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小山 ひとみ コーディネーター、中国語通訳・翻訳 ROOT
日本と中国、台湾間の文化交流の橋渡し役として仕事をしていることから、東京、ニューヨーク、上海、北京で活躍している中国と台湾の女性にフォーカスを当て、彼女たちがどのようなプロセスを経てチャンスを得たのか紹介していきます。
チャンスを掴む!中国、台湾のウーマンに学ぶ キャリアアップ 2016-11-25
美術史研究家(元メトロポリタン美術館キュレーター) 王辛(ワン・シン)さん

「『キュレーターです』って言っても、分かってもらえない場合が多いんですよね。だから、『美術研究家』って言っていました。」世界的に著名なメトロポリタン美術館で5年キュレーターを務めたワン・シンさんの口から、そのような一言が出るとは思ってもみなかったので少し驚きました。でも、よく考えてみると、美術という領域は生活とダイレクトな関わりがないので、「キュレーター」と言われてもピンとくる人は、まだそう多くはないのかもしれません。

ワンさん自身はキュレーターのことを「アイディアが豊富な展示をつくる人」と語っていました。ウィキペティアを見てみると「展覧会の企画者」と説明があります。私たちが日頃、美術館などで見ている展示は、キュレーターが企画したものなのです。

今回紹介するのは、メトロポリタン美術館で5年間キュレーターを務め、現在、ニューヨーク大学大学院で美術史の博士課程に在籍中の王辛(ワン・シン)さんです。

驚きを与えてくれるアーティストを探したい

1986年生まれと聞いて、正直、びっくりしました。とても落ち着いていて、クールなワンさんを、もっと年上かと思っていたからです。でも、SNSでやり取りを続け会って話をするにつれ、彼女に対する印象が変わっていきました。聡明で冷静な中に、キュートな一面を持った人なのだと。

「初めて会う人からは、1986年生まれには見えないってよく言われますよ。でも、だんだん私の本性が分かってくると「結構子供っぽいんだね」って。」と笑うワンさん。「今まで、こういうインタビューは受けたことがなかったから、すごく興味あります。」と逆に私の仕事や私の経歴について質問されるという場面も。色んなことに興味がある人なんだ、そう感じました。

有名なメトロポリタン美術館での仕事を辞め、学生に戻るということに躊躇はなかったのか、まず聞きたかったのはこのことでした。外国人でメトロポリタン美術館という世界でも指折りのトップクラスの美術館に採用されるということは、そう簡単なことではありません。せっかくチャンスを得たのに、自分からその場を去るという選択肢を取った彼女の行動が大胆に見えたからです。「美術館のキュレーターの仕事からは離れたけれど、今も学生をしながら雑誌に美術の記事を書いたり、依頼されて展示の企画をしたりしています。だから、美術から離れたわけでなないですし、別に躊躇するということはなかったですね。」

現在、同級生は12人。そのうち、中国人の学生はワンさんを入れて4人。同級生のほとんどが、修士課程を修了してそのまま博士課程を履修している若者。「でも、私は美術の分野で仕事をした経験があって、博士課程で何を学びたいのか、この先にどう繋げていきたいのか明確なビジョンがありますから。」と強い表情で語ってくれました。「いいチャンスがあれば、早めに修了して再び仕事を始めてもいいかなと思っています。」2年の予定で在籍しているけれど、仕事のチャンスがあれば早めに修了。もし、本を執筆するチャンスがあれば、5、6年は在籍する必要があるかもしれないと、ワンさんの中ですでに明確な設計ができているのです。

美術史の中でも、彼女が専門としているのは「現代」。授業を重ねるにつれ、学術的な面で収穫があるだけでなく、ワンさん自身が専門としてきた「アジアや中国現代美術」という枠組みにこだわらないで進めていきたいと思うようになったと言います。「現代美術という分野は常に変化を続けていて、それが面白いんですよね。今後は、「現代性とは何か」をより突き詰めていきたいと思っています。」

現代のアーティストは自由度が高く、どんなことでも作品として発表できてしまう。また、誰もがアーティストになれる時代。そんな中、「現代に生きている、現代で活動している」と感じられて、驚きを与えてくれるアーティストを探していきたいと語ります。「ほとんどのアーティストが、他の人がやっているから、受けがいいからと真似するんですよね。実力があって、面白い作品を発表しているアーティストはほんの一握りです。」美術の分野で長年研究、仕事をしてきたワンさんからの非常に説得力のある一言。

ワンさんが初めてキュレーターとして担当した展示は、2011年にメトロポリタン美術館に採用が決まってすぐの時。『水墨』というタイトルの展示を開催するため、連日、数多くの仕事をこなしました。参加アーティストに連絡をとったり、そのアーティストたちの作品を所蔵しているコレクターや美術館、ギャラリーに連絡を取り作品を借りるお願いをしたり、カタログに掲載する文章を書いたり、関連イベントの企画を考えたり、また、展示会場に貼る作品ごとの注釈を書いたり…。展示が始まると、良い感想もあれば悪い感想もあり、展示が討論の場を与えたという角度から言っても、とてもいい展示になったといいます。

「質の高い展示、また、社会に対する責任も担っているということを身近に感じました。」5年務めたメトロポリタン美術館では、貴重な経験ができたとワンさん。「メトロポリタン美術館の来館者は、他の美術館や博物館と比較できないほど、世界各国の様々な人が集まる特別な美術館なんですよね。」そんな特別な美術館で働いていた彼女が今に至るまで、どのような経験をしてきたのかとても興味がありました。

 

(写真:中国のアーティストたちと。左から三人目、ワン・シン)

美術が好きな少女、アメリカ留学を目指す

1986年山東省淄博(しはく)市で生まれたワンさん。子供の頃は、漫画家になりたかったそう。「当時は、毎日のようにテレビで日本のアニメが放送されていて、すごく流行っていましたね。でも、中国の漫画家にも素晴らしい人がいました。」小学生の頃、北京で発行されていた『北京アニメ』という雑誌を定期購読していたというから、子供の頃から探究心が強かったことが伺えます。また、小学4年の夏休みに、中国の漫画家が講師となり、漫画の書き方を教えてくれる教室にも通ったそう。もともと、絵を描くことが好きだったこともあり、その教室には夢中で通ったといいます。

絵を描くこと以外では、言語にも興味を持ち始めます。「言語は文化と密接な関係があるから、興味がありました。」小学5年生の時から英語を学び始め、中学2年と3年の時、英語のコンクールで優勝します。そして、もともと成績が良かったワンさんは、順調に上海のトップクラスの高校への入学が決まったのです。

16歳の時、単身、上海に渡ります。「もし、あの時、上海に行っていなかったら、今はアメリカにいなかったかもしれません。」その頃、ある中国の女性が、アメリカに留学をした時のことを書いたベストセラー本を読んだそう。その時、「私もアメリカに行けるんじゃない?」と思ったといいます。当時は、大学からアメリカに留学する人は今ほど多くなかったため、インターネット上の留学経験者が書いた掲示板のメッセージなどを参考にして、アメリカ行きの準備を進めます。

ここまで話を聞いてきて、彼女にとって「遊ぶ」とはどういうことを指すんだろうと思いました。高校生といえば、遊びたい盛り。日本の高校生だと、カラオケに行ったり、買い物したり、遊園地に行ったり…ワンさんはどうだったんだろう?その問いに対し、「週末になると、同級生と一緒に映画を見に行ったり、路上でDVDを買って寮の部屋で見たり。特に海外の映画が好きでしたね。私にとっては、映画を見ることがとにかく面白かったんですよね。」

ゲームとかはしなかったの?と聞くと、「する時もありましたよ。ゲームで言えば、去年はあるゲームにはまって、食事も取らず、睡眠時間を削って没頭していましたね。」ワンさんにも意外な一面があるんだと聞いていると「面白いと感じたゲームは、ひとつのすばらしい美術作品として見ちゃうんですよね。」ゲームをただの娯楽として見るのではなく、美術作品として捉える。さすが美術の世界で過ごしてきた人の見方だと感じました。

高校卒業後、アメリカの大学に入学。単身アメリカに渡り、本格的に美術の勉強を始めます。絵を描くことは好きだったけれど、それよりも、文章を書いたり、企画を組んだりすることの方が自分には向いているのではと思うようになります。将来は美術と関係のある仕事ができたらと、一歩一歩、自分のやりたいことを見つけてきました。「でも、残念ながら、美術はそれほど社会に役立つものではないと思っています。特に、抽象的、批判性の強い作品は、なおさら一般受けはしませんしね。」

大学卒業の年は、ちょうどリーマン・ショックが起きた年。すぐに就職をするのではなく、大学院で引き続き美術史を学びながら、人脈をつくりたいと思ったそう。大学院在学中は、MOMAやサザビーズ、メトロポリタン美術館といった、一流の組織の中でインターンをする経験を得ます。

 

 

 

(写真:美術に関するプレゼンテーションの時)

努力を惜しまない

順調に思えたワンさんにも、大学院在学中、眠れない夜が続く出来事が起こります。中国にいる母親に癌が見つかったのです。その知らせを受け、母親のいる山東省に戻ります。数ヶ月、山東省で過ごし、母親の容態がよくなった頃、あと4ヶ月で大学院修了という時期にNYに戻ると、OPTという大学院修了後、一年間アメリカで働けるというビザが取得できないことがわかったのです。大学院修了後もアメリカに滞在するには、別の方法でビザを取得しなければなりません。就職先も決まっていないワンさん、目の前が真っ白になったといいます。「実は、私はメンタルが強い人間ではないんですよね。これまで、美術の分野で頑張って勉強を続けて来て、アメリカで働けるという希望が見えたのに、ビザの問題でアメリカから離れなければいけないなんて…とにかく、焦りました。」

メトロポリタン美術館でインターンをしていた時の上司が「大学院修了後、うちにおいでよ。」と言ってくれたのを思い出し、すぐにメールを送り、働きたい意思を伝えます。しかし、何度連絡をしても、相手からの返事はありません。「あなたがどうにかしてくれないと、私は中国に帰るしかありません。」最後に送ったメールにそのように書くと、やっと返事が届き、正式にメトロポリタン美術館での採用が決まったといいます。

「ニューヨークは、美術の業界の中でも、競争の激しいところです。そんな中、外国人である私が一流の組織で仕事ができたのは、ある意味、ラッキーだったのかもしれません。」そうは言うものの、ワンさんの並々ならぬ努力があってのこと。その努力を周りが認めたから、自分が希望する場所にいられる。

なぜ、美術だったのか?その問いに、ワンさんは「幼稚な答えかもしれないけれど。」と前置きをしながら「一番、ユートピアに近いからでしょうか。」と。また、美術には、現代社会のあらゆるものが含まれる。「それが、私にはとても刺激的なんですよね。」

アメリカで生活をして、すでに10年。英語はもともと得意だったけれど、アメリカに来てからは「とにかく聞いて、書いて、読んで」をひたすら繰り返して物にしていったそう。「もし、キュレーターになりたいという人がいたら、とにかく直感を信じて、努力を惜しまないで、と伝えたいですね。」キュレーターであるワンさん自身がその通りにやってきたから言えること。最後まで、説得力のある回答をいただきました。

インタビューを終えて

「どういう時にリラックスしているの?」ワンさんの学ぶということに対する強い情熱と努力を惜しまない行動はとても力が入っていて、一体いつリラックスしているのだろうと思ったからです。「長距離のフライトの時かな。空にいる時」ワンさんのその回答を聞いて、彼女らしいと思いました。彼女にとって、地上にいる時は常に「学び」の姿勢で物事に接している。でも、地上を離れると自然にオフ状態になるのかもしれません。そのオフ状態のワンさんがどんな表情をしているのか、とても気になります。


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