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■ 人生の先輩からあなたへ


第3回 伊藤ライムさん(シャンソン歌手/料理研究家)

しなやかに凛と日々を過ごすために
「人生の先輩からあなたへ」
会社員でも派遣社員でも公務員でも、医師でも看護師でも、クリエイターでもエンジニアでも、ミュージシャンでも、会社の社長でも主婦でも、どんな職業についても、結婚していてもいなくても、子どもがいてもいなくても、みんな公平に歳をとります。それなら、人生が終わるその日まで、いきいきとしなやかに毎日を過ごしたいもの。私たちの前を歩くすてきな先輩たちのお話にそのヒントを学びます。
伊藤 ライムさん
シャンソン歌手/料理研究家
18歳からモデル、その絶頂期に料理の勉強を始められました。
18歳からモデルを始めて24歳にもなると、オファーが雑誌のトップページからタイアップページ、主役から脇役、ファッション雑誌からОL向け、若奥様向けの雑誌へと変わってきて、潮時かなって感じ始めたんです。

それなら自分の好きなことに時間を費やそう、子どもの頃から好きだった料理を本格的に学んでみようと、大好きなパリの「ル・コルドン・ブルー」に行くことにしたんです。モデル時代にそこそこ貯金もできたし、両親も健康だし、行くなら今!って。モデルとしては行けなかったけれど(笑)。
フランスでの生活はどうでしたか?
まず「ル・コルドン・ブルー」のお菓子科に3ヵ月、修了後キュイジーヌという料理科に3ヵ月、その前後合わせて、パリには約1年住んでいました。フランス語もまったく話せない状態で飛び込んじゃいましたけど、基礎科には英語の通訳が付いていたし、切る、盛り付けるなど料理の手順はイラストにして、視覚で覚えることができました。

今振り返るととっても無謀ですけどね。情熱で乗り切った感じです。居候していたパリコレに出演していた友人が帰国してからは、日本語新聞を見て自分でアパートを探したんですよ。
異国での生活は、ライムさんにどのような影響を与えましたか?
img20代前半だったこともあって、見るもの聞くものすべてが楽しかった。何を食べてもおいしい、何を見ても美しい。音楽にも絵にもときめきました。

一番の収穫は物事を見る角度が変わったことですね。ずっと日本にいると、価値観が固定されてしまいがちなんですね。育児も、花でブーケを作るのも、こんなに日本と文化が違うんだ、こういう選択肢もあるんだと思えました。

でも日本を離れて、日本や日本人の良さが再認識できたり、いやなところに気付いたり……。距離を置いたことで俯瞰して見られるようになりました。
その後帰国されて結婚、出産、そしてシャンソンを始められたんですね。
シャンソンを始めたのは下の娘がおなかにいるときです。実はシャンソンを初めて聞いたのはモデル時代。知り合いのお店で聞いたある女性歌手のシャンソンに衝撃を受けたんです。「この歌から伝わるメッセージや響きはなんだろう?」歌を聴いて魂を揺さぶられたのは初めてのことでした。

フランスでも本場のシャンソンを聞いて、私もいつか歌えるようになりたいという夢をもつようになりました。結婚して子どもを産んで何年か経ったとき、ふと私の夢はいつ叶うんだろうと思ったんです。子どもが成長してからと計算してみたら、50歳にならないと始められないじゃない、それでは遅すぎると、すぐに日本シャンソン協会に「先生を紹介してください」って電話していました。
30歳でのシャンソンスタート。ご苦労はありましたか?
歌を歌ったことがなかったので、「どこから声を出すんだろう?」「譜面はどう見るんだろう?」なんていうレベルから始めました。必死でした。でも運よく、あるコーラスグループに欠員が出て、声をかけていただいたんです。

「立っているだけでいいなら」と返事をしたら、「この先生のボイストレーニングを受けてください」「この曲のこのパートを●日までに覚えてきてください」って。まるで話が違っていました(笑)。結局このユニットはすぐに解散したんですけれど、その時に知り会ったミュージシャンや歌い手さんを通じて、だんだん活動の場が広がっていきました。
ライムさんにとってシャンソンって?
自己表現のツールです。人の真似をしていたら埋もれてしまいます。特別に歌がうまいわけでもなく、アイドルのように若いわけでもなく、コネクションや後ろ盾があるわけでもないので、私自身が独占商品にならなければと思っています。

周りの先輩やミュージシャンから教えていただいたことのなかから、これだと思うことを吟味、取捨選択しながら、自分に必要なものにだけ魂を入れています。ちょっと違うなって思うことを聞き流すことも必要ですね。モデルの世界も同じです。
モデルで料理研究家でシャンソン歌手。次はお嬢さんの中学校のPTA会長!
ちょうど校舎の建て替えの時期だったんです。「建て替えを知っていたら入学させなかった」と保護者は猛反対。行政側は「これだけの予算をとって建て替えてあげると言っているのに、なぜ文句を言うんだ」とまさに対立。そんな時期に何も知らずに会長になっちゃいました。

そのときに私が尊敬しているある方から「みんなが一枚岩となって実行しなさい」とアドバイスをいただきました。そのままだと中学校の敷地内にプレハブを建てることになって、騒音も出るし、工事の車が出入りして危ないし、校庭も使えなくなります。保護者にも行政にも代替地探すことを提案して、実行しました。同じ目的に向かうから、保護者と行政も仲良くなって……。代替地も見つかりました。
その後はなんと港区の教育委員長!
PTAの会長の任期が終わって、やれやれと思っているときに、教育長から「至急来てほしい」って電話があったんです。何か不祥事があったのかなぁと飛んで行ったら「あなたを教育委員に選出したい」と言われてびっくりしました。区議会を通過するはずがないと思っていたら、知名度が低くてノーマークだったせいか通っちゃったみたい(笑)。

最後は教育委員長にもなって丸4年、特別公務員としてお仕事をしました。研究授業や給食試食会、式典、運動会、学芸発表会などの行事に出席するほか、教科書採択のときには、教育委員が手分けして小学校1年生~中学生3年生のすべての教科書に目を通しました。私は音楽と家庭科、国語の教科書を担当したんですよ。
ようやくライムさんのやりたいこと、やるべきことにたどり着けますね。
モデルもシャンソンも料理も、私の伝えたいことを表現するためのツールなんです。シャンソンも深めていきたいですけれど、パリで勉強してきた料理を通じて、健康になるための食べ方や見せ方、もっと突き詰めて「幸せになること」を伝えられたらなぁ思っています。「幸せを料理で表現」したいっていうことかな。伝えたり、育てたり、表現することが大好きなんです。
東京ウーマンをご覧になっている方にメッセージをいただけますか。
私の周りを見ていると、心配したり苦労したりと、あえてそっちの道を選ばなくてもいいのにな、もっと幸せになっていいのになっていう人が多いように思うんです。もっと自分を輝かせられる幸せな人を増やしていければいいなぁ。

良い仕事をしたいと思うのであれば、まずは自分の健康と家族を一番に考えなければいけないですよね。心身ともに健康だと、感性が研ぎ澄まされて、こっちが楽しい、こっちが幸せという直感も働いて取捨選択ができるようになるんです。ビジネスであっても、健康でいれば、感性や直感が正しく働いて大切なことを見極められたり、判断できたりすると思うんです。
伊藤 ライムさん
モデルでシャンソン歌手、料理研究家、元港区教育委員長。18歳でモデルデビュー。ショー、雑誌、CMと幅広く活躍、バブルの追い風を受けモデルブームの一端を担う。その後パリの料理学校「ル・コルドンブルー」に留学。帰国後、結婚、出産。育児のかたわらにシャンソン歌手として多くのステージを踏む。サルデーニャ島、北イタリア2都市、シシリー島において国際交流のコンサートを3年連続で公演するなど、常に前向きな生き方に女性のファンも多い。
HP: http://www.rai-rai.com/
伊藤 ライムさんとお目にかかって
今回は東京ウーマンをご覧になっている皆さんに少し近い人生の先輩です。 今から10年ほど前、東京都港区のある公立中学校のPTA会長をされていたライムさんに取材をさせていただいたときのこと。「ずいぶんきれいな人がPTA会長さんなんですね」という私の言葉に、「モデルさんらしいですよ」と校長先生が耳打ちされました。帰宅して調べてみたら、なんと! あの雑誌『non・no 』で活躍されていた伊藤ライムさん! モデルさんとPTA会長の意外性にびっくりしたのを覚えています。

でも、今回お会いして気付きました。モデルもPTA会長もそしてシャンソンも料理も、ライムさんにとってはご自分を表現するツールであること。そこにはいつもみんなに幸せになってほしいという思いを込めていること。これからのライムさん、モデル×シャンソン、シャンソン×料理、母親×モデル、女性×夢、どんな掛け算が生まれるのでしょう? 10年後のライムさんに会うのがとても楽しみになりました。
たなかみえ
コンテンツプランナー・ライター
子どものPTAで広報委員を経験したことにより、書くことに目覚める。主婦業、子育てをしながら、40代半ばにしてIT関連、そして教育関連の会社に就職。このときに出会ったたくさんの方たちに支えられ、2013年10月よりフリーランスのライター、コンテンツプランナーとして活動中。人やモノ、場所に寄り添って、丁寧にコンテンツを作ることを心がけています。たくさんの方に支えられて、ご縁をいただいて、今日の私があります。これからも人との出会いを大切に毎日を丁寧に過ごしていこうと思います。
HP: office makanaloha