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濱野 裕貴子 キャリアコンサルタント/公認心理師/ワークショップデザイナー くっしょん舎
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2014-08-26
古典落語de「経営者の度量」

とかく人間関係がドライな現代社会。ドライも度が過ぎると、世の中がギスギス、ヒエビエしてしまうもの。もう少しだけ皆が互いに思いやり、助け合えたらいいのに…。皆さんは、そんなふうに思うことはありませんか?

今回から2回に渡り、義理人情の世界にどっぷりはまってみたいと思います。

紹介する落語は「文七元結(ぶんしちもっとい)」。幕末~明治の名人、三遊亭圓朝が作った、有名な人情噺です。

主人公は、左官職人の長兵衛。非常にいい腕をしていながら、博打に溺れて借金まみれ、最近は仕事もろくにしていません。

今日も借金のかたに着ていた着物まで取られ、褌に半纏一枚で師走の夜道を帰ってきました。

家では、女房が泣いていました。17歳になる娘のお久がいなくなってしまったのです。「食べる物にも事欠き、年頃なのに汚い身なり。こんな惨めな身の上を悲観して、きっと死んでしまったに違いない」と長兵衛を責める女房。とうとう夫婦喧嘩が始まります。

そこに、吉原の「佐野槌」(大きな遊女屋)から使いが。佐野槌は長兵衛のお得意先で、今も蔵作りを請け負っています。しかしこのところ仕事が大停滞、さてはそのお叱りかと思いきや、意外にも話題はお久のこと。何と、お久は佐野槌に行っていたのです。

訳がわからないまま、佐野槌に出向いた長兵衛。彼を迎えた女将(女性経営者)は、事の顛末を話して聞かせます。

夜中に突然、女将を訪ねてきたお久。「おとっつぁんは博打ばかりで働かず、家は借金だらけ。借金を返せば、おとっつぁんも真面目に仕事をするようになると思います。だから、どうかこの私を買ってください」と泣いて頼んだというのです。

「この子の覚悟と親を思う心に、あたしゃもらい泣きしたよ…」と女将。長兵衛は、驚くやらきまりが悪いやら…。

恐縮する長兵衛に女将は、いくらあれば借金を返して仕事に戻れるかを尋ねます。「50両あれば何とか…」と長兵衛。「そう。じゃあ、お前さんが本当に仕事をする気があるなら、あたしが50両貸そうじゃないか」※50両は、今の貨幣価値でおよそ100万円
長兵衛は、女将の思いがけない言葉に、またまたびっくり。

女将はこう続けます。

「でも今のお前さんには、おっかなくてとてもただじゃ貸せないね。どうだい、あたしがこの子を預かろうじゃないか。店には出さないから安心おし。お久さんには、あたしの身の周りの用事をしてもらう。その間、読み書き算盤、お稽古事など、女一通りのことを仕込んであげるよ。そのかわり、返済の期限は来年の大晦日だ。もし一日でも過ぎたら、あたしも鬼になるよ。この子に客を取らせます。だからお前さんも、死んだ気になって返しておくれ。」

長兵衛はもともと腕のいい職人です。博打をやめて借金を返し、仕事に邁進すれば、どうにか約束を守ることができそう。長兵衛は女将の温情と計らいに感謝して50両を借り受け、心を入れ替えて仕事に励むことを誓います…。

…「文七元結」の前半はここまでです。

何を隠そう、私がこの噺の登場人物の中で一番好きなのは、佐野槌の女将。だって、文句なしにカッコいいじゃありませんか!

女将は50両もの大金を、借金まみれで博打中毒の男に貸すのです。しかしさすがは優れた経営者、単に情に流されての意思決定ではありません。

まず、女将は「娘を預かる」という形で担保を取っています。「向こう1年間、娘の衣食住を保証、教育まで提供します。あなたが心を入れ替えて働き50両を返済すれば、無傷で返します。でも約束を守らなければ、容赦なく苦界に沈めます」という究極の条件を長兵衛に突きつけるのです。長兵衛が更生しさえすれば全てが丸く収まりますし、もし万が一長兵衛が約束を破った場合のリスクヘッジも、ちゃんとなされているのです。

噺の中に「これは50両を無駄にしないように考えた末の話なんだよ」という女将の台詞がありますが、実はお金だけではなく、お久の心も無駄にしたくないという気持ちがあったに違いありません。女将は、長兵衛の改心に賭けていたのでしょう。
長兵衛の頑張りを促進する、凄味の利いた見事な仕掛け。女将の経営者としてのシビアな姿勢と温かい人間性、その両方が見えます。

また、長兵衛の「自己決定」を尊重しているのも特徴的です。噺の中には、「長兵衛さんが承知ならば、そうしようじゃないか」という台詞が出てきます。強制ではなく、あくまで長兵衛の意思に委ねる形。そうすることで、長兵衛に覚悟を決めさせ、その後の行動に責任を持たせる。女将にはこんな狙いがあったように思えてなりません。

一般に経営者は、利益にならないことにはお金を出しませんよね。もし「長兵衛一家に援助を…」と考えたとしても、店に痛手のない程度の金額を都合してやるとか、望み通りお久を買い受けてその対価を支払う、などが普通だと思うのです。それを敢えて、無利子で大金を貸し、返済までの1年間、娘を大切に預かるとまで言うのですから…。女将の一連の行動からは、長兵衛を更生させようという気持ちがいかに真剣かが伝わってきます。

一方的に与えるだけではなく、被支援者(長兵衛)の成長をも促す「支援」。この女将の度量の広さと知恵の深さに、私はただただ感服するしかありません。

「文七元結」の前半、私にはもう一つ「いいなあ…」と思う場面があります。

佐野槌からの帰り際、女将から「お久さんにお礼をお言い」と命じられる長兵衛。最初はしぶしぶ従う長兵衛でしたが、次第にお久への詫びや感謝、愛情などが言葉になって溢れていきます。
この場面の最後、長兵衛は涙ながらに、「おとっつぁんが必ず迎えに来るから、辛抱するんだぞ」と言い残し、50両を懐に入れて佐野槌を後にします。

父親が娘に頭を下げる…。男尊女卑、ましてや「子どもは親の所有物」という考え方が主流の時代には、決して一般的なことではないと思います。でも、女将の言葉によって、長兵衛はお久に本心を伝えることができました。これも女将の粋な「人助け」なのだと思います。

さて、この後の展開ですが…。

佐野槌からの帰り道、長兵衛は大事件に遭遇します。今度は長兵衛が「人助け」をする側に…。さあ、長兵衛は女将との約束を守り切れるか、果たしてお久の運命は?
次回に続きます!

PS
もし次回まで待ちきれない方は、以下のおススメDVDをどうぞ。落語はもちろん、歌舞伎でも楽しめます(長兵衛は中村勘三郎、女将は中村芝翫)。
落語なら:落語研究会 古今亭志ん朝全集 上「文七元結」(ソニーミュージックダイレクト)
歌舞伎なら:「<シネマ歌舞伎>人情噺 文七元結」(松竹)




 


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