ。
女優を続けていくうえで大切にしていることは?
浅利慶太さんに言われた「役者は自分の時計を持っていなくてはいけない。決して人の時計と比べてはいけない」ということ。そして「継続する」ということでしょうか。「継続は力なり」と言いますけれど、どんなに下手で才能がないと言われている俳優さんでも続けることでいい役者になっている人はいっぱいいますよ。「自分の時計を持つ」ことは、人と比べないし、妬まないってことです。

四季を辞めた30代の頃はまさかこの年齢まで続けていられるとは思っていませんでした。こつこつあきらめずに、浅利さんが言ったように「自分の時計を持って」いたからここまでやって来られたんだと思うんです。そうやって一生懸命やっていると、ときどきご褒美が降ってくるんです(笑)。
ご褒美ですか!?
会ったこともないスピルバーグが『E.T.』のお母さん役の声に選んでくれなければ声優はやっていなかっただろうし、声優をやっていなければ鈴置さんに会っていなかったし、「煙が目にしみる」に出ることもなかったと思うんです。

昨年お亡くなりになったゲームクリエイターの飯野賢治さんは、ご自分のゲームのイメージに合う人が見つからないでいるとき、飛行機の中で偶然聞いた私の声に「これだ」って。そんな風に、ぽこん、ぽこんってご褒美が降ってくるんです。

尊敬する劇作家で演出家の永井愛さんに出会えて、『日暮町風土記』や『ゴロヴリョフ家の人々』に出演できたのも私の宝物。

それからね、がんばっていれば必ず夢は叶うと思うの。劇団四季を辞めると決めた最後のステージでね。もう二度と日生劇場の舞台には立てないだろうって思いながらも、いつかもういちどここに立つって心に決めたんです。そう思い続けていました。そうしたらね、『チャングムの誓い』で、日生劇場の舞台に立てたんです。初日に劇場の大階段を下りてきた瞬間は本当にうれしかったです。想いは叶うんだって思いました。
「駒塚由衣」さんのこれから、教えてください。
体力が続く限り、そして台詞が覚えられる限り、女優を続けていきたいと思っています。舞台の大小に関わらず、声がかからないときもあるかもしれないけれど、そういうときこそ、自分が作り上げてきたものを大切にしていきたいです。『藪の中』だって、演じる年代によって表現は違ってくるはずです。もっと深められると思うんです。今度挑戦する『姐妃のお百』に代表される「江戸弁」も徹底的に身に付けていきたいと思っています。

四季ではいわゆる翻訳物の舞台だけだったけれど、こうして年齢を重ねた今こそ、そしてこれからは、日本の劇作家、演出家たち ——堤泰之さんや永井愛さん、秋之桜子さん、松本祐子さん、桑原裕子さんー の芝居に挑戦し続けていきたいですね。また、女将としては、笑顔でお客様をお迎えして、おいしいお料理を提供して、いい時間を持って帰っていただきたいと思っています。
駒塚さんに続く人生の後輩たちにメッセージをお願いします。
私ね、もし前の自分に戻れるとしたら、38歳のときの自分に戻りたいんです。どうして38歳かは何となくですけれど(笑)。今の30代ってとても若いと思うんですよ。若さに振り回されて本質を見失いがちな20代よりずっと自由な気がします。私の30代の頃を思い返してみると、気が遠くなるくらい先が長かったなぁって思うんです。だから、もう30になっちゃったじゃなくて、少し成熟してきた女性としての時代を思い切り楽しんでほしいです。

そうすることで、その先も充実した人生を送れるはずです、きっと。それからね、思っていることは必ず叶うような気がしています。それをあきらめないで、自分の想いをどのくらい強く持ち続けられるかが大切なんですね。最後にもう一つ、すてきな恋をしてくださいね。
駒塚 由衣さん
築地生まれの築地育ち。女優・鶏と野菜の店「鶏由宇」の女将。 上智大学在学中に劇団四季の研究生となり、『ジーザス・クライスト=スーパースター』で初舞台。『小さき神の作りし子ら』で主演。退団後は、女優・声優として、舞台やテレビ、映画などで活躍中。声優としては、『E.T.』のお母さん、『恋するベーカリー』のメリル・ストリープ、宮廷女官チャングムの誓い』の女官長などの吹き替えを担当。最近はライフワークとして一人芝居『藪の中』や創作落語『姐妃のお百』(だっきのおひゃく)に取り組んでいる。
ブログ: 駒塚由衣の女優で女将の繁忙期
※鶏と野菜料理の店「鶏由宇 」⇒ぐるなび
駒塚 由衣さんとお会いして
「とっても素敵な女優さんがいるのよ。会ってみない?」と知人が紹介してくれたのが駒塚由衣さん。大変失礼ながらお名前を存じ上げず、インターネットで検索したところ……。私が大好きなメリル・ストリープや懐かしい『E.T.』のお母さん、最近では韓国の人気ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の女官長など、実にバラエティに富んだ役どころの吹き替えをされていました。それだけでなく劇団四季のステージで活躍をされてきた方ではありませんか。

「私、大変な方にお話を伺うことになった?」とそれは緊張して取材に向かいました。でも「こんにちは。いらっしゃい」と迎えてくれた駒塚さんのやわらかな笑顔とビロードのような声に、そんな緊張はすぐに溶けました。ご自身の才能に加えて、いろいろな方面で活躍される方との出会いに導かれるように、女優の道を邁進されてきた駒塚さん。

劇団四季の浅利慶太さんから贈られた「女優は自分の時計を持て」という言葉を指針に、人を妬むことなく、ただひたすら自分の時計だけを信じて、演じることを大切に、今もそしてまだまだ続くであろう女優の道を歩き続けられています。
たなかみえ
コンテンツプランナー・ライター
子どものPTAで広報委員を経験したことにより、書くことに目覚める。主婦業、子育てをしながら、40代半ばにしてIT関連、そして教育関連の会社に就職。このときに出会ったたくさんの方たちに支えられ、2013年10月よりフリーランスのライター、コンテンツプランナーとして活動中。人やモノ、場所に寄り添って、丁寧にコンテンツを作ることを心がけています。たくさんの方に支えられて、ご縁をいただいて、今日の私があります。これからも人との出会いを大切に毎日を丁寧に過ごしていこうと思います。
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