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濱野 裕貴子 キャリアカウンセラー/ワークショップデザイナー 笑門来福
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2015-12-22
古典落語de「夫を育てた妻の嘘」

あまりいいイメージのない「嘘」という言葉。特に、夫婦や家族の間の「嘘」は、夫婦の不和や家庭崩壊の元凶とされますよね。

ところが落語の世界には、「嘘」でダメ夫を立派に育ててしまうおかみさんが登場するのです!

 

熊五郎は、腕のいい魚屋。毎日天秤棒をかついで魚河岸に行き、活きのいい魚を仕入れては、お得意様を回っています。「熊公の目利きは確かだ」「奴がこしらえる刺身は格別だ」と、町内じゅうの評判です。

熊五郎は、無類の酒好きでもありました。できることなら昼間から一杯やりたい、と思う心をぐっと抑えて、仕事に励む毎日…。

 

ある日のこと。お昼ご飯を食べに入った飯屋で、他のお客がお酒を飲んでいるのを目にした熊五郎。飲みたくて飲みたくて、どうにも我慢ができなくなってしまいました。一杯のつもりが二杯、三杯となり、挙句の果てにはへべれけでお得意様を回ることに…。

この昼間のお酒が習慣化し、ついには仕事にも行かずに家でお酒を飲むようになってしまいました。

 

暮れも押し迫ってきたある日の早朝。熊五郎はおかみさんの声で目を覚ましました。酒ばかり飲んでちっとも働かない熊五郎にほとほと困り果てているおかみさんは、今日こそ何とか商いに行ってくれるようにと熊五郎に懇願します。「このままではお餅も買えず、年が越せないよ」と訴えるおかみさん。根負けした熊五郎はしぶしぶ、まだ暗い早朝の道を、芝にある魚河岸へと出かけていきました。

 

表がようやく明るくなってきたころ、どうしたことか、血相を変えた熊五郎が長屋に駆け戻ってきました。そっと外の様子を窺い、誰にもつけられていないことを確認すると、厳重に戸締りをした熊五郎。興奮気味に、こんなことを語り始めます。

 

お前がやたらに早く出かけさせたせいで、魚河岸についても市が開いていなかった。仕方がないので芝の浜辺で時間をつぶすことにした。ぼんやり日の出を眺めていると眠くなってきたので、顔を洗って目を覚まそうと波打ち際へ。すると、足に何かが引っかかった。拾い上げてみると、ずっしり重い革の財布。中をあらためると、何と50両もの大金が入っていた!

 

「ようやく俺たちにも運が向いてきたぜ。この金で、うまいもんを食って洒落た着物を着て、温泉に湯治にでも行って、面白おかしく暮らそうじゃねえか!」

有頂天の熊五郎とは裏腹に、おかみさんの表情は冴えません。しかし、熊五郎を諫めることはせず、優しくこう申し出るおかみさん。

「そうだねえ。じゃあ、あたしがそのお金を預かっておこうか?」

「おう、頼んだぜ! 人の目につかねえところに、しっかり隠しておくんだぞ」

と熊五郎が革の財布を手渡すと、

「お前さん、お酒があるよ。お祝いに、少し飲まないかい?」

と、珍しくお酒を勧めました。

喜んでお酒を飲んだ熊五郎は、やがて酔っぱらって眠ってしまいます。

 

数時間後…。目が覚めた熊五郎は、あのお金のことを思うとうれしくてたまりません。銭湯に出かけ、その帰りに「今日は俺が酒をたらふく飲ませてやるから!」と、友達を大勢引き連れてきました。お酒と仕出し料理をツケで買い込み、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。

 

宴がお開きとなり友達が皆帰ってしまうと、おかみさんは静かな調子で、熊五郎にこう尋ねます。

「お前さん、『めでてえ、めでてえ』って酒を飲んでたけど、いったいなにがめでたいの? 何より、この飲み食いの支払いをどうするつもり?」

「なに言ってやんでぇ。あの革の財布があるじゃねえか」

「それはなあに? 知らないよ」

「とぼけんじゃねえ、おめえに預けた50両だよ!」

「50両? …そうか、お前さん、夢を見てたんだね」

「夢だって?」

「今朝、仕事に行ってもらおうと思って起こしたけれど、結局お前さんは起きなかったじゃないか。昼過ぎに起き出してお湯に行ったと思ったら、友達連れてきて、この大騒ぎだよ。おおかた、大金を拾った夢でも見たんじゃないのかい!」

 

熊五郎、大ショック! 手にしたと思った50両が、夢だったというのですから。おかみさんに「お前さんは、酒に飲まれて仕事もせずにいたために、ダメ人間になりかけてる。だからそんな夢を見るんだ。今回の飲み食い代は、私が親類に頭を下げて貸してもらう。だからお前さんもこれから真面目に働いて、真人間に戻ることを約束してください」と諫められた熊五郎。心底反省して、金輪際酒を断ち、仕事に邁進することを誓います。

それから三年後の大晦日。宣言通り断酒をし、商売に精を出した熊五郎。一度は離れていったお得意様も戻ってきてくれて、商売は大繁盛。今や、天秤を担いだ行商ではなく、小さいながら店を構え、奉公人を数人使うまでになりました。

 

仕事納めを終え、夫婦水入らずの時間。今年一年の頑張りを互いに労い合う中で、ふと、

「お前さん、三年前の革の財布のこと、覚えてるかい?」

と切り出したおかみさん。

「ああ、あの夢か。そんなこともあったっけなあ」

と答える熊五郎に、おかみさんがこんなことを話し始めます。

 

実は、あのとき「夢だ」と言ったのは嘘。50両入りの革の財布をお前さんが拾ったのは本当なんだよ。でも、あの時お前さんが有頂天になってそのお金を使うと言ったので、「大変なことになる、どうしよう」と思った。拾った大金を届け出ずに使ったことがばれたら、首が飛んでしまうもの。だからお前さんに酒を勧めて寝かせ、そのすきに大家さんに相談して、お奉行所に届けたんだよ。あたしが「夢だ」って言って、お前さんをだましたの…。

それからというものお前さんは、人が変わったように働いてくれるようになった。一年たっても落とし主が現れなかったので、50両はうちに下がってきたの。でも、それをお前さんに言った日にはまた酒飲みに戻ってしまうかもと思ったから、ずっと言わないでいたんだよ。

三年たって、こんなに立派な店も持てるようになって、もう大丈夫だろうって思ったから、今、本当のことを打ち明けました。今までだましていてごめんよ。腹が立つだろうね。あたしを打とうが蹴ろうが、好きにしておくれ。

 

泣きながら手をついて謝るおかみさん。話に聞き入っていた熊五郎の口からは、「う~ん」と言葉にならない声。やがておかみさんの手を上げさせて…。

「謝らなくちゃならないのは俺の方だ。おめえがだましてくれたおかげで、俺は真人間になれた。おめえは俺の『女房大明神』だ。本当にすまねえ。ありがとう」

手と手を取り合って涙を流し、詫び合い、感謝し合うふたり…。

 

「ああ、あたしもようやく胸のつかえが取れたよ。ああ、よかった。そうだ、お前さん、久しぶりに一杯飲むかい? もう昔みたいにお酒に飲まれる人じゃないだろう?」

この時のために、と買っておいたお酒を勧めるおかみさん。最初は遠慮したものの、「そこまで言ってくれるなら」と、熊五郎。酒を湯呑みに注いでもらい、感慨無量で口元まで持っていきますが…。飲む寸前で手を止めます。

 

「…俺、飲むのよすよ」

「どうしてさぁ?」

「また夢になるといけねえ」

 

夫婦愛を描いた名作、「芝浜」。年末になると、寄席や落語会でよくかかります。

夫婦の間に嘘があってはよくない、と言われますが、こんな嘘だったらいいですよね。おかみさんは三年間、夫をだましているという良心の呵責に苦しんだことでしょうが、熊五郎の更生を見極めて、最も良いタイミングで打ち明けるなんて、なんて賢くてしっかり者なんでしょう。

熊五郎もえらい! お酒に飲まれて商売をしくじってしまったのはいただけませんが、その後の改心ぶりには目を見張るものがあります。それもこれも、おかみさんとこの先もずっと一緒に生きていきたい、という思いからでしょうか。サゲ(最後)の一言も、まるですきっ腹に飲むお酒のように、心に沁み入りますよね。

 

この噺は、ぜひともぜひとも、実際に聴いていただきたい! 笑いながらも、いつしか頬を伝う涙に気づくことでしょう。年の瀬にぴったりな心温まる感動ストーリーを、ぜひ落語家さんの珠玉の演技でお楽しみいただきたいと思います。

 

おススメCD:

・立川談志プレミアム・ベスト 落語CD集「芝浜」/立川談志(日本コロムビア)

・落語名人会(14)「芝浜・百川」/古今亭志ん朝(ソニーミュージックレコーズ)


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