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■ 未来へ繋ぐ女性の生き方


~アパルトヘイトから女性躍進までの軌跡~南アフリカ女性の生き方事情

~アパルトヘイトから女性躍進までの軌跡~
南アフリカ女性の生き方事情

グロリア・ンクワナさん
南アフリカ大使館政治参事官
「未来へ繋ぐ女性の生き方」第4弾は南アフリカ共和国の外務省に勤務で今年の6月まで 在日大使館では政治参事官として在任したグロリア・ンクワナ(Gloria Ncwana)さんにインタビューしました。

南アフリカでは、アパルトヘイト撤廃を実現した指導者マンデラ氏が昨年亡くなり、記憶に新しいところですが、グロリアさんは少女時代にアパルトヘイト(人種差別)が始まり、国外へ逃亡、タンザニアからロシアへ渡りました。 そしてアパルトヘイトが撤廃されると自国へ戻り、国が再建されていく中で外務省の門を叩きました。

在日大使館では、現在の全権大使も女性。南アフリカでは指導的な地位を占める女性の割合が30%を占めています。 アパルトヘイトという人種差別、また、当時まだ女性の地位も低かったという中で、南アフリカの女性達は激動の時代をどう生きたのか。 どう乗り越え、今があるのか。 また南アフリカの女性から見て、日本に赴任してからの日本の印象と、日本人女性に感じた事などをインタビューしました。
ユートピアに近い、と感じた日本
南アフリカから赴任が決まり、日本に来た時の印象はいかがでしたか?
最初に日本に来た時は、みんな忙しくしているし、とにかく動きの速さにとても戸惑いました。 そして、とにかく色々なことが発展している国だと思いました。 2年目の頃もまだ、日本社会の洗練さについていけていなかったですね。

でも、段々と慣れて色んな事が理解できてきた時に、日本人の強さ、我慢強さ、非常に静かだけれども全体主義で行動をとる強さ、多くを語らず、誠実に物事を実現していく実行力・・・。 自分の中に少しずつ、日本人に対する素晴らしさを感じ始め、日本の中で優れた部分として、社会にも慣れていきました。

私はロシアで教育を受けました。 ロシアは共産圏ですが、みんなが平等であるユートピアを夢見て、ユートピア社会を育てる為に、と勉強をしました。 みんなが平等である「ユートピア」がもっとも重要で、実際にはそれは実現しなかったのですが・・・。 しかしながら日本というのは、わりと何も言わなくても望むものが入ってくる、そんなふうに感じるのです。

強いて周囲と闘わなくても欲しいものが比較的手にに入りやすい、と。 4分の3くらいは、もしかしたら共産主義が目指していたユートピアの国に近づいてきているのではないでしょうか、そんな印象を持っています。
ミーティングで女性の発言の場面がない
南アフリカの女性から見て、そして外交官として世界を渡ってこられた方として、日本の女性に感じることをお話しください。
日本に最初に来た時、一般的に見て、女性と男性の調和がとれた国と、良い印象を抱いていました。 ところが、外務省や政府レベルのミーティング、企業も含め、仕事でミーティングへ行くと、日本側には男性の中に1名くらいしか女性は出席していないんですね。 それで、その人は何をしているかというと、お茶をくんだり、アシスタント的・秘書的な役割でしかなく、意見を求められて発言する場面が全くなかったことに非常に驚きました。

時として、場面によって、責任ある立場を任せられる、能力のある女性はたくさんいると思います。 ところが、その能力を発揮できずにいる日本の現状に、やっぱりちょっとおかしいのではないかと。いえ、常におかしいのではないかと思ってきました。
受け身で待っていても、何も変わらない
現状は国会議員は女性の比率は8%弱で、先進国の中ではとても比率が低いと言われています。 現在、女性活用が政策のひとつのテーマにあげられていますが最近、ある議会で子育て支援策について質問した未婚の女性議員に結婚・出産を示唆するヤジが飛ぶ、ということが問題になりました。
(笑)。 そういう事態と政府が推進しようとしている「女性活用」とでは現実に起こりえる事を考えたら、凄くギャップがあるように感じますね。 いくら安倍総理がそう思っても、全ての男性議員がそう思えるようにならなきゃね。

自分達が経験した現実の中でのお話をさせて頂くと、南アフリカは日本と比べて色んな人種と部族がいるんですね。 南アフリカの女性は男女差別のほかにも、アパルトヘイトという人種差別というものがあって、この2つと闘って今の地位を勝ち得てこなければならなかったんです。

何を言いたいかというと、男性が何かを変えてくれるのを待っていても何も起きない。 女性のネットワーキングも数多く活動していると思いますが、一般的な話をするのではなくて、もう少し具体的な話を提案するまで行う必要があります。

自分たちは何を望んでいるのか、国から何をしてほしいのか。 例えば国会議員は何割、企業では何割、女性議員や女性管理職が必要。あるいは保育所を何件作ってほしい、といった具体的な数字だったり指標の提起が必要かと思います。 自分たちの職場でも、女性が協力してアジェンダをつくって具体案を訴えていく。 あるいはそれを国会の議論にのせてもらう。それをしつこいくらいにやり続けるわけです。

南アフリカ共和国の場合も男女の差別、人種差別と壁は幾重にもあったわけですけど、こういった具体的な提案をみんなでし続けて、乗り越え、私のような外交官が出てきたんです。 女性が女性を支え合いながら、具体的なアジェンダを提起し、自分たちの方策で理論的に国に訴えていく、ということが大切です。
「発信」していくことで社会は変わっていく
女性は、家庭での役割も大きく、それでいて仕事や社会のことも関わっていかなければなりません。 家庭とキャリアの2つの世界で動いていく。仕事のウェイトが大きくなると、やはり女性の負担も大きくなります。 ドメスティックバイオレンス、虐待という問題がありますが、家事に協力しない、ということも不平等であり、精神的な虐待でもあるという声も聞かれます。 例えば男性は仕事だけでいいけれども、女性は仕事をして、家に帰って家事もして、子育てもする。でもそれが不平等だと思ったらそれをきちんとした形で提起していかなければいけません。

特に、社会を変えるということに関しては、一人が手をあげて何かを言うだけでは何も変わりません。 ひとりの力だけではなく、女性がスクラムを組んで、常にそういう問題意識をもったグループをつくって、そして、その問題を必ず国に提起する、それを発信し続ける。 時間はかかるけれどもそうすることによって、社会というのは変わっていくと思います。
男女がお互い、「人間」として向き合うこと
日本の女性はそれが足りていないと思いますか?
やっていないと思います。 議会でのやじの問題も、それを色々な分野の人に発信し続けなければならないでしょう。 そしてひとりではなくて、グループやソサエティをつくるのです。 それには教育もとても大事で、女性がそれぞれ要求していることを自覚し、目覚めていくことも大事です。

50年後には、たとえば男女が同じ知識を持っていても、パイロットは男性にしかなれないのかもしれません。 50年後には、もう女性の首相は生まれているのかもしれません。 女性が男性と闘うということではなく、女性はやはり女性の特性、男性は男性の特性があって、母親であることも特性であるし、夫として、パートナーとして、人間としての尊厳を失うこと無く「人間として」向き合うということが大事です。
「アパルトヘイト」という人種差別を乗り越えて
アパルトヘイト時代、経験したことを聞かせてください。
1910年まで、南アフリカはイギリスの植民地でした。 イギリスの占領政策が終わった時に、アフリカーナといわれる白人たち、ドイツとかオランダから来た人たちですが、政策、権利をイギリスはこのアフリカーナに委ねました。 イギリスが統治している間というのは、アパルトヘイトは無かった訳です。 イギリスが出るまでの間は、マンデラ氏もそうですがイギリスが統治する教育を受ける機会があったのです。

イギリスがアフリカーナへ権利を与えていった時から、黒人への差別がはじまりました。 その人種差別というのが、国民を非常に不安にさせていきました。 黒人には選挙権が全く与えられなかったり、人口の70%を占める黒人を国土の9%の不毛な土地に移住させたり、人種の異なる男女の結婚の禁止、といった政策です。

1950年代、それはおかしい、と立ち上がった人たちは投獄されました。 マンデラ氏がその一人です。殺されてしまう可能性を恐れて地下組織に入ったり、 あるいは国外に出て「こういう事態が起きている」と他国へ発信していきました。 その間、多くの黒人が命を落とし、犠牲となりました。 1950年代、南アフリカはいわゆる暗黒の時代でした。
11歳で南アフリカを脱出。ロシアで教育を受ける
南アフリカにはイギリス統治時代に教育制度は整っていて、黒人だけの大学もありました。 イギリス人の中には、南アフリカの国籍とダブルで国籍を持っていて、非常に民主的でリベラルな人が、アフリカ人を教育する事がとても大切と考え、NGOや様々な組織を通して南アフリカ人の教育を支えてきたんです。 そういう歴史がありました。

しかしイギリスが出て行った後、アフリカーナと言われる人たちの弾圧があり、いわゆるインテリ層の黒人が殺されてしまう事態となったのです。 私もその時代に、家族で国外に出ました。 国内で闘おうと思っても、弾圧があって非常に難しかったのです。

この頃、多くの南アフリカ人が国外へ逃亡しました。 1962年、私自身は11歳の時でしたがタンザニアへ出ました。 それから留学生としてロシアへ出ました。 西洋諸国は政治的な問題があり、イギリスやフランスは難しかったのです。 ブルガリア、ルーマニア、ポーランド等の旧ロシア圏、東欧圏は南アフリカを逃亡してきた人たちをサポートしました。 南アフリカから多くの人たちが東欧へ逃亡しました。

そして、国から出た人たちの各々がその国できちんとした教育を受けて、1994年、アパルトヘイトが終わった時には、それぞれが知識を持って南アフリカへ帰りました。 南アフリカ共和国が独立したときにみんなが戻ってきた、そして国の再建に力を入れたのです。
タンザニア女性外交官との出会いから将来の夢を描く
グロリアさんが外交官になろうと思ったのはどうしてですか?
11歳で国を出てタンザニアにいる時にある出会いがありました。 母の親友がタンザニアで外交官をしていたんです。 政治家で、タンザニアで初の女性大使として、他の国に赴任していきました。 母に「大使とは何なのか」と説明を受けた時、非常に惹かれるものがあって、高校卒業した時に「私も外交官になりたい」という想いに駆られました。 彼女は私にとって最初の教師であり、私のロールモデルともなりました。
望みは「男女半々」の社会
南アフリカ共和国の女性の現状について聞かせてください。
現在、政府官僚の30%を女性が占めています。 大使であれ、政府高官であれ、国会議員を含めて3人に1人が女性、というのが今の南アフリカの現状です。 でもそれは、南アフリカの現状から見れば、あくまでひとつのテストが終了した段階にしか過ぎません。

女性の進出が増えてきて、比率を占めてきている可能性もありますが、私たちの望みは男女、半々です。 女性対男性が10対10の、あくまでも平等を望んでいます。 現状の30%から40%へ段々と進めていって、その段階を経てさらに違うハードルを乗り越えないといけないと思っています。
娘に望むこと、「自立心ある女性に」
グロリアさん自身にもお嬢さんがいらっしゃいます。 お嬢さんにはどんな女性になってほしいとのぞみますか?
私自身は、アパルトヘイト時代に国を出て、家族と離れ離れに育ち、また遠い国に赴任したりと、生まれ育った時からも、非常に自立心の強い女性でした。 人生は先に何があるか分からない、自分の娘には、そういう時に独り立ちできるような、自立心を常に持ってほしいと思っています。

その自立心の基本は教育にあると思います。 そして教育には、男女の差や限界はありません。一生涯、いつまでも学び続けることができますし、可能性は無限大です。 その教育というものをベースにして、常に自立心をもった女性に育ってほしい、というのが母親としての望みです。
みんなで手を取り合い、発信していくこと
最後に日本の女性へメッセージをお願いします。
日本の女性は非常に知的で知識も教養も高く、いろんな能力を持っていると思います。 特に母親は、子どもを育てていく母親が能力を生かしたり、知性を育んでいく為にもどう子どもを育てていくかが重要です。 その為にも必要なことは社会に提起していくこと。 あきらめずに働きかけることによって、これから50年後の日本を変えていく力を日本の女性は持っていると思います。

だから、時間はかかるかもしれないけれど、あきらめずに、おかしいと感じたこと、こうして欲しいと思ったことは、とにかく具体的に提起し、発信し続ける事が非常に大切だと思います。 ひとりではなく、みんなで手を取り合い、つながっていくことが大事です。
グロリアさん、ありがとうございました。 そして、日本での任期お疲れさまでした。
グロリア・ンクワナさん
Gloria Ncwana
2010年から2014年6月まで、駐日南アフリカ大使館で政治担当参事官として赴任。 ロシアの大学 国際関係学部卒業後、南アフリカ外務省勤務。
少女時代から、アパルトヘイトという南アフリカ激動の時代を生き抜いたグロリアさん。 女性の地位がまだ確立されていなかった頃に異国の地で外交官を志し、帰国後実際に実現していった強さと賢さを持ちながらも、日本の女性達を励ますメッセージを頂いて、母性的で、母のように包み込むあたたかさをも感じました。 母としてという立場で教育の重要性をおっしゃっていた事が印象的でした。

アパルトヘイトは、学校の授業で僅かに学んだ程度でしたが、経済的にはいわゆる世界の富の偏在、政治的には東西の冷戦構造等、と様々な世界の問題や情勢が関わっていたことも分かり、日本にとっても無関係ではないことを知ります。

10年ほど前、タンザニアの首都ダルエスサラームに訪れたのですが、長く続いた奴隷制度、植民地政策を経て、街の人たちの瞳に底深い悲しみと、痛みや悲しみさえ押し殺すほどのあきらめを感じたことがあります。「教育」とおっしゃる事の中には、人としての尊厳、誇りを持って生きることもあげられると思います。

また、男だから、女だから、ではなく「人間として」互いに向き合う、という言葉が印象的でした。男女間でも「所有」という関係ではなく、尊厳を持って互いに向き合う事、互いに自律して生きる事、そこから人間として成長してゆける関係が育まれると思います。

グロリアさんのインタビューから、「女性活用」と言っても単に男女の数合わせでの平等ではなく、もっと深いところで私たち女性に考えを与えてくれたと私は感じました。 人種差別という大変不条理な経験をされ、実際に行動を起こして50年先の未来を考え、政務に携わる、ひとりのアフリカの女性の母の強さを感じました。
加藤 倫子
PRESS ROOM
ライター、広報・PR支援を個人事業で行う。 ニュースの仕事を通算で8年。社会、政治、国際のニュースをテレビ、週刊誌、Webで取材・編集に携わる。他にも金融機関で営業職を4年、会社のPRや新聞広告作成など広報の仕事を任される事が多く、外部広報・PR業務を受諾、企画支援、新規事業支援、ライター業も。報道(メディア)とビジネス両面の経験を強みとし、仕事を展開している。
写真協力:Yuzo Komoriyama(加藤倫子プロフィール)
撮影協力:竹内佑 通訳:賀陽輝代


 


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