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小山 ひとみ コーディネーター、中国語通訳・翻訳 ROOT
日本と中国、台湾間の文化交流の橋渡し役として仕事をしていることから、東京、ニューヨーク、上海、北京で活躍している中国と台湾の女性にフォーカスを当て、彼女たちがどのようなプロセスを経てチャンスを得たのか紹介していきます。
チャンスを掴む!中国、台湾のウーマンに学ぶ キャリアアップ 2017-09-01
ファッションで日本と中国をつなぐ 岩野莉さん

日本名、岩野莉さん。中国名、姚莉(ヤオ・リー)さん。2002年から日本と中国の架け橋として活動をしてきた彼女は、日本人と結婚をして娘を授かり、日本への帰化を決めた。そこには、葛藤もありつつ、日本で生活、仕事を続けていくという強い意思の表れもあった。彼女の活動を伺った。

日本に帰化することを決断

1990年、まだ今のように日本各地に中国からの留学生がいなかった時代、岩野さんは中国の公費留学生として来日。生まれ育った瀋陽は、日本の統治下におかれた街。日常に日本が存在していたので、日本への興味はある意味、自然と持つようになった。瀋陽の大学を卒業後、来日し、日本語学校で日本語を勉強した後、ずっと興味を持っていた服を勉強することに決めた。

服への興味は、子供の頃に遡る。母親が子供の頃、よく服を作ってくれた。そのどれもが、お店では買えない個性的なデザイン、色合いで、母手作りの服を着ていた岩野さんは、学校で目立つ存在だったそう。また、父親が出張で上海に行くと、よくお土産として服を買ってきてくれた。「中学の時、父が買ってきてくれたピンク色のモヘアのセーターを来て学校に行ったら、校内で有名になったくらいよ」岩野さんは、この頃から、服に興味を持つようになった。

日本語学校卒業後、東京の専門学校でドレスメーキングを勉強していた岩野さん、学費、生活費はいずれも自分でアルバイトをして支払っていた。「今、日本にいる中国の留学生はほんとうに恵まれているわよね。大体の留学生が、親からのお金で助かっているでしょ」。東京で勉強していた頃と今を比較して、そう語る。

在学中、広告モデルのアルバイトもしていた。その時、今の夫と知り合う。お付き合いを続け、卒業後、結婚、出産と嬉しいことが続いた。「本当は、デザイナーになることも考えていたんだけどね。結婚、出産が続いて、その夢は諦めたわ。でも、今でもファッションを通して日中の架け橋になれているのは嬉しいわね」。

娘が3歳になった頃、日本ではいじめ問題が深刻化していたこともあり、子供のことを想い、日本に帰化することを決める。「今でも、あの時の決断はそう簡単ではなかったと思っているわ。中国の国籍を捨てて生きて行くという選択には、やはり迷いはありましたよ」。それでも、子供のことを想い、中国で生活をする両親からも了承を得て、その日から、姚莉から岩野莉として日本で生活をしている。

専門学校卒業後、アパレル会社から内定をもらっていたけれど、日中、子供の面倒みてくれる人が見つからず、仕事を諦め、専業主婦としての道を選んだ。「あの時は、同じ環境に置かれている中国人の友達もいなかったので、私の両親がいる中国に子供を連れて帰ろうかとも考えたわ。本当に、色々悩んでいたわね」。

写真:中国のデザイナーとモデルたちと一緒に

娘が小学校に入るようになると、お互いに助け合えるママ友ができ、精神的な余裕もうまれた。そして、2000年、本格的に仕事を始めることに決めた。とはいえ、仕事と子育ての両立は、やはり周りのサポートがあってのこと。特に、中国出張でしばらく家をあけ、子供が病気になっても側にいてあげられなかったことは、今でも悔やんでいる。

岩野さんじゃないと

服、ファッションの勉強は、専門学校で学んだけれど、ファッション業界で仕事をするのは初めてのこと。幸い、同じ時期に日本で留学をしていた兄が中国に帰国後、ファッションの仕事を始めていたので、兄から東京でできる仕事をもらった。

初めての仕事は、中国のデザイナー協会の団体が東京に来た時、コーディネート、通訳として動いた。そこから、人脈ができ、声がかかるようになる。仕事をしながら、色々学んでいった感じ。2002年、ある日本人デザイナーが、初めて中国のブランドと提携事業を結んだ。その重要な橋渡しをしたのは、岩野さん本人。その時の経験から「これからは、自分の会社をもって仕事を進めていった方がいいのでは」。すぐに、自分の会社を立ち上げ、日中のファッションの架け橋として仕事を本格化させた。

その日から、これまで、日本人と中国人の間で仕事をしてきた。それぞれ、気質も習慣も全く違うので、間に入って動く人間としては、色々苦労した。「中国人は、約束を守らない人が多いでしょう。日本人は真面目で細かい。お互いを説得して契約にもっていくのは、本当に大変だったわ」。などなど、苦労話はあれこれある。それでも、「岩野さんじゃないとできない」と言われると、続けてきて良かったと心から思う。

中国と日本のファッション業界を見てきて、色々変化も感じる。中国は、欧米のノウハウを借りて欧米に頼りきっていたけれど、今ではオリジナルが作れるようになっている。今後は留学からの帰国組がもっともっと増え、きっと需要も増えるはずと見ている。一方の日本は、新しいことに対して「慎重すぎる」のがネックだと感じている。気が付いたら、日本の入る場所がないという状況にもなりかねない。「これからは、中国の時代になっていくはず。だから、「今」中国に進出した方がいいですよとアドバイスしたい」と岩野さんは語る。

写真:日本のデザイナーを中国に紹介

「私はあくまで縁の下の力持ちだから、表には出ないようにして仕事をしているの」以前、中国のメディアから「あなたのこれまでの活躍を紹介したい」と声がかかったけれど、丁重に断った。まだまだ、チャレンジしたいことはたくさんある。これからは、国と国、企業と企業を繋げるのではなく、「人と人」を繋げていきたいと願っている。間に立って、お互い潤滑に相手のことを理解してもらえるように働きかける架け橋の仕事には、まだまだ魅力を感じている。

最後に「日本と中国をつなぐ仕事をしたいと思っている人へのアドバイス」を求めると、「まず、好きなことを仕事にすべき。あとは、自分の強みがないと続かないわね」と。岩野さん自身、強みをものにして活躍してきた。とても説得力のある一言。

今後、ますます、日本と中国の交流は増えていくだろうし、必要になってくるだろう。そんななか、岩野さんと話しをして私自身、次はどことどこを繋げるべきなのか、更に探っていこうと強く思ったのでした。

東京ウーマン コラムを終えて

2016年2月からこれまで、13名の魅力的な中国、台湾のウーマンを紹介してきました。彼女たちの共通点は、私同様に「好きなことを仕事にしている」ということでした。一見すると、とても自由で縛りがないように思えますが、「続ける」ために一人一人が努力し、試行錯誤していました。そんなウーマンたちから学んだことを糧に、私自身、好きなことが続けられるように邁進していこうと思います。これまで、お読みいただき本当にありがとうございました!

 

 


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