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濱野 裕貴子 キャリアカウンセラー/ワークショップデザイナー 笑門来福
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2014-09-23
古典落語de「究極の人助け」

ドライすぎる世の中に暮らす私たち。ともすると心がささくれ立って、チクチク、イガイガしがち。時には、心にも潤いをたっぷり補給してあげたいものです。
ということで、今月は義理人情の世界にどっぷり浸かるシリーズの2回目。「文七元結(ぶんしちもっとい)」の後半です。※前半は以下のURLをご参照ください。
https://www.tokyo-woman.net/Column20256.html

50両の大金を懐に、佐野槌を後にした長兵衛。娘への感謝を噛みしめながら、家路を急ぎます。もうすっかり真夜中、通りには人っ子ひとり歩いていません。

大川(隅田川)に架かる吾妻橋へと差し掛かった時、今まさに橋の欄干から身を投げようとする人影が。長兵衛は、無我夢中で止めます。

死のうとしていたのは、べっこう問屋近江屋の手代(従業員)だという若い男。聞けば、お得意先から代金50両を受け取って帰る途中、人相の悪い男に突き当たられた。気がついた時には懐の50両がなくなっていた、というのです。

「なぜ止めたんです。どうか死なせてください…」と男。
「おめえが死んだって金は出てこねえんだ。死なねえで済む方法、一緒に考えてやっから」と長兵衛。

長兵衛は、いろいろな解決策(誰かからお金を借りる、旦那(社長)に正直に話すなど)を提案します。しかし男は天涯孤独、親兄弟や親類縁者に頼ることはできません。金回りの良い友達もいません。

「旦那はお慈悲深い、優しい方なんです。だからこそ、それを裏切るようなことをしでかした自分が許せない。50両が出てこない限り、死んでお詫びをするしかないんです。だから、放っといてください…」

泣きながら、男はこう繰り返すばかり。

男の死ぬという決意はかなり固く、思い詰めている様子。目を離したら、間違いなく川へ飛び込んでしまいます。長兵衛は、どうしてもその場を立ち去ることができません。

目の前には、50両のために死ぬという男。自然と思い浮かぶのは、娘の思いがこもった、佐野槌の女将から借りた懐の50両…。

長兵衛は逡巡します。

「どうしても50両ねえってぇと、死ぬのか? 死ぬの、よしたほうがいいよ。もういっぺんよく考えてみねえな。どうしても50両なきゃ、だめか?…おめえ、本当に50両なきゃ死ぬってぇのか…?」

何度も何度も何度も、確認を繰り返す長兵衛。その都度、うなだれながらうなずく男。

…その姿を見て、長兵衛はとうとう決心してしまうのです。

「よしわかった! やるよっ、50両。もってけ!」

懐から大きく膨らんだ財布を差し出す長兵衛。思いもよらない展開に呆然とする男に、長兵衛は、この50両のいわれを話して聞かせます。

「…おめえにこれをやるとな、100両の借金ができちまう。いつ返せるか、俺には見当もつかねえ。来年の大晦日までに金を返せなきゃ、娘は客を取らされるんだ。だけど、娘は女郎になっても死ぬわけじゃねえ。おめえは今死ぬっていうから、やるんだ。いいか、死ぬんじゃねえぞ」

娘の運命がかかった大切な50両だと知り、男は必死で長兵衛の申し出を断わりますが…。

「やろうかやるめえか、さんざん考えておめえにやったんだ! 一度やったものを引っ込めるなんて、うすみっともねえことはできねえっ!」

ついに長兵衛は50両入りの財布を男に投げつけ、逃げるように走り去っていきます…。

大変な代償を払って「人助け」をしてしまった長兵衛。いかにも江戸っ子らしいと言えばそれまでなのですが、本当にやきもきさせられる場面です。

長兵衛は、娘のお久を苦界に沈め、佐野槌の女将を裏切る結果になることをわかっていながら、なぜ見ず知らずの男に50両をあげてしまったのでしょうか。

噺の中には、長兵衛が男に対し「死ねば何でも解決すると思うのは間違いだ」、「残された人のことを考えろ」などと、自殺がいかに無益で自分勝手なことなのかを懇々と説く場面があります(もっともこの説得、男には全く効き目がなかったのですが…)。

長兵衛の最終的な判断基準は、人が「死ぬか/死なないか」でした。遊女になって辛い思いをするだろうが「死にはしない」娘のお久と、50両がないと「今すぐ死ぬ」見ず知らずの男。両者を比べて、後者(男を死なせないこと)を取った、ということですね。

この判断が娘のみならず自分をも苦しめることになるのは重々わかっているが、長兵衛はそれでも、どうしてもこの男の命を救わずにはいられなかったのです。

一方、お久の立場に目を転じれば、この長兵衛の意思決定に対して「父親のくせに、娘のことをどう考えているんだ!」という憤りを感じなくもありませんね。

彼の名誉のために言っておきます。長兵衛も簡単にこの決断を下したわけではないのです。彼が娘を思いながらも苦渋の決断をしているということが、噺のなかにはちゃんと表現されています。

いかにお久に感謝をしているか。父親としての愛情や、だからこその苦悩の深さ。お久に苦労をかけ、不幸にすることに対する心からの詫び。その上で、敢えて男の命を救う決断をする理由…。そんなことが、長台詞の中で切々と語られていきます。
(ここはもう、実際に聴いていただくほかありません。涙なくしては到底聴けませんので、どうぞハンカチをご用意ください。)

 

さて、「文七元結」は、口演時間60分あまりの大ネタです。今回紹介した場面は、全体の3分の2あたり。ここから先をちょっと覗きますと…。

長兵衛が投げつけた50両を持って、男(名前を「文七」と言います)が奉公先の近江屋に戻ると、旦那と番頭が彼の帰りを待ちわびていました。近江屋には、なんと盗まれたはずの50両が! いったいなぜ!? 長兵衛は、お久はどうなる!?

この後の展開はぜひ、実際に聴いて味わっていただきたいと思います。
先に申し上げておきたいことは、「この噺には、悪い人がひとりも出てこない」ということです。最終的には、登場人物みんなが幸せになります。

特にラストシーン。文七が仕える近江屋の旦那の「人助け」。これがものすごく粋で、素敵なのです! 誰がどんなふうに「助け」られるのか…。ぜひ、ご自分の耳で確かめてくださいね。

ああ、人っていいな。思い合い、助け合って生きるって素敵だな。心に潤いが満ちて、人にも自分にも優しくしたくなる…。
「文七元結」は、聴き終わった後にそんな余韻に浸れる噺です。秋の夜長に、じっくりと味わっていただきたいと思います。

おススメDVD
落語なら:落語研究会 古今亭志ん朝全集 上「文七元結」(ソニーミュージックダイレクト)
歌舞伎なら:「<シネマ歌舞伎>人情噺 文七元結」(松竹)
長兵衛:中村勘三郎、文七:中村勘九郎


 


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