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濱野 裕貴子 キャリアコンサルタント/公認心理師/ワークショップデザイナー くっしょん舎
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2016-02-23
古典落語de「お江戸のミニマリスト」

最近、最小限のモノしか持たないライフスタイルを良しとする「ミニマリスト」が話題ですね。でも、ミニマリストって今に始まったことではないってご存じですか? 古典落語にもいるのですよ、「ミニマリストの頂点」と呼ぶにふさわしい人物が! 

 

家賃を2年分も溜めたために、とうとう長屋から追い出されることになった八五郎。家財道具を売り飛ばしてお金を作り、何とか粗末な裏長屋に移り住むことができました。

 

それにしても、家財道具が一切ない部屋は、気が滅入るほどに殺風景。おまけに壁も薄汚い…。何とか改善するための策はないものか。あれこれと考えた八五郎は、妙案を思いつきます。

 

白い模造紙を買ってきて四方の壁に貼ると、知り合いの絵描きの先生を呼んできた八五郎。先生へのお願いは何と、「壁じゅうに、家財道具の絵を描いてくださいな」。

何と八五郎、これからは家財道具がある「つもり」で暮らしていくのだというのです。

 

戸惑いを隠せない絵描き先生に無理やり筆を持たせた八五郎、さっそく家財道具のオーダーです。

 

・まずは入口突き当り正面の壁に、床の間を描きましょうかね~。

・床の間の上には、花瓶と季節の花を描いてくださいな。

・その隣には、五段引き出しの箪笥だね。三段目の引き出しから、高そうな着物が垂れ下がっているように描いてもらえます? 

・箪笥の上には大きなラジオをお願いしますよ。

・箪笥のわきには、あくびをしているかわいい猫を座らせよう。

・その隣は、金庫がいいね。金庫の扉は半開きにして、中には札束がわんさか入ってるようにしてもらいたいなあ。

・金庫の上には水晶の置時計を置こうかな。

・その隣には茶箪笥ね。上には高そうな酒瓶を置いてください。急須に茶道具、厚く切った羊羹も入れたいねえ。

・そうそう、なげしには槍を掛けといてくださいな。泥棒よけにしますんで…。

 

好き勝手に理想のインテリアをオーダーし、すっかり家財道具が揃った(?)頃には、もはやあたりは暗くなっていました。八五郎は昼間の疲れが出たのか、薄暗い部屋の中でうとうと眠り込んでしまいました。

 

すると…、戸締りをしていない入口の戸を少し開けて、中をのぞき込む者がいます。

そうです、泥棒です! 

八五郎の家には、何も取るものはないはず…なのですが、この泥棒、あろうことか近視で乱視。すき間からちょっと覗いたらものすごく豪華な家財道具(?)が見えるではありませんか。「しめしめ、いい仕事ができそうだ」と中に入ってきました。

 

さっそく、箪笥から垂れている高そうな着物を盗もうと近づきます。んっ? 引き出しが引き出せません。じゃあ、金庫だ! んっ? 金庫も扉が半開きなのに、それ以上開けることができません。

ここまで来てようやく、「何だ、絵かよ! この家の野郎は、家財道具がある『つもり』で暮らしてやがんのか!」と気づいた泥棒、すっかり拍子抜けしてしまいます。

 

でも、ここで引き下がっては男がすたる! こいつがある「つもり」で暮らしていやがるなら、俺も盗る「つもり」になってやる! 

妙なところで八五郎と張り合おうという泥棒は、何と盗る「つもり」の実演を始めてしまいます。

 

「箪笥の一番下の引き出しをぐうーっと開けた『つもり』。風呂敷が入ってた『つもり』。風呂敷をバーッと広げた『つもり』。三番目の引き出しを開けた『つもり』。そこからいい着物を次から次へと取り出して、風呂敷の上に置いた『つもり』。その上に、ラジオと水晶の時計も置いた『つもり』。金庫の戸を開けて1億円の札束を取った『つもり』。風呂敷包みを首にかけて持ち上げようとしてるけど、重くて持ち上がらない『つもり』…」

 

泥棒が夢中で「つもり」を実演している途中で目が覚めた八五郎、

「粋な野郎だなあ。俺がある『つもり』なら奴は盗る『つもり』かぁ。なんか盛り上げてもらっちゃったなぁ…」

と、泥棒の実演の一部始終を見ながら感心しきり。荷物が持ち上がらない(演技で)うんうん唸っている泥棒を見て、いてもたってもいられなくなりました。

思わず飛び起きた八五郎、

 

「袴の股立ちを取った『つもり』。たすき十字に綾なした『つもり』。なげしの槍に手をかけて、りゅうとしごいて泥棒のわき腹めがけてブツーッ! と突き立てた『つもり』!」

 

すると泥棒、

「うーん、無念。わき腹から血がだくだく出た『つもり』」

古典落語随一のミニマリストは、この落語「だくだく」の主人公、八五郎でした。ほら、見事にモノがない環境で暮らしているでしょう?

 

もっとも、八五郎はモノを持ちたくても持てない境遇にあるので、自発的にモノを減らしているミニマリストとはちょっと違うのかもしれませんけれどもね。

でも「だくだく」という落語全体を通してみると、ミニマリストが大切にしている考え方と八五郎には通じる部分があるように思えるのです。

 

ミニマリストには、「より少ないモノを持てば、暮らしはより豊かになる」という信念があるのだそうです。「暮らしが豊かに」の意味は、金銭的・物質的に豊かになるということよりも、精神的な面で豊かになる、すなわち豊かな人生を送るということのようです。

 

これはある意味、八五郎の発想と同じではないでしょうか。

モノがない。寂しい。普通はここで、どうにかしてお金をためてモノを増やそうとか、物質的に豊かになろうとするものですよね。

でも、八五郎は違います。

モノがない。寂しい。じゃあいっそ、壁に絵を描いてもらって「つもり」で暮らそう! 

そんな突飛な発想で想像力を豊かにして、日々を面白がって生きていこうとする。これって実は、精神的にものすごく豊かなことなのではないかと思います。

 

そんな八五郎に引き寄せられて(か、どうかはわかりませんが)、同じようなノリ、発想の人もやってくるのです(泥棒ですけど…)。この二人、きっといい友達になったのではないでしょうか(笑)。

 

私は俗人なので、まだまだミニマリストになれそうもありませんが、どんな境遇でも工夫を凝らして楽しむ、超ポジティブに考える八五郎の生き方をお手本にして、心豊かな愉快な人生を送りたいと思っています。

 

最後に、私が感じている「だくだく」の魅力を一言。

落語って、手拭いと扇子だけで、「実際には無いもの」を「在る」ように見せるのが普通ですよね。でも「だくだく」は、「実際には無いもの」を「在るように見せる画策(壁の絵)」を見せて、「実際にはやっぱり無いこと」を描いているんですよね。でも、その光景はありありと目に浮かぶ。

とても不思議…。高座を観ていて、何だか鏡の国に入り込んだような錯覚を覚えることがあります。


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