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■ 東京ウーマンインタビュー


小澤綾子さん(AYAKO/筋ジスシンガー)

障がいのあるなしに関わらず、一緒に楽しめる世界を作る!
小澤綾子さん (AYAKO)
筋ジスシンガー。日本アイ・ビー・エム勤務。 進行性筋ジストロフィーという難病を抱えながら、会社勤務の傍ら、自らの病気や想いを語りながら歌うという独自のスタイルで、たくさんの人に笑顔を届ける活動を続けている。10月18日には結婚。新しい生活もスタート。11月15、16日には、実行委員を務める「チャレンジド・フェスティバル2014」が開催予定。
進行性筋ジストロフィーと闘い歌う小澤綾子のブログ http://ameblo.jp/kozani/

筋ジスシンガーAYAKOこと小澤綾子さん。 そう、AYAちゃんは筋ジストロフィーという病気を抱えているシンガーです。 AYAちゃんに初めて会った日、私はとても緊張していました。「筋ジストロフィーって重病なんじゃない?」「どう接したらいいんだろう?」。そんなことを考えながら、待ち合わせの場所に出かけました。でもAYAちゃんに会って、話をして、気付きました。私のそんな気持ちこそが、障がいを持っている人に対する心の壁、偏見だっていうことを。

AYAちゃんは、確かに杖をついて歩きづらそうにしているけれど、物怖じしない、ケタケタよく笑う、元気な女の子です。大きな病気を抱えているようには見えません。「どうしてこんな風に笑顔でいられるの?」。AYAちゃんと話をしてみたくなりました。

病気に気付いたのはいつ頃?
最初におかしいなって思ったのは小学校4年生の頃です。頭では「走れ」って命令しているのに、身体が動かないんです。心のどこかで、もしかしたら重大な病気かもって思いました。みんなと同じでいることがとても重要な年頃だったから、いじめられて嫌な思いをすることもたくさんありました。
病院には行かなかったのかしら?
中学生になると、できないことがどんどん増えて、さすがに自分でもおかしいと感じるようになりました。周りからは運動ができない子って見られていたみたいです。推薦で高校に入学するというときに、中学の先生に「診断書があった方が高校に入りやすいから」と勧められて、ようやく親に「病院に連れて行ってほしい」と頼みました。でも、やっとの思いで病院に行ったのに、診断は「個人差」。こんなにみんなと違っているのにって、悲しくて悔しくて涙が止まりませんでした
筋ジストロフィーだって診断されたのはいつ?
大学生になって20歳になった頃には、もうほとんど走れないし、階段も手すりがないと上り下りができなくなっていました。もう一度親に頼んで、今度は大学病院の整形外科に行ったら、もしかしたら神経の病気かもしれないと神経内科へ。筋ジストロフィーの疑いがあるからと言われて、麻酔をしないで筋肉を採取するというとても痛い検査をしたところ、筋ジストロフィーと診断されたんです。

医者には、「10年後には車椅子、その後は寝たきりになる病気だよ」と説明されました。ものすごいショックで、受け入れられなくて、そんな未来が決まっているくらいなら、生きている意味がないんじゃないかって、毎日泣いて、家に引きこもっていました
つらい毎日から病気を受け入れられるようになったきっかけは?
病気を受け入れられるようになるまでには長い時間がかかりましたよ。診断されたのは20歳のときでしたけれど、本当に最近です。「元気でいられる時間が限られているなら、前向くしかないじゃん。動ける時間をもっともっと大切にしよう」。そう思えるようになってからは、少しずつ外に目を向けるようになりました。

でも障がいをもっている私が普通に就職するのが難しいということを知ったときは、「ああ、やっぱり生きている意味がないのかなぁ」と思いました
そのAYAちゃんが企業に就職、今もお仕事を続けています。
身体障害者手帳が発行されると、障がい者枠で採用してくれる会社があるんですよ。その何社かのなかに今働いているIBMがありました。IBMでは、さまざまな障がいをもっている人がたくさん働いています。彼らと仕事をしていると、ビジネスに集中して働いているときは、障がいがあるとかないとか、車椅子だとか杖をついているとか、あんまり関係ないなって感じています。

最初は後ろ向きで入った会社ですが、障がいのあるなしに関わらず、いろいろな仕事を任せてくれます。そういう意味ではいい会社に入れたなって思っています
そして歌手としても活動を開始!
歌うことは昔から好きでした。社会人になってからは、周りに声をかけて、バンドを組んで、流行っている曲をカバーして歌っていました。そんなときに、同じ病気の栄次さんという方と知り合いました。

筋ジストロフィーにはいくつかの型があって、栄次さんは重症でベッドの上で寝たきりの生活をされていました。それなのに曲を作るのが好きで、「バンドをやっているなら、同じ病気のAYAちゃんに歌ってほしい。同じ病気の人を元気にするためにこの歌を一緒に広げて行こう」って言ってくれたんです。栄次さんが、想いを込めて作った歌を私に託してくれたことが本当にうれしかったし、このことがきっかけで私の人生も変わり始めました
人生が変わった? どんな風に?
私には障がいがなくて普通だった頃もあるけれど、今は障がいがあります。障がいを受け入れられない時期もあって、でも受け入れて前を向いていくしかなくて・・・。もしかしたら、私だけじゃなくて世の中にはそういう人がいっぱいいるかもしれないって気付いたときに、「誰だって明日病気になるかもしれないし、障がいを持つかもしれない。それならそういう人を遠ざけるようなことはしてほしくない。障がいがあるなしに関わらず、もっとみんなで楽しんでいける世界を作っていこうよ」と、障がい者の代表として声をあげていくという夢ができたんです
今では本当に精力的にコンサートやライブをこなす日々です。
栄次さんが託してくれた歌を広めたいと思っていたとき、あるシンガーソングライターの方が、自分のライブで歌ってみないって誘ってくださいました。そのときに、「歌だけじゃなくて、AYAちゃんの思っていることや経験を話してみたら」とアドバイスしてくれたんです。

誰もわかってくれないつらい過去の話をすることには抵抗があったけれど、思い切って話したとき、涙が止まりませんでした。聞いてくれている方達もみんな泣いていました。みんなが私の味方に付いてくれていると思いました。私はずっとひとりだと思ってきたけれど、そんなことはなかったんですよね。それからは自分の病気や障がいについて語りながら歌うというスタイルになりました
身近にもAYAちゃんの味方が現れたとか・・・
彼のことですか(笑)。今は別の会社で働いていますが、会社の同期でした。私は自分が障がいをもっているのに、障がいをもっている人とどう接していいかわからないところがあるんです。だからつい距離を置いてしまう。でも彼は誰に対しても偏見をもたずに接することができるんです。障がいがあるなしに関わらず、誰に対してもフランクに話しかける彼って何者?って思っていました(笑)。

付き合ってはいたけれど、私は自分の身もままならないし、将来がどうなるかもわからないので、正直結婚は考えられませんでした。だから彼が「結婚しよう」って言ってくれたときは、放心状態!? 「返事は?」と言ってくれた彼を見て、「この人は私のことをすべて受け入れてくれているんだなぁ」って、結婚を決めました。
力強いパートナーを得て、AYAちゃんの活動の場はどんどん広がっていきますね。
たくさんの方と出会って、いろいろな形で活動が広がっています。その一つが「チャレンジド・フェスティバル」です。あるキャンプで知り合った齋藤匠さんから声をかけていただいて、去年の「チャレンジド・フェスティバル」に参加させていただきました。

そこからまた私の世界は一変しました。障がいや病気のことをみんなに伝えたいと思っても、私の力では友達に聞いてもらうのが精いっぱい。でも「チャレンジド・フェスティバル」に参加させてもらって、たくさんの人に話を聞いてもらえる場ができました。障がいをもっていながらも、世の中には活躍している人がたくさんいることも知りました。今年は実行委員会にも参加させてもらっています。

私の話も聞いてほしいけれど、「人は違いがあってもみんな一緒だよ。みんな一緒に楽しめるような世の中を作ろうよ」って、そのために「チャレンジド・フェスティバル」をもっと広げていきたいと思っています。今年の「チャレンジド・フェスティバル」は、11月15日、16日です。ぜひ遊びに来てくださいね。

 

-取材後記-
編集後記~AYAちゃんとお話しして
ぶしつけな質問に、まっすぐ私の目を見て答えてくれたAYAちゃん。「みんなちがって、みんないい」。金子みすずの詩を思い出しました。 強くてしなやかな女性だなぁと思いました。AYAちゃんは筋ジストロフィーという病気と闘っています。それが原因でたくさんのつらい思いを経験してきました。

自分の身体がこの先どうなっていくかわからない不安は、怖くてたまらないことでしょう。でもAYAちゃんはそのつらさや恐怖を、自分の生きる力と周りの人への思いやりに変えて、前に進んでいきます。その強さと優しさは、老若男女、障がいのあるなしに関わらず、周りの人を惹きつけます。人としての尊厳を何より大切に思っていることがみんなに伝わるのでしょう。AYAちゃんの周りには今日も笑顔がいっぱいです。ありがとう。

チャレンジド・フェスティバル http://www.challenged-festival.jp
2014年11月15日(土)・16日(日) 日比谷公園噴水広場

企画・取材:
img田中ミエ
コンテンツプランナー・ライター
office makanaloha
子どものPTAで広報委員を経験したことにより、書くことに目覚める。主婦業、子育てをしながら、40代半ばにしてIT関連、そして教育関連の会社に就職。このときに出会ったたくさんの方たちに支えられ、2013年10月よりフリーランスのライター、コンテンツプランナーとして活動中。

人やモノ、場所に寄り添って、丁寧にコンテンツを作ることを心がけています。たくさんの方に支えられて、ご縁をいただいて、今日の私があります。これからも人との出会いを大切に毎日を丁寧に過ごしていこうと思います。

 



 


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