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小山 ひとみ コーディネーター、中国語通訳・翻訳 ROOT
日本と中国、台湾間の文化交流の橋渡し役として仕事をしていることから、東京、ニューヨーク、上海、北京で活躍している中国と台湾の女性にフォーカスを当て、彼女たちがどのようなプロセスを経てチャンスを得たのか紹介していきます。
チャンスを掴む!中国、台湾のウーマンに学ぶ キャリアアップ 2017-04-28
絵を描くことしか選択肢はなかった 黄海欣(ホアン・ハイシン)さん

彼女の絵には、人をホッコリさせる力があります。思わず、クスッと頬が緩み、暖かい気持ちになります。今回紹介する、アーティスト黄海欣(ホアン・ハイシン)さんの絵です。彼女の作品の被写体である人物像は、彼女の日常の何気ない場面から出てきた、リアルな姿なのです。

周りと違う道

1984年台北生まれのホアンさんがNYに来て、ちょうど10年が経ちます。来るまでは、自分がアーティストになるとは考えてもいなかったそう。「アーティストでは食べていけないって思っていたから、ちゃんと稼げる仕事をしないとって考えていましたね、当時は。」台北教育大学では美術を専攻。大学を卒業すると、ほとんどの人が教師職を選択するという環境の中、ホアンさんは「教師には全く興味がなかった。」という理由で、周りとは違う道を歩むことに。

「周りと違う」こととして、もう一つ、大学のイベントでは、ホアンさんが演出を担当し「変な音楽、変な格好、変なダンス」の作品を発表。「周りはベタな堅い演劇を発表していたけど、私はただただ、面白いものを見せたかったんです。」その面白さが学生たちにうけ、翌年のイベントの作品も楽しみにしてくれるファンもいたほど。周りを笑顔にする才能は、この頃すでに開花していたのかもしれません。

そして、絵を描くことは子供の頃からずっと好きだったといいます。「でも、小学校の美術の授業って、決められたテーマで描かないといけないから本当につまらなかった。」なので、授業が終わり、家に帰ると自分の描きたい絵をひたすら描いていました。その頃、絵の対象として頻繁に登場したのは、お姫様のような可愛い女の子。「でも、人間と馬の話のテレビドラマに影響を受けて、ひたすら馬を描いていた時期もあるんですよ、実は。(笑)」とはいえ、当時の絵の主人公は、ほとんどが「人間」。そして、その被写体は、今でも彼女の作品のメインになっています。

「子供の頃は、すごく人見知りだったんですけどね。」ホアンさんの口から出たその一言を聞き、正直、驚きました。インタビュー中、何度もあははと大きな声で笑いながら話をしてくれたので、その彼女と人見知りはあまりにも繋がらなかったからです。基本、家の中で一人で絵を描いている静かな子で、母親が外に連れ出しても、ホアンさんがあまりにおとなしすぎるため、周りの子はホアンさんの存在を忘れてしまうほどだったといいます。

そんなホアンさん、中学、高校でやっと人見知りをすることもなく、輪に溶けこめるようになっていったそう。そして、先述の通り、人を楽しませる企画をするまでになっていったのです。大学を卒業し、「海外で何か経験が得られれば」というシンプルな思いからNYに移り、引き続き、大学院で美術を専門に勉強。専攻した学部の授業は比較的自由で、絵画を本格的に勉強したり、以前から興味があった写真も勉強できたそうです。

 

(写真:ホアンさんの個展会場にて。友人たちと。)

「台湾と違うのは、グループディスカッションが多いことですね。」初めは全然慣れず、何を話せばいいのか、頭が回らなかったといいます。また、何よりも英語がネックになった。「授業は大変でしたよ。初めは全然聞き取れないんです。でも、とにかく必死に勉強しました。」また、教授たちは、学生を一人のプロフェッショナルの人間として扱うという点も、台湾とは大きな違いだと感じたのです。

「間違ってもいいから、とにかく話そう、分からなければ、とにかく聞こう。」その精神で、次第に英語をモノにしていきました。「アメリカ人ってパーティーが好きだから、よく呼ばれるんですよね。それで、お酒の勢いをかりて、酔払いながら間違ってもいいからベラベラ喋るようにしたというのも英語力がついた大きな理由かな。」と笑うホアンさん。

また、大学院で学んだことのひとつが、「とにかく創作するという精神」。「NYに来る前は、アートってやっぱり手に届かない高貴なものというイメージがありました。でも、自分自身で創作をするにつれて、アートって、作り手の世界観や考えが反映されるんだって。だから、身近な存在で、そんなに高貴なものじゃないんだって。」

瞬間を記録、素直な目線

授業の中で、教授やクラスメートから作品に対する嬉しいコメントをもらうにつれ、当初は考えてもいなかった「アーティストになる」という選択肢を視野にいれるようになります。NYに来てからも、継続して人物をメインに描いてきました。

当初は、ニュースやメディアに登場する話題の人物を描いていたけれど、次第に、どの家庭にもある家族旅行の写真を題材に描いていくようになり、そして、今の作品のように見た人がクスッと笑ってしまうような人物を扱うようになっていったそう。「私はただ、目にした日常の一場面を面白いなと思って描いているだけなんです。瞬間を記録しているだけで、決して風刺とか批判をしているわけではありません。」

だから、彼女の作品には「そうそう、こういう人いるよねー。」と笑ってしまうような、親しみの持てる人間が登場します。また、作品には、ホアンさん自身がその場にいるような、彼女の素直な目線が読み取れるので、見る人と作品の距離が近く感じるのです。

今でこそ、アーティストとして、作品を売ったお金で生活ができるようになったものの、アートだけで食べられるようになったのは、ここ3年とのこと。「大学院を修了してからは、色々アルバイトをしながら作品を描いていました。」幸い、作品を見て気に入ってくれたギャラリーや美術関係者から声がかかり、個展やグループ展に出展する機会が増え、やってこられたと語ります。

また、台湾とオーストラリアの美術館がコレクションとして作品を購入してくれたのは大きかったといいます。「NYにきてから7年間、台湾の美術館には自分からコレクションしてもらえないかアプローチをしていたんです。でも、ずっと反応がなくて。でも、ここ最近、個展ができるようになって、彼らも私の作品価値を感じてくれたんだと思います。」

 

(写真:アトリエにて。遊びに来ていた友人と)

現在、ホアンさんは、イスラエル、トルコ、ノルウェーのアーティストとアトリエをシェアしています。「世界各国から人が集まっていて、本当に面白い場所ですよ、NYは。」第一線で活躍しているアーティストの展示も見られるし、まだまだ可能性がある場所でもある。「人が何をしていようが誰も気にしないし、誰も何も口出ししないから形になりやすい。ある意味、自由ですよね。」

でも、ホアンさん自身、「これからもNYでやっていくぞ!」という強い意志はあまりないといいます。「NYをベースにして、各国のレジデンスに参加したいですね。」これまで、3箇所のレジデンスに参加した経験があります。最近参加したのは、フィンランドのレジデンス。各国からやってきたアーティストと一緒に生活をしながら、創作について色々話を深める。フィンランドで目にした面白い人物も、今創作中の新作に取り入れたそう。

そして、この1年、プライベートでは、ポールダンスにはまっているといいます。「自分の限界を知ることができるし、何より、すごく楽しいんですよ。」と笑うホアンさん。来年、上海での個展が決まっており、インタビューをした時は作品創作に追われていました。「今年は、いくつかレジデンスが決まっているので、NYにいるうちに作品を描かないと間に合わない…。」

最後に、NYで何か始めたい人がいたら、どんなアドバイスをするか尋ねると、「自分に何ができるかよく考えた方がいいですね。あと、ひとつ一つの経験を無駄にしない、かな。」

 

 


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