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関口 暁子 文筆家/エッセイスト doppo
大変なとき、嬉しいとき。ときに支えられ、ときには今以上に輝きを増すことができる。「言葉」というものは不思議な力を秘めています。今、私たちの目の前のステージにいる「あの著名人」も、誰にも知られず努力を重ね、感謝を繰り返し、ここまで生きてきたのです。 彼らがその長い「活躍人生」の中で支えに…
あなたに届け、輝く人の、輝く言葉(新シリーズ) キャリアアップ 2018-06-20
新しいあなたへ~新シリーズ「ココロの処方箋」~ヘッセの言葉⑮~

いよいよ梅雨入りですね。

じめじめとした独特の空気は、少しばかりの憂鬱を連れてきます。

一方で、紫陽花に彩られた道端や家々の庭が

そんな私たちの心を幾分穏やかに、そして爽やかにしてくれます。

 

みなさん、SNSはされていますでしょうか?

かくいう私も、プライベートのことは会えない遠くの友人知人への

近況報告の意味も含めて、SNSを利用しています。

SNSはつき合い方によってはとても楽しく有益なものですが、

キラキラと毎日を生活している(ように見える)友人知人の姿を見て

ときに嫉妬したり、自分の生活を恨めしく思ったりすることも

あるかもしれません。

 

現代特有の悩み?

 

いいえ。そんなことはありません。

人と比べ、落ち込んだり、何かと何かを比較して悩むことは

人間が生きてきた歴史の数だけあります。

 

ここで、私の仕事の「屋号」について、ちょっとご紹介させてくださいね。

名前は、「doppo」と言います。ドッポと読みます。

 

私のホームページから、doppoの由来についての文章を引用します。

ちょっと長いですが、お付き合いください。

 

doppoは、「独立独歩」の「独歩」です。

ですが、「独歩青天」という言葉から由来しています。『碧巌録』という古典書にある言葉です。

「優劣、好き嫌い、上下。このような二つを対決させるような価値観を超越した、安寧の世界が青天。

そこを悠然として生きる」というような意味を持ちます。

 

私の理想とする生き方です。

競争や比較、それらの思いを捨て去ることはとても難しいものですが

少しずつ、自分らしい生き方に自信をもって、誰とも比べない生き方をしたいと願っています。

良いものを知り、良い人と出会い、毎日の一瞬が、良き時間であるように。

理想的すぎると笑われるかもしれません。

でも、理想を持って生きていきたいと思うのです。(後略)

 

これは、2006年1月に独立を考えたときに、心にあった真のメッセージです。

昔から、青臭い正義感、とか、理想的すぎる

と、周囲の大人たちに言われ続けてきました。

上司であったり、学校の先生だったり。

 

それでも、構わないという、どこか独歩的な若者でした。いいえ、子供のころからそうでした。

ですから、独立する前に会社の取締役として働いてきたときに、だんだんとむなしくなってしまったのです。理想的な思想を持ち、信念に基づいて行動することが、会社の理念と合わないのなら、私は私を理解してくれる人のために、私の力を活用してくださる方に、必要としている方に役割を果たした方がお互いに幸せなのではないか?と。

 

そんな状況でしたので、将来の保証は何もないにかかわらず、

心は晴れやかな門出でした。

 

現在、独立して11年目に入りました。

その間、結婚して、子供は二人恵まれました。

義父母との同居も、新婚から七年続けました。

当然、仕事のペースはゆっくりになりました。

 

でも、まだ必要としてくださる方々がいて、まだ、人様のお役に立ちたいと願う自分がいる。

取締役時代に比べれば、収入は激減しました。

部下や後輩にブランド品を買ってあげることもできなくなり、高級なレストランで御馳走してあげることもできなくなりました。

もちろん、自分自身に対しても。

 

もし、「社会的な」成功が、「高価なモノを買い、高級なレストランで食事をし、有名な人たちとお友達になり、海外旅行へしょっちゅう行く」というようなものだとしたら、

私は間違いなく、その世界からスピンアウトした脱落者と言えるでしょう。

 

けれども、私にはそのような「成功」はもう必要なくて、家族との健康的で穏やかな生活や、緩やかに社会と繋がることや、自分自身の心地よい感情を共有できる家族や仲間たちと分かち合うことこそが、私にとって望んでいる姿となりました。

 

若いころ、まったく見栄がなかったと言えば嘘になるでしょう。

でも、何年かそんな「煌びやかな」生活を経験したら、もう十分。

少なくとも、私にとっては。

そういうことに気づきました。

 

これって、自己満足?

それとも、悔し紛れに満足していると思いたいだけ?

 

独立した当初、かつての自分の生活と比べては

時々、心の中でそんな声も聞こえたときもありました。

でも、そうではなくて、本当に望んだ道だったのだと改めて思う今日この頃です。

 

あの時、心の声に従って、独立して良かったと心から思っています。

そんな私の気持ちを後押ししてくれる、

ヘッセのこんな言葉をご紹介しましょう。

 

美醜。黒白。光と影。生と死。成功と失敗。上昇と下降……。対極になるものはみな、迷いに過ぎない。

それらはどれもこれも、人の頭の中にある迷いのせいで、互いに反対の側に立つものとして人の目に映っているだけ……。

そんなつまらぬ迷いを断ち切りたいならば、たった一時間、自分のすべきことをするだけでよい。精魂をこめて力の限り仕事に打ち込む。

それだけのことで、これまでさんざん自分を悩ませてきた迷いの深淵から、いとも容易に脱することができる。

 

(『クリングゾル最後の夏』)

 

驚くべきことに、『碧巌録』では「独歩青天」について

「二律対立は迷いである」と断じていて、

ヘッセの言葉と全く同じことを言っているのです。

 

ヘッセは『シッダールタ』など、東洋思想が色濃く反映された作品を執筆していますので、もしかしたら、『碧巌録』も勉強をしたのかもしれません。

 

屋号であるdoppoとヘッセの結びつきが、こんなところに現れていたと知ったときには

驚きと喜びで胸がいっぱいになりました。

 

私がもっとも影響を受けたゲーテも、

「半時間では何もできないと思っているより、世の中の一番つまらぬことをする方が勝っている」

という言葉を残していますが(バックナンバー「ゲーテの幸せ講座」にて執筆)

その行動に対する発想と、独歩青天に対する思想とが

共存しているのが、今回ご紹介したヘッセの言葉と言えます。

 

迷いや不安は人を活動的にする、という言葉を前回のコラムでご紹介しました。

迷いを断ち切るために、不安を希望に変えるために、

やはり人は前を見て、歩み続けるしかないのです。

 

昨今、罪のない子供や、人を救おうとした勇敢な方が、卑怯な犯罪に巻き込まれるという痛ましい事件や

思春期の子供たちのいじめ問題、自己保身に走る醜い大人たちの言動などが後を絶ちません。

 

しかし、この不条理な人間社会を、私たちは生きていかなければなりません。

もしも、一人ひとりが、目の前の役割を果たすべく仕事に打ち込み、

他者と比べない生き方を選択できたなら、

このような悲しい事件も減っていくのではないかと思えてなりません。

 

人を変えることは難しいものです。

社会を変えることは、もっと難しいでしょう。

でも自分を変えることなら、あなた次第でできないことはありません。

ときには、苦痛を伴うかもしれません。

悩みや不安、迷いを心から消し去ることはなかなかできないものです。

無理に消そうと意識すればするほど、自分がそこに固執していることに気づかされることもあるでしょう。

だから、行動せよ。とヘッセは、そしてゲーテも言うのです。

体を動かせ、手を動かせ。なすべきことをせよ、と。

ワイドショーを見ながら、他者についてあれこれ詮索している時間などないのです。

大切なあなたの1日24時間、365日を、どうか他人との比較のための時間に費やされませんように。

 

人生の達人たちの言葉が

悩める人たちの心に響くことを願っています。

 

今日も素敵な一日を!

 

Schoenen Tag noch!

Text by Akiko Sekiguchi


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