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濱野 裕貴子 キャリアカウンセラー/ワークショップデザイナー 笑門来福
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2014-07-22
古典落語de「幸運すぎてもかえって不幸?」

宝くじを当てて大金持ちになる。誰もが叶えたいと思う「夢」ですよね。
でも、もしその「夢」が本当に実現してしまったら…?
今回は、ある日突然降ってきた大きな幸運に身も心も翻弄されてしまう、ひとりの男のお話です。


  主人公は、とある「水屋さん」。山の手の井戸から飲料水を汲み、桶を担いで下町まで運んで、お得意さんに売り歩く仕事をしています(江戸時代、庶民の命を支えた水屋。体調が悪かろうが厳寒の真冬だろうが一日も休むことのできない、重要かつ過酷な仕事でした)。

さてこの水屋さん、一攫千金を狙って買った富くじで、見事千両を引き当てました! おや、千両の風呂敷包みを抱えて、彼が長屋に戻ってきましたよ。

「俺にもやっと運が向いてきたぞ。これを元手に、何か新しい商売を始めよう。嫁さんももらうぞ。商売が軌道に乗ったら、左うちわで暮らすんだ!」 千両という大金を前に、水屋さんは興奮状態です。

しかし、気にかかるのはお得意さんのこと。「みんな俺の水を待っているからなあ。代わりの人を見つけるまでは、辞めるわけにはいかないなあ」

現実に引き戻された水屋さん、とりあえず明日は仕事に行こう、と決めます。

となると…仕事で留守にする間、お金をどこに隠しておこう。思案の末思いついたのが、「畳と床板を剥がして、縁の下に風呂敷に包んだお金をぶら下げ、床板と畳を元に戻す」という妙案。まさか縁の下に金があるとは思うまい! さっそくお金を隠し、水屋さんは安心して床に就きました。

ところが…。
彼が寝入るや否や、「富くじで当てた金をよこせ!」というドスの利いた声。強盗です! 「それだけは勘弁してくれ!」水屋さんが拒むと、怒った強盗が刃物で脇腹をブスリ!

…自分の悲鳴で目覚めた水屋さん。そう、悪夢を見ていたのです。

その後も悪夢にうなされ続け、とうとう朝に。もう仕事に出かけねばならない時刻です。しかし、目に入る人がことごとく自分のお金を狙っているように思え、なかなか長屋から離れられません。

結果、お得意さんのところに到着するのがものすごく遅くなってしまいました。文句を言うおかみさん連中に平謝りをしながら何とか仕事をし、へとへとになって帰宅…。

これ以降毎晩、悪夢が彼を襲います。夢の中でいろいろな人が入れ代わり立ち代わり押し入ってきては、金を要求。そのたびに水屋さんは切られたり刺されたり…。ゆっくり眠ることができません。昼間は昼間で、相変わらずお金が気になってお得意先に行くのが遅れるので、おかみさん連中からこっぴどく叱られ続けることに…。

こんな毎日を繰り返すうち、水屋さんはすっかり憔悴…。今や彼の心の支えは、縁の下のお金だけです。朝晩、縁の下を長い棒で探り、「コツーン」というお金の手ごたえを確認しては、ほっと胸をなでおろすのでした。

そんなある日。向かいに住むやくざ者が、水屋さんが朝晩繰り返す妙な行動に気づきます。「縁の下に何があるんだ?」 やくざ者が水屋さんの留守中に縁の下を棒で探ってみると…「コツーン」。それがお金だと気づいたやくざ者、縁の下から風呂敷包みを取り出すや否や、一目散に逃げてしまいました。

夕方、仕事から帰ってきた水屋さん。さっそく縁の下を長い棒で探ります。しかしそこにはもう、「コツーン」という手ごたえはなく…。


この後の水屋さんの一言で、この噺は幕切れとなります。さて、彼は何と言ったと思いますか?


答えは…「ああ、これで苦労がなくなった」なんです。

心の支えにしていた大切なお金(それも千両!)がいきなり消えてしまったら、普通は落胆や怒りなどのネガティブな感情が湧き上がってきそうなものです。しかしこの台詞(+噺家さんの表現)からは、そんな感情がみじんも感じられないのが不思議です。水屋さんの心底ほっとした気持ちだけが伝わってくるのです。

 

水屋さんはこの富くじ騒動で、心身に相当の悪影響を受けていたと思われます。まず、悪夢による睡眠不足。眠れなければ体調が悪化し、判断力も鈍ります。

また、お金に囚われるあまり仕事に支障をきたし、お得意さんからの信用を失墜させてしまったこと。本来言われなくてもよい文句を、毎日言われ続けるようになったこと。こうした仕事遂行上の不全感や長期間にわたるクレーム対応も、精神的にかなりのダメージだと思います。

さらに、千両という大金を人に知られないように保管し続けなければならないことや、誰かに盗られはしまいかと常に心配し続けることも、とても負担だったはずです。

富くじ当選にまつわる一連のストレスを、彼は「苦労」と表現したのでしょう。千両はまさにストレスの元凶(ストレッサー)。精神的に参ってしまった彼にとっては、千両よりもストレスから解放されることのほうが高価値だった、ということなのでしょうね。

それにしても不思議なのは、なぜ彼がいつまでも「水屋」にとどまっていたのかということ。千両というお金があるのですから、さっさと別の土地にでも行って、新しい生活を始めてもよさそうなものですが…。

人間は、今より状態が悪くなることだけでなく逆に良くなることに対しても、ストレスや抵抗を覚えるものだそうです。また、無意識に自分にとって心地いい「居場所」を決め、そこから出ることを嫌う、とも言われています。水屋さんも、なんだかんだ言って実は、これまでの生き方が心地よかったのではないでしょうか。思わぬ大金を手にしたことで「人生を変えるぞ!」と意気込んではみたけれど、心の底では現在の状況を変えたくなかった(心地のいい居場所から出るのが恐かった)のかもしれませんね。

 

こうしてみると、一見幸運で幸せに思えるようなことが、かえって人を不幸にすることもあるのではないか…と思えてきます。その逆もまた、然りですが。

結局は、自分の心の持ち方や出来事への向き合い方、対処の仕方次第なのかもしれません。人生にどんな出来事が起きても、それに翻弄されることのない「どっしりとした自分」でいたい…。この噺を聴くにつけ、そんなことを考えさせられます。

(…と思わず真面目に語ってしまいましたが、この「水屋の富」は理屈抜きに面白い噺なんですよ。水屋さんには気の毒ですが、悪夢にうなされるところなどが特に(笑)。ぜひ聴いてみてくださいね。)

おススメCD:古今亭志ん朝 大須演芸場CDブック「水屋の富」(河出書房新社)



 


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